意地と意義

歓送迎会を兼ねた決起集会なるものが
あった。僕は出し物としてギターの弾き語りを
しようと思った。直前はとても緊張し、
指先が狂ってはいけないからアルコールを控えた。
ヌルッとギターを弾き始めるが、
僕の歌やギターを聴くものはいなく、
話し声が大きく耳に入ってきた。
その光景はとてもグロテスクであった。
これは主観なるもので、主観であるからこそ
グロテスクにとても醜悪に感じる光景であった。
いうまでもなくギターはダメダメ、声も全く出ない。でも、止める事はしなかった。意地だった。

この意地というものを、前も使った事がある。
仕事してというのもおかしいが仕事として
石川で震災があった能登の輪島まで、介護のボランティアしに行かせていただいた。主な介助内容は入浴介助であった。トレイ付近には水の入ったバケツがいくつも置いてある。地震の影響により、水が出ないので、川の水を引き上げて、トレイで用を足した後にバケツで水を流すのだという。
正直、自分が被災地に行くという事を想像もしていなかったのだ。陸地が5メートルも隆起し、海はかつての海とは違い、遠くにあり
一面砂浜と化していて。道路もバリンバリン、
建物も崩壊している。ボランティアには2人で行ったが、もう1人は他の施設に、僕は1人
ズブの素人から介護の仕事をはじめて、2年目くらいである。ちょっとは自信があったが
知らない土地、知らない文化権で自分は一体なにができるんだろう?と思った。
入浴介助は断水のため、入浴訪問のボランティアの方が用意して下さった浴槽と温水に
よって行われた。施設に到着して早速はじまったので、一緒に介助する人はいったいどこの人で、誰がボランティアでと観察しながら、
介助を行なっていった。浴槽は少し背が高く、
ご高齢の利用者さんを持ち上げて浴槽に入浴してもらうのだが、僕はうまいこと利用者さんを
持ち上げる事ができなかった。なので他のスタッフの方に持ち上げてもらい続けていた。
なんで自分はここにいるんだろうと思った。
自分が情けなくなった。
だけど、ここにいるだけで意義があると思った。
そう思わないと動けないし立てなかった。
その日の午後からもまた、2時間の空き時間があり入浴介助を行った。スタッフの方が入れ替わり女性の方が多かったのもあったり、段取りがつかめてからは僕のできる事が増えていった。翌日も入浴介助。1回目のスタッフと共に入浴介助する事になった。前日では出来なかった利用者さんを持ち上げることもできた。
「やります、できます」と自分で声をあげたのだ。

歓送迎会でのギターの弾き語りは
いなくなってしまう人のために
弾いた。結果はダメダメだったけど、
意地と意義あると思い最後まで引き続けた。
BUMP OF CHICKENの真っ赤な空を見ただろうかという曲を弾いた。

大切な人に唄いたい
聴こえているのかも解らない
だからせめて続けたい
続ける意味さえ解らない

という歌詞がある。その人は一番端っこに座っていたから、僕の歌もギターも小さくって聞こえなかっただろうけど、
僕にとっての続ける意味はやはり、
意地であった。

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