見出し画像

シリコンバレーはなぜできたのか?本当の歴史

僕がBeSomebody16でシリコンバレーに来た目的。それは、シリコンバレーの起業文化の理由を探り、シリコンバレーのようなそれぞれが自由で積極的で起業するような人が集い育つプラットフォームを日本にも作れたらいいなと思ったからです。

最初の方の記事で、カリフォルアで金が発見され、1848年ごろにゴールドラッシュがおきて、あちこちから大量の人が押し寄せてきたということを書きました。そして、彼らのような人たちは慣習やルールを嫌い、一攫千金を求めるような人が多かったろうので、今のような起業文化が生まれたと考察しました。

しかし、それだけではシリコンバレーが生まれた理由は説明がつきません。その後いろいろ調べておりました。

さて、留学初めて2ヶ月も過ぎたしそろそろ英語も慣れてきたので、IT企業でインターンでもしてみたいと思ってネットでいろいろ調べていました。(あ、インターン先探しています。コネのありそうなところあればぜひ紹介をお願いします。)そして、上杉周作さんという、日本とアメリカ育ちのシリコンバレーで活動するエンジニアの方のブログにたどり着きました。

shu uesugi http://chibicode.com/jp/

この方、プロフから引用させていただきますが、経歴がすごい。

88年生まれ。カーネギーメロン大学卒。学位はComputer Science学士・Human-Computer Interaction修士。Apple・Facebook・Palantirでエンジニア職、Quoraでデザイナー職を経験。その後半年間日本でニートになり、2012年9月よりシリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurgeに就職。

ハンパないですね。僕もエンジニアだし、デザインもやるし、ホームスクーリングで勉強して教育には関心があるので、方向性はとても近い気がするのですが、背中が見えないくらい先に進んでいる感じがします。ぜひ、一度こちらにいる間にお会いしてみたいです。

追記 :その後、Facebookで上杉さんのプロフィールを拝見し、ぶしつけな「会いたいです!」メッセージを送ったところ、こころよくお会いしていただけることになりました。

サンフランシスコからサンノゼのあたりまでデカい列車に揺られて1時間くらい。上杉さんのオフィスにお邪魔してじっくりお話をさせていただきました。夜にはホームパーティに招待いただき、そこで現地で活躍する日本人の方達とつながりました。今でも繋がっています。

たしかニューイヤーの時で、サンフランシスコのニューイヤーの花火を見たかった僕は、10時くらいに急いで戻ることにしました。上杉さんは車で駅まで送ってくれてめちゃ優しかった!

その後も、「ファクトフルネス」の邦訳を手がけるなど手を広げてご活躍されています。

上杉さん(右)と僕 2016年12月29日

追記終わり

さてさて、このブログに僕の知りたかったシリコンバレーのいろんなことがとてもよくまとまって全部書いてありました笑 アメリカに来て日本語の記事で答えを見つけるというのも変な話です。今週はThanks Givingで4連休だったのですが、ラスべカスにも行かずに家に引きこもって、このブログを読んだり(英語の勉強したり)していました。

その中に、シリコンバレーの知られざる歴史という彼が翻訳してくれたビデオがあります。ただ、けっこう長いビデオですので、自分の理解のためにもかいつまんでまとめてみました。

お時間のある方はぜひビデオをご覧ください。



さてさて、シリコンバレーの知られざる歴史です。様々な偶然、条件が重なり合わさってシリコンバレーは誕生したのでした…

第二次世界大戦時、ドイツ軍のレーダー技術はめちゃくちゃ進んでいた

第二次世界大戦時、ヨーロッパ全土をドイツが占領していました。イギリス、アメリカの連合軍は空爆でドイツ軍の施設を破壊して降伏させようとしましたが、ドイツ軍はとても強かったのです。なぜなら、レーダー網で全ヨーロッパをカバーしていて、連合軍の爆撃機が領土に入る前に把握し、レーダーシステムと連携した迎撃砲と迎撃機によって守っていたからです。連合軍は大きな損失を出しましたが、ある時イギリスはレーダーの存在を発見し、ドイツ軍のレーダーと技術者を盗み出して、このレーダーの解析を始めました。

アメリカ政府は名門大学に武器の研究所を作り、多額の資金を投じた

第二次世界大戦のとき、アメリカ政府と軍は画期的な方法をとります。それまでは軍が科学者を集め、軍が作る武器を命令して開発させていました。しかし、第二次世界大戦では科学者が主導で研究しどんな武器を作るかを決めるようにしたのです。

そして、アメリカ政府は5億ドルの研究資金を名門大学にばら撒き、研究所をつくり、科学者を集めて様々な武器の開発を行いました。

例えば、ハーバード大学は電子戦の研究、カリフォルニア大学はロケット、マサチューセッツ工科大学にはレーダー、コロンビア大学には潜水艦用ソナーといった具合です。NASAなどの政府系研究機関の多くは大戦中に大学にあった研究所が元になっています。

ハーバード大学でレーダーに対抗する武器の研究をした

ドイツのレーダーに対抗する武器の研究はハーバード大学で行われました。まず、銀紙にはレーダーを妨害する効果があることがわかりました。そこで、爆撃するときに銀紙を大量に空からまいてレーダーを妨害することにしました。さらに、電波妨害装置の研究が進められ、最終的には装置をすべての爆撃機に積むことでドイツ軍の防衛システムを無効化し大戦に勝ちました。

スタンフォード大学とシリコンバレーの父ターマン教授

このときのハーバード大学の研究所長がのちに「シリコンバレーの父」と呼ばれるスタンフォード大学のターマン教授です。スタンフォード大学は少額の研究費用しかもらえず、ターマン教授がハーバード大学に配属されたのみでした。

大戦後、ターマン教授はスタンフォード大学に戻ってきたときに、政府から研究費用をもっと得るためには電子系の研究を強化しなくてはならないと考えました。そして、ハーバードの研究仲間を11人引き抜いてスタンフォード大学の教授にしました。そのおかげで、スタンフォード大学は5年後の1950年には電子工学で全米トップとなったのです。

時代は冷戦、スタンフォード大学が電子戦武器研究の中心に

その後時代は冷戦になります。ソ連はドイツよりもさらに強いレーダーシステムを持っていました。これに対抗するため、スタンフォード大学はCIAなどと協力して電子戦の武器研究の中心地となります。そして、スタンフォード大学は電波妨害装置の開発に成功します。

大学の技術を使った武器ベンチャーが生まれる

さて、ターマン教授はユニークな決断をしました。通常は大学の研究は秘密にされ学外に持ち出すことは禁じられますが、スタンフォード大学では大学院生は自由にその技術を持ち出して良いことにしました。「研究は大学でやるが、武器製造は学外でやるべき」と言ったのです。(まさに、オープンソースの先駆けですね。)

そして、大学の技術を元にした武器ベンチャー企業が大学のまわりにたくさん生まれました。さらに、大学は軍やCIAを呼んで、ベンチャーで作られた武器を売り込んだのです。武器のほかにも大規模システムを提供するベンチャーがたくさん生まれました。ターマン教授は技術を自由に持ち出させ、大学教授はベンチャー企業の役員につかせました。

スタンフォード大学が研究をし、ベンチャーが武器を開発し、それを政府が購入する、これがシリコンバレーの起業文化のもととなったのです。この時はまだ投資家はいなかったので、政府からの研究費用を投資しました。

なぜ、電子バレーがシリコンバレーになったのか?もう1人のシリコンバレーの父

1956年にウィリアム・ショックレーというレーダー研究をしていた人がシリコンバレーで起業しました。彼は全米トップの研究者でトランジスタを発明してノーベル賞を取っています。彼はショックレー研究所というカリフォルニアで最初の半導体企業を立ち上げました。しかし、彼は大変優秀で人を見る目もありましたが、最悪の上司だったのです。彼は天才技術者たちを雇いましたが、みんなに嫌われ15ヶ月で8人の社員が会社を辞めていってしまいました。

そして、辞めた社員たちが新しくフェアチャイルドセミコンダクターという半導体メーカーを作ったのです。さらにそこから独立しインテルなどの半導体企業が生まれていきました。ショックレー研究所から派生した半導体企業は20年間で65社になります。

民間による投資が進む

戦時中はベンチャー企業の目的は戦争に勝つことでしたが、戦後は利益を生み出すことが目的になります。ベンチャーへの投資はそれまであまり一般的ではありませんでした。しかし、1958年にソ連が人類初の人工衛星を打ち上げると、アメリカ政府も科学技術への投資を推奨するようになります。民間が1ドル投資すれば、国が3ドルを補助して追加で投資してくれたのです。政府が投資金額の75%を負担してくれたので、冷戦時にシリコンバレーには700のベンチャーキャピタルが生まれました。そして、ベンチャー企業は利益を生み出すために、民間による投資額もその後、爆発的に増えていきました。そうして、今の起業と投資のサイクルが出来上がったのです。

まとめ

・戦争に勝つために大学には武器の研究所が作られ、多額の資金がつぎ込まれました。

・シリコンバレーの父ターマン教授のもと、電子戦の研究をスタンフォード大学が行いました。

・スタンフォード大学の技術を使って大学のまわりに多くの武器ベンチャー企業が生まれました。

・ベンチャー企業は軍に武器やシステムを売りました。

・その後、もう1人のシリコンバレーの父、ウィリアムショックレーが半導体企業を立ち上げますが、社員は彼を嫌い優秀な技術者たちが会社を辞めていきました。

・その技術者たちが新しく半導体企業を作りさらにそこから派生してインテルをはじめとした企業が増えていきました。

・国の科学技術への投資によってベンチャー企業への投資が促され、利益を生む魅力的なベンチャー企業への民間による投資が爆発的に増えていきました。

こうして、シリコンバレーは生まれました。

こうしていろいろ調べてみましたが、日本にシリコンバレーのようなプラットフォームを作るのは非常に難しいと結論を出しました。

それは、単に起業家精神の高い人を育てるだけではダメで、起業したあとのサポートや投資を簡単に受けられる環境がないと、システムは回らないからです。そして、奇跡的にできあがったシリコンバレーのような環境をほかの地で再現することはとても難しいだろうからです。(正直な話、こっちに来ちゃった方がずっと早くて低コストです。)

しかし、起業文化とはいわなくても、柔軟で独立していて積極性のある人を育てることにはどこであっても意義があることだろうと思うので、その観点から引き続き考えていきたいと思います。

画像はこの前スタンフォード大学とシリコンバレーの企業を訪れた時に撮ったものです。スタンフォード大学はとても綺麗でした。シリコンバレーはド田舎でした。

Instagram更新しています。ついにフォロワー1000人超えました!!とっても嬉しいです。引き続きよろしくお願いします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?