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視座が上がる瞬間について、および自分を客観視することは永遠に不可能なのではないか?

わからないながらも継続して何かに取り組んでいると、新しく視界がパッと開けて、今までの自分を見下ろすことが可能になる、そんな瞬間がある。とても気持ちのよい感覚だ。

これを視座が上がると表現するらしい。

例えるなら、目の前の山を草木をかき分けとりあえず上に向かって歩いているが、自分がどこを歩いているのかはわからない。しかし、ある高さまで登った時に急に視界がひらけて、自分が辿ってきた道や遠くの山々が見渡せるようになる感覚。

そして、一度視座が上がると、ロールプレイングゲームでそのエリアのマップが解禁されたかのように、簡単にその地域にアクセスができるようになる。

視座が上がるとは、あるステージをクリアして、成長した、学んだということだ。視座が上がってはじめて、今までの自分を客観的に見ることができるようになる。私は、あの辺で生活してたのね、周りにはほかにもこんな人が住んでいたのね、とわかる。

さて、経営者は自分を客観視する力が必要だというのは、最近理解してきたし気をつけてはいる。客観視するとは、自分の主観的な視点以外の視点に立って自分を見ることだ。

人からどう見られているか考え、TPOにあった発言と行動ができるというのはわかりやすい例だ。

経営者的な視点に立つと、自分(自社)の強みと弱みを理解し、世界の流れを読み、自分がその世界のどこにいるのかということを理解することと言える。

客観視することを意識して、自分を正確に捉えるというのは、生きていくのに大切な力だ。

私はこの世界のどこに立っているのか?

一方で本当の意味で自分を客観視するというのは、永遠に不可能ではないかとも思えてきた。「私は私を客観視できるようになった」とは、おごった発言だと反省した。

なぜならば、先ほどの視座の話になぞらえれば、客観視するとは今の自分の視点よりさらに高くから自分を見るということである。

成長すると、今までの自分を見下ろす目を手に入れるが、成長した今の自分を見る目はさらに高いところへと逃げてしまい、永遠に手に入れることができない。


映画マトリックスの世界で、ネオは仮想の世界に囚われていた。彼は仮想の世界を本物の世界だと思い込んでいる。その外の世界の視点を持っていないため、自分を客観的にとらえることはできない。

覚醒したネオ

外の世界に出て、仮想の世界にいたことを知った瞬間に視座は上がり、今までの自分を客観的に認識できるようになる。

しかし、もしかしたらその外の世界は、さらに外側の世界の中にあるのかもしれない。自分が今いるレベルより上のレベルから自分を見るのは不可能なのだ。


では、どうしたら、新しい視座を手に入れることができるのだろうか?先輩のアドバイスや、本での知識は新しい視点を手に入れるきっかけになる。しかし、情報を受けとる土壌ができていなければ、きっかけに反応することができない。

やはり、身をもってその世界に取り組み、森の草木をかけ分けて進むことでしか得られないのかもしれない。

身もふたもない話だ。

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