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小学生時代に目覚めたソーシャル活動

母校、保土ケ谷小学校と私

この記事では、横浜市立保土ケ谷小学校(以下、保土小)を起点に私のエピソードをお話ししたいと思います。

1991年4月、保土小に入学した年ですが、実は1980年代後半から、近所の友達と学校を遊び場として利用させて頂いておりました。当時は移転前まで存在していたプレハブ校舎(図工室・図書室)が設置される前で砂場が大きかったのを覚えております。どうやら学校側は既に私たちのことを知っていたようで、入学してクラスの担任の先生が笑いながら「私が学校で遊ぶあの子たちの担任になるのかしら」と思っていたと告白されたことを鮮明に覚えています。

ソーシャル活動前夜

1992年、小学2年生の時に生活科(理科と社会を統合した授業)の教育が始まり、ワークショップないしフィールドワークのような授業が凄く楽しかったです。実際には「C棟」と呼ばれる校舎(移転前最古の校舎)の裏から高台の公園に向かう多摩丘陵地にある竹藪に登ったり、教科書に載っている植物を探したりしました。好奇心旺盛な私は、放課後も植物(どんぐりなど)を探しにいったり、或いは歩道のブロックまで採取して来た時は先生から「それはやり過ぎです!返してきなさい」と怒られてしまいました。

その時拾得した歩道のブロックと同型(某所にて撮影)

同年、保土小創立120周年を迎え、校庭で校章を作って空撮する記念事業に参加させて頂きました。その後、120周年の記念冊子「わたしたちの保土ケ谷小学校」が配布されたことをきっかけに私は、小さな歴史学者(母校の歴史限定)になったのです。

校史的大発見!?

それから数年月日が経過したある日、私は冊子に書かれている校史で「昭和57(1982年)学校創立110周年 タイムカプセルを埋めた。20年後に開封予定」との内容に着目しました。先輩方の埋めたタイムカプセルが存在し、今日まで誰も言及して来なかったことに強い疑問を感じたのです。

詳細はNPO法人まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.のブログに掲載しております。

タイムカプセルについて、一人で独自調査した結果、埋めた場所の目印となり得るような杭を発見し、さらに「昭和五・・」という文字を確認しました。創立110周年にあたる昭和57年のことであろうと結論付けたのであります。

地域課題解決の模索からソーシャル活動へ

1994年、小学4年生の時に学校周辺に不審者が出没するようになりました。集団下校の時に担当の先生に報告したり、町内会に関わっている母親に対応を求めたりしました。その頃に自動的に地域問題に関わるようになったと自負しております。

他方、高学年になるとクラブ活動に参加することになります。1996年、小学6年生の時に既存のクラブ活動を超えて"新党結成"したいと志ざした私は同級生複数人を集め、学校にクラブの新設をお願いしました。しかし、学校側はあまり乗る気が無かったのか、かなり難しい条件を提示してきました。ところが、下の学年にも人的ネットワークを持つ私は、水面下でかなりのロビー活動を展開しました。最終的に部長に就任し、無事に「室内ゲームクラブ」という学内クラブを新設することができました。

また、その頃に学年を超えたサークル活動を独自にはじめ、ちょっとしたシェア畑、自分で考えた財閥ごっこ(キャッシュフローゲーム)、不法侵入を前提とした軍事訓練など、すべて保土小周辺で様々な活動を展開しました。そうして組織づくりの面白さや多様化させた集団的活動の楽しさを知ったのです。

母校を活動のフィールド化

保土小に入学してからずっと内容の濃い小学校生活でしたが、1997年3月に卒業しました。しかし、中学生になっても3年間、保土小は遊び場でした。

1998年、中学2年生の時にクラスメイトから地元の小学校に不審者が侵入し、校庭で暴れたことがあるとの情報を得ました。当該人物の特徴などを聞くと、1994年から95年にかけて頻繁に出没した不審者と同一人物であることが判明しました。

1999年、他の小学校出身の同級生や私の弟及びその友だちなど大勢で放課後の保土小で遊んでおりました。この年を最後に保土小が神戸町に移転してしまうことを知っていたので、世代を超えて遊ぶスタイルを確立し、月見台の校舎との思い出作りでもありました。しかしある日、例の不審者が突如現れ、しかも気が狂った様子で校庭に入って来たのです。私は真っ先に2階の職員室に向かい、先生を呼びに行きました。また、血気盛んな中学生の友だちは、もし小学生に危害が及ぶのならばいつでも不審者と戦うといって気合を入れ、最終的には追い払うことに成功しました。

尚、当該不審者に関する最恐エピソードや1996年に独自調査して特定した学校の不祥事隠蔽(最悪の結末を迎えた事件)につきましては、今後noteで暴露します。

2000年代以降、多角的な活動へと進化

2000年には、月見台の校舎が取り壊されました。
その数年後、区役所にあるメールを送りました。「学校創立110周年 タイムカプセルが2002年に掘り起こされる予定のため保護願います」と具体的な場所(小学生時代に独自調査した結果に基づく)も示しました。そして迎えた2002年、無事にOB・OGがタイムカプセルをあけることができましたとのメールが役所から私宛に届き、大きな役目を果たせたと胸がいっぱいになりました。

その後も防災拠点などの町内活動で保土小に行く機会があります。一方で、元の場所は広場(通称:ボイコット広場)となりました。開け閉めする係があり、ご縁あって何度かお手伝いさせて頂きました。また、校庭の側面にある護岸の破損を発見し、修復して頂いたり、同所に駐輪場が建設されるという話が出た際には防災機能を強化したり、もっと駅前のグランドデザインを見直したりすることを提言させて頂きました。

他方、ローカルギャングを標榜する「IWSC Network」というチームをボイコット広場を拠点に結成し、プレハブで集会したり、実験的に畑や苗木を何本植えたり、さらには「SBC.特区」と名づけYouTubeにアップロードするなどの多角的な活動を展開する様になりました。

近年では保土ケ谷小学校跡地の利活用として、ヨコハマまち普請事業にチャレンジし、それをきっかけにCode for Hodogayaを結成(noteの関連記事)しました。

過去から現在、そして未来へと紡ぐ

小学校時代にクラブ活動を設立したこと、学年や学校を超えてコミュニティを作ったこと、そしてタイムカプセルや護岸、そして広場の利活用などを提案させて頂いた結果、私の周りにたくさん人が集まってきました。それらをきっかけに遂にはソーシャル活動を幅広く展開するNPOまで設立し、1994年から始めた様々な活動を発展的に取り入れております。

さいごに

ここまでお読み頂き、心より感謝申し上げます。名称や横文字が多く難しさを感じられたかもしれません。もし、この投稿が「参考になった」「興味を持った」という方は、フォロー、スキを頂けると嬉しいです。

今後とも幅広く社会活動を展開しているソーシャルフィクサーとして様々な実践と実戦を投稿しますので、お付き合い頂けますと幸いです。

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