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End of the year

あと数分で一年が終わる。台所で年越しそばの支度をしていると、後ろからいい感じに酒が回り、おーい今年は紅組が勝ったぞーと叫んでいる主人の声がした。返事をしないでいると、「おーい、聞こえてるのかー、紅組だぞー」とひときわ大きな声をあげた。

「そうですか、報告ありがとうございます」私の返事が聞こえ満足したのか、ふんふんと久しぶりに聞いたのであろう誰かの曲を、鼻歌交じりで歌っている。あまりに音程が外れていて何の曲か分からなかったけれど、本人が楽しげなので特に気にせず、リビングへお箸やら七味やらを運び始めた。

夫婦二人で年越しを迎えるのは、今年でちょうど10回目になる。子どもはいない。二人で話し合い、子どもは作らないという選択をした。

私はただ、子どもが好きじゃなかったから。主人は、共働きの親の元で一人っ子の自分は寂しい思い出ばかりしてきたから、もし子どもが一人しかできなかったら可哀想だというのが理由だ。

結婚前から、子どもはいらない、で一致していたので助かった。これまで付き合った男性のうち、関係が長くなり、結婚の話題が出た人も数人はいた。私が「子どもは……」と口に出そうものなら、「そんな……」と、まるで悪魔でも見るような目つきに代わり無言で非難されるのが常だった。当然関係はそこで終わった。

そんなことを繰り返しているうちに40代になった。お見合いの話を持ちかけてくる人はいなくなり、両親からも諦めの空気が漂っているのをひしひしと感じた。幸い兄弟の多い私には、すでに甥、姪がたくさんいて、父も母も必死に孫を欲しているという感じではなかった。ただ、一番年齢のいっている私が生涯独り身でいるかもしれないという事実に、どう向き合ったらいいのか。それだけが頭痛の種だったように見える。

「私たちの人生で心残りがあるとすれば、あんただね」。母は帰省のたびに、大きくため息をつきながらそう言った。耳にタコができそうなほど言われ続け、40歳を迎えた年、母はいよいよ諦めたのか、「結婚」という言葉を口にしなくなった。正直、私は自分が諦められる年になったのかと、それに喜ぶよりも焦りを感じていた。

主人と出会ったのは、そんな矢先だった。取引先が主催した忘年会で、互いに日本酒好きだということで意気投合し、気づけばデートを重ねる仲になっていた。相手は50代で結婚歴はなく、かといって独身を謳歌しているというタイプでもなかった。「良い相手がいれば……」と3回目のデートで自ら結婚の話題を口にしてきた時、「じゃあ、結婚しましょうか?」と切り出したのは、私の方だ。

驚いて言葉を失う彼に私は、「子どもは諦めてください」と続けた。すると彼は表情をくるりと変え、目尻を下げて、「良かった。私も子どもはいりません」と言った。その瞬間、本当に彼を好きになれた気がした。正直自分でもなぜ、手をつないだこともない相手に結婚を申し込んだのか分からなかった。焦りといえばそうなのかもしれない。結婚の提案をしてすぐ、後先考えず衝動で動いてしまう自分の性格がここでも出たか……と、実は少しだけ後悔していた。でもその一言で、これで良かったのだと確信が持てた。

それからは早かった。今年も二人きりの年越しを迎え、隣で盛大に音を立てて蕎麦をすする主人を見て、うん、やっぱり素敵と思うことは……残念ながらない。この後もう少し酒を飲んだら、パタリと大きないびきをかいて寝てしまうのだろう。そして私は、「あなた、ここで寝たら風邪ひきますよ」と言っている間に日付が変わっているどころか、下手したら朝を迎えているかもしれない。

きっと私たちが過ごすこの家は、このままなのだろう。人が増えなければ、減ることもない。そうして時が来たらどちらかが先に、じゃあ行くねと言い、分かった、また会おうねと言って手を振る。それが私たちが選んだ道。

予想よりも早く、彼は蕎麦を食べ終えるとその場で大の字になって寝てしまった。私は彼がお猪口に残した日本酒を、くいっと飲み干す。そして寝室に布団を取りに行き、彼にかけると、隣に潜った。風邪を引いたって構わない。今日はここで寝ると決めたのだから。

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