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日本人も韓国人も同じ

どーも!「ワークライフサポーター」のタカハシです。

先日こちらのnoteを読んで、まさに自分も思ったことなのでそれを今回のnoteで書かせてもらおうと思いました。


細かいところはぜひ上記のnoteを読んでもらいたいのですが、ザックリ言うと、韓国と日本がいまいまかなり仲悪くなっているように見えるが、実際本当にそうなの?ってところです。

なぜなら、実は自分もそう感じていますし、それは私自身の実体験からくることでもあるのです。

結局マスコミが一部だけを取り上げているのではないかとか思ったりします。それにこういうのって、自国政府への国民の不満を外に向けるために仕組んでいることだって多いと聞きますしね。

だから、本当にそうなの?ってところです。


私自身の経験というのは、2000年頭くらいに遡ります。

2000年頭過ぎとはつまり「竹島問題」、韓国名で言えば「独島問題」がかなり盛り上がっていた時期です。その当時その問題の真っ只中、私は韓国を1人で旅していました。ちょっと心配していた家族をよそに、全く問題なく一人旅を終えることが出来ました。それもかなり良い思い出ばかりで。

当時私は、友人に会うために韓国に行きました。が、いきなりやらかしました。釜山から大邸行の韓国新幹線「KTX」に乗ったところ、釜山駅にパスポートを置いてきてしまったのです。やばい。。。と思って早速大邸駅で日本語の喋れるスタッフさんに聞いたところ、釜山駅に自分のパスポートがあったから、大邸駅まで次のKTXで持ってきてくれるそう。なのでその間大邸駅のインフォメーションセンターで小一時間ほど待っていたら、無事パスポートが戻ってきました。


その後大邸で友人と会い、楽しい食事をして、しかも友人宅に泊まらせてもらいました。その後次は、大田へ。そこでも別の友人宅へ行き、なんとたまたま友人の友人のお父様が亡くなられたようで私は友人に連れられお葬式へ。当たり前ですが、始めての韓国でのお葬式に参加です。
※日本的に言えばお通夜でしたが、言い方わからないのでお葬式とします。

そして友人宅へ泊まり、次はソウルへ!ここでも友人宅へ!江南区にある高級的なレストラン&バーへ行き、その晩は銭湯みたいな施設でごろ寝しました。当たり前ですがローカルすぎて、自分以外全員韓国人です。

そして次の日は友人宅に泊まりつつ、仁川の韓国唯一の中国人街にある中華料理屋で。今は知りませんが、当時は韓国だけも中華街がここだけらしく、こちらで韓国式「ジャージャー麺」を食べました。日本のそれとは違い、真っ黒だったのでビックリです。


そして今度はバスで田舎の方へ!が、ここでまたやっちゃいました。というのは、完全に道をロストしてしまったのです。当時スマートフォンでなくパカパカ携帯。パカパカ携帯なので国際電話とか出来ないから、公衆電話から。それにFBとかもないので、連絡取るならメールか電話です。なのにもかかわらず友人からメール来たメッセージを参考に友人との待ち合わせ場所に行っていたのです。ちなみにそのメッセージに書かれている言葉が英語なのですが、地名で固有名詞なのと韓国式の書き方なので自分が読めないわけです。

しかーも!私がその時いたのは韓国の田舎の方なので、全く英語できる人も日本語できる人もいない完全アウェーでした。「ヤバイ!」と思いながら駄菓子屋っぽいお店の人に英語で聞くと、韓国人のおばさまから完全韓国語で返されて正直何言っているかわかりませんでした。でも凄く優しく対応してくれたはいいですが、おばさんっぽくかなりマイペースで話されました。が、どうも自分の行き道はこれで合っているように感じました。その思いを信じて言われたとおりに進むと、そこには私の友人が私を待ってくれていたのです。あまりに嬉しすぎて、感動して涙したのを覚えています。


そしてまた友人宅で泊まりました。そしてまた1人で旅に出て、再び大邸へ。その晩は「アジアカップサッカー」へ行きました、伝統の日韓戦を観に、1人で。しかも韓国での日韓戦なので、90%以上は韓国サポーターです。なんで1人?なんですが、一緒に行く予定の友人が仕事が入って来れなくなったのです。だからスタジアムで青い日本のレプリカユニフォームを着た自分がウロウロしていましたが、よくよく考えるとか敵地に1人で乗り込んで行っているようなものなのでいつヤラれてもおかしくない状況。にも関わらず、自分は1人なので韓国人の人写真を撮ってとお願いしたり。と若気のいたりかもしれませんが、それでも写真撮るのを快くしてくれた韓国人の方には感謝ですよね。

席に座ると周りは韓国人だらけです。韓国人の友人と行く予定だったので、ホーム席に座ってる日本人は自分しかいません、しかも日本の青いユニフォーム着て。韓国でのホーム席とは、つまり韓国サポーター席でした。馬鹿ですよね。馬鹿。普通考えたらなんかあってもおかしくない状況ですが、別になんもありませんでした。

隣に座ってくれたのが韓国人の親子で、英語で会話してかなり親密なり。なんと試合終了後には、選手でない自分たちがユニフォーム交換するという。自分は当時ピンクのユニフォーム着て、帰りの帰路につきました。日本も試合に勝ってくれて、凄く気持ちよくなりました。「反面、勝ったよ!おい大丈夫かな?」なんて思いましたが、でも大丈夫でした。今でもピンピンしています。


大邸スタジアムから帰ると、試合終了後なので大渋滞。人が多すぎてどこが自分のホテルかわからず、取り敢えずあいのりタクシーに乗りました。少し乗ると後ろの席に「日本人の女性二人」が乗ってきました。年上の女性二人だったと思いますが、そこで話しかけるとかなりビックリされました。何にビックリされるかと言うと、日本人自分が1人でタクシー乗っててサッカー見に来てて、しかもピンクのユニフォーム着てるという。その後かなり話しが盛り上がったのも言うまでもありませんね。その後の展開は想像にお任せします(笑)

そして無事日本に帰国して、自宅まで戻ってきました。何の怪我もなく、楽し思い出ばかりで。


この旅約2週間くらいしたのですが、その間ホテルをとったのは最終日の一日だけです。それに韓国人の友人に会った人数、たしか7,8人ほど。皆快く自宅に泊めてくれました。別に自分は遠慮したのですが、泊まってくれと!いうことで泊まらせてもらい、毎回初めて会う韓国人の友人家族に挨拶したり、朝食もしっかり用意してくれて嬉しさMAXです。もちろん感謝を忘れず、日本からのお土産と、定番の「カムサハムニダ」で感謝も忘れません。

しかもその時期日韓問題が多発しているときですよ。覚えている方も多いでしょう「竹島問題」。当時の大統領、確か、、、忘れましたすいません。でも日本のマスコミが報道しているほど、現地では何もなく。逆に親切にしてくれまくり、申し訳ないのと感謝ばかりを思う日本人の自分がいました。

その時その場所により状況は変わるかもしれませんし、被害を被られた日本人の方も少なからずいるでしょう。が、少なからず悪く思っていない方も多くいるでしょう。それに逆に友人となった、なったのかわかりませんが韓国人の方で自分に色々と言ってくる方は確かにいました。でもそれは彼らも私達日本人と同じで「本当はどうなの?」と思っていたと思います。多分韓国側の報道も「日本と逆の報道」が流れているだけです。そうなのは現地でのテレビを見る限りもそう思いました。

何が正しいのかわからないから不安になるんですよね。日本人も韓国人も。本当の事実は何か?です。真実を見つけるのは難しいかもしれませんが、私が知る限りの事実を言うと普段と変わらない日常がありました。


ちなみになぜ私のそんなにも韓国人の友人がいるかというと、当時「日韓交流事業」「日中韓交流事業」それに、「ワーキングホリデー」に自分が行っていたのでそこで仲良くなった韓国人の人数は数え切れないくらいです。

優しい方も、ちょっと怖い方もいました。それはあんまり国籍関係ないですよね。優しい日本人もいれば、ちょっと、いえかなり怖い日本人もいますからね。


「SHIFTGOOD」管理者 タカハシケンジ


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