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菱田春草生誕之地 風景印と記念碑

 長野県飯田市いいだしにある飯田馬場いいだばば郵便局の風景印には菱田春草生誕之地碑が描かれています。菱田春草は、横山大観などと共に活躍した近代の日本画家です。

菱田春草ひしだ しゅんそう(1874-1911)

 菱田春草は飯田藩士の家に生まれ、1890年(明治23年)に16歳で上京、岡倉天心おかくら てんしん(1863-1913)が校長を務める東京美術学校(今の東京芸大)に進学し、主席で卒業しました。

 天心が東京美術学校を追われ校長を辞任した1898年(明治31年)には岡倉天心、横山大観よこやま たいかん(1868-1958)と共に日本美術院で活動しました。

 日本画というのは伝統的な日本の絵画とは異なるもので、明治期に確立されたものです。線描を否定した作風は横山大観に共通するもので、周囲からは「朦朧体」と揶揄されたりもしました。36歳の若さで病没しましたが、日本画の新境地を切り開いた天才であったと評価されています。

 郵趣家にとっては、「文化人シリーズ」の肖像や、「近代美術シリーズ」第3集の「黒き猫図」で記憶されていることでしょう。

 春草を記念した飯田市美術博物館が飯田城二の丸跡に作られています。風景印となった記念碑はこの敷地に移設されています。

 また、飯田市仲ノ町の生誕地は公園として整備されています。


記念碑の地図

 記念碑は横山大観の筆によるもので、飯田市美術博物館の敷地にあります。



碑文

 碑の横の説明文をご紹介します。

菱田春草誕生之地
横山大観 書
菱田春草は、明治七年旧飯田城下の仲之町に生まれる。 東京美術学校に学び、盟友横山大観らと共に、岡倉天心率いる日本美術院に拠り、近代日本画の表現を確立した。 「落葉」「黒き猫」など不朽の名作を遺し、明治四十四年逝去。 右の碑は、りんご並木に建立の後、美術博物館建設に際して、 旧飯田城二の丸跡の当地に遷す。 春草会


飯田馬場郵便局

https://map.japanpost.jp/p/search/dtl/300111144000/

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1986年(昭和61年)11月26日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。



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