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拓魂碑 風景印と記念碑

 静岡県浜松市にある浜松高丘はままつたかおか郵便局の風景印には拓魂碑が描かれています。ブラジル移民の父と呼ばれる平野運平ひらの うんぺいの功績をたたえるものです。

平野運平(1886−1919)

 平野運平は、現在の静岡県掛川市で1886年(明治19年)に旧士族・榛葉家に生まれ、1906年(明治39年)横川(現在の浜松市天竜区)の平野家に養子として入りました。東京外国語学校でスペイン語を学んでいましたが移民通訳を目指し中退、1908年(明治41年)、ブラジル移民団(第1回)の通訳として渡りました。

 当時の日本は出稼ぎ目的で外国に移民する例があり、奴隷制度が廃止されたブラジルは多くの日本人が渡りました。平野は笠戸丸に先んじて現地に入っていました。

 この最初のブラジル移民はサンパウロ州グァタパラのコーヒー園で働きましたが、過酷な環境の中で移民の不満や逃亡が発生、平野は農場主との間を取り持って移民たちのリーダーとして活躍し、農場の副支配人に抜擢されました。

 1915年(大正4年)には労働者から自作農への転換を志し農地開拓に着手し、低湿な土地での稲作を開始します。約4000ヘクタールの「平野コロニー」です。開拓はマラリアとの戦いで、1919年(大正8年)には平野自身もマラリアにより1919年になくなりました。

 運平の死後も、開拓地はコーヒー・綿花なども栽培し発展を遂げ、ブラジル移民の歴史において重要な役割を果たしました。

 運平はブラジルに渡航後生きて日本の土を踏むことはありませんでしたが、1998年(平成10年)2月に彼の位牌が天竜市(現在は浜松市)の清滝寺に安置され供養祭が営まれました。5月には光明山山頂に日系ブラジル人と地元有志らが「拓魂」と刻まれた石碑を建立し、その功績をたたえました。

 北杜夫の小説『輝ける碧き空の下で』(1982年)は、平野と平野コロニーについても書かれています。

 日本からのブラジル移民については以下の記事が大変参考になります。


記念碑の地図

 光明山遺跡・光明山頂にあるとのことですが、正確な位置を説明している資料が見当たりませんでした。駐車場の場所を便宜的に記載しました。

 相当の山奥であることに注意してください。


碑文

 特別な敬意を人々のために命を捧げた英雄に捧げるとポルトガル語で記された石碑も横にあります。

UNPEI HIRANO
KASATO MARU
1886-1908-1919
HOMENAGEM ESPECIAL
AO HEROI QUEEMPENHOU A VIDA EM FAVOR DAS PESSOAS
1998.5.29


浜松高丘郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1999年(平成11年)10月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。


左側のクスノキ、右側のモニュメントも趣深いものがあります。


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