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死に対する恐怖心【怖かった体験】

“怖かった体験” = 過去の実体験
ではなく、
“襲い掛かる恐怖心”=未来の出来事
について書かせていただきます。

基本、怖がりの人間なんで、“怖い体験”って言われても、あれもこれも語らないといけない、どの体験を語ったらいいのだろうか、と悩んでいるうちに辿り着いた答え、それは“死”に対する恐怖。

迫りくる“死”の恐怖。


といっても、“死の宣告”を医者から受けたわけでもなく、生まれつき“不治の病”を患っているわけでもなく、一般的に言う“健康的な身体”であって、手相を見てもらっても、一般的に見て「生命線長いんじゃねぇ?」って的な生命線持ってるんですが、正直、人っていつ死ぬのか分からない。もしかしたら、明日死ぬかもしれないし、明後日かもしれない。分かっているのは、いつかは死ぬ。

彼のブログの本文に 、「もしも今日が人生最後の日だとしたら」という記述があります。“人生最後の日”というのは一体いつなんだろう。どういうシチュエーションで訪れるのだろう。
誰一人、それが分からない、全く予想出来ない(例外はありますが)から、“今、この瞬間を生きるんだ”、“今を全力で楽しめ”という考えに結び付くんだな、と気付かされました。

彼のブログの本文に、「命の蝋燭は日々目減りしているのだろう。」という記述があります。
人生最後の日は明確に分かりませんが、少しずつ寿命が縮まっているのは間違いありません。その縮まっている寿命に比例して、全力でこの瞬間を楽しまないと、今しかできないことをやっておかないと、きっと後悔するんでしょうね。
私も、死の直前に「ちきしょー!」と後悔しない為に、今やれることを可能な限り、やっていくしかないんだな。
そうだよな。なぁっ!

よしっ!楽しむぞっ!


以上、書くンジャーズ日曜日担当の小森が、“襲い掛かる恐怖心”と闘いながら今週のテーマ【怖かった体験】について書かせていただきました。


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