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ルマンの女神よ、あなたはいつ、彼に微笑むのか。

 初めてのnote投稿。本来なら自己紹介やこのnoteの方向性を示すべきだろうがそんな気持ちで今、noteを書いているわけではない。今後投稿するかどうかさえ分からない。ただ、今、この気持ちを書き留めたい、残さなければいけないという一心で書いている。

僕はモータースポーツをこよなく愛する大学生だ。十勝スピードウェイのふもとに生まれ、日常に"24時間レース"というものがあった。1年に1回、大人たちが、本気で、死に物狂いで挑むレース。そこには多くのドラマがあった。それを自分は、幼いながらもひしひしと感じていた。特に2007年、トヨタ"ハイブリッドレーシングカー"が勝ったときに、24時間レースの未来を強く感じたことを忘れてはいない。

 時がたって2012年、トヨタが"あの"世界3大レースであり、24時間レースの最高峰LeMansに挑んだ。過去に何度も涙を呑んできたトヨタが、あの耐久の聖地に帰ってきたのだ。しかもあの"ハイブリッドレーシングカー"で。ドライバーはかつて、自動車レースの最高峰F1で活躍した選手が多くいた。そしてその中に日本人元F1ドライバー中嶋一貴選手の名前もあった。くしくもその年、後にこのトヨタのメンバーとなる小林可夢偉選手は、鈴鹿のF1日本グランプリにおいてジェンソンバトンを抑え3位表彰台を獲得し、僕の心を鷲掴みにした。

 ルマンに復帰してからも、トヨタはまるで過去を蘇らせるかのようにしてルマンの女神に振り回され続けた。特筆すべきは2016年だろう。僕もテレビの前であの"悲劇"を目の当たりにしていた。「No power!!。」何人もの人たちが、このセリフに、言葉を失い、咽び泣き崩れたことだろうか。あの日の夜風はいつもより、冷たく、そして儚く感じたことを覚えている。

 そして2018年、トヨタは悲願のルマン制覇を成し遂げる。そのドライバーは、参戦初年度からトヨタと共に幾度となく嘆き、苦しんだ一貴、ブエミ、そして颯爽と現れたスター、フェルナンドアロンソだった。やっとトヨタが報われた。そして来年はトヨタのもう1台、可夢偉が取ってほしいと強く願った。1年後の今日、あの2016年にも似た悲しみを感じることになろうとは思ってもいなかった。

 2019年6月16日、今年も年に1度のお祭り、ルマンが幕開けた。この日を心待ちにして、そして可夢偉の勝利を願ってきた。レースは淡々と進んだ。違う、"トヨタのレース"は淡々と進んだ。そしてその主役は7号車、そう、可夢偉のクルマだった。7号車の後ろに8号車、つまりはトヨタ1-2の状態で今年のレースも進む。今年もトヨタは勝つのだろう。そして今年は可夢偉が勝つのだろう。だれもがそう思うリードを保ち7号車は快走する。しかし23時間が経過するところで、今年もルマンの女神は悪さをした。7号車がセンサートラブルで、もしくはタイヤトラブルで、20時間以上守り抜いた首位を8号車に明け渡したのだ。たった2度のイレギュラーピットストップ。その2度のピットストップで7号車の勝利は、可夢偉の勝利は手から零れ落ちた。結局、ホセマリアロペスのもうプッシュも虚しく、8号車が先行する形でトヨタは2年連続1-2フィニッシュを成し遂げた。結果はあっぱれトヨタであり、日本人として誇りでもある。しかし、"複雑な快挙"であったことは誰もが認めるだろう。勝利した8号車のエース一貴が「ルマンは本当に酷なレースですね」というコメント、そしてインタビュアーとして数多の仕事をこなしてきた高橋ジローさんが可夢偉へのインタビューの際「今までで最も難しいインタビューでした」という一言がすべてを物語っていただろう。今年も、可夢偉にルマンの女神は微笑まなかった。

 これだからモータースポーツは面白い。この世界に惹かれた者たちにしかわからない、酷なまでもの"面白さ"。僕は一生モータースポーツを楽しみ、期待し、そして恨み続けるだろう。今日の日曜の夜風はいつもより冷たく、そして儚いものである。まるであの日のように。そして来年は冷たいだろうか。それとも心地よいだろうか。その風を心待ちにして、今日から来年の今日までの1年間を過ごし始める。可夢偉よ、可夢偉さんよ、俺は一生あなたのファンだ。今までたくさんの夢をありがとう。これからも、そして、いずれルマンを勝つその時にも、あなたが与える"夢"を心待ちにしている。




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