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人との出会いを大切にする、1児の母でフォトグラファー・アベユキヘさん

様々なファッション誌や育児雑誌の表紙やページの写真を手がけ、「たまごクラブ」や「ひよこクラブ」でママカメラマンとしても活躍されている、1児の母でフォトグラファーのアベユキヘさんにインタビューしてきました!

プロフィール
出身地:
福岡県
活動地域:東京を中心に関東エリア
経歴:
大学時代に写真部でモノクロ写真を学ぶ。大学卒業後上京し、スタジオに入社。スタジオマンと専属アシスタントとして約4年半の下積みを経て、2005年にフォトグラファーデビュー。
2015年、デビュー10周年を機に、東京と福岡で個展を開催。同時期に写真集出版。2016年ロンドンのメニエギャラリーでのグループ展に出展。
現在の職業および活動:
女性ファッション誌や育児雑誌を中心に広告やwebなど、幅広く活動中。そのほか娘を被写体に作品を撮り続けている。
座右の銘:思いやり

「写真が楽しくてしょうがない」

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

アベ ユキヘさん(以下、アベ 敬称略):フォトグラファーをずっと続けていきたい、留学したい、海外に住んでみたいなど色々ありますが、今はビルボードを撮ることです。ビルボードとは、街の中にあるプリントアウトされた広告のことです。コカ・コーラや化粧品など様々な広告がありますが、私の撮った写真が、どーーーーん!と東京の街に溶け込んでいるのが夢ですね。
 フォトグラファーをやり始めた頃は、カタログや雑誌に載るようになりたいとか、個展をしてみたいとかの夢があって、その夢は叶えることができました。どうやったら叶うかはちゃくちゃくと積み重ねていくことだと思います。今は道がなくても、腕を磨いたり、いろんなことにチャレンジしたり。
 なにより人との出会いが大事だと思っています。雑誌の撮影や個展をやれたのも人からの紹介が大きかったです。なので、ひとつひとつの仕事を丁寧に向き合ってやることを大事にしています。仕事がどこでどうつながるかはわかりません。実際に雑誌の写真を気に入ってくれた企業さんから「パッケージやHPにも使わせて下さい」と言ってもらえたこともありました。私はふんわりした写真や自然光とかナチュラルなイメージをもたれていることが多く、クライアントも「ふんわりした写真が欲しいからアベさんに頼もうか」と言ってくれるので、私の好みを活かして、いろんな人とつながって、いろんな人と仕事をして、写真を撮っていきたいです。
 それから、「いい瞬間切り取るよね」という写真を撮っていきたいです。それがなかなか難しいのが子どもなんです。子どもは自分のお母さんに一番いい表情をするので、自分の子を撮るのは私にしかできないと思っています。できれば自分の子を通して、一人の人間の成長を撮っていけたらと思っています。

Q.夢を具現化するためにどんな目標や計画を立てたり、取り組みをしていますか?

アベ:小さな目標は書き出すようにしています。やりたい!と思ったらやってみたいリストに入れます。夢や目標を叶えている人の話を聞いて「いいな」で終わるのではなくて、私にもできるんじゃないかとまず考えます。その後から自分自身に「やりたい?やりたくない?」と聞いて判断をします。
 自分に必要のないことだったら抜ける情報が、自分の中に留まったということは何か興味があることだと思うんです。だからそれをどんどん取り入れています。「絶対に叶える」ではなくて、やってみたいリストにぶち込むだけです。だから気軽にぽんぽん取り入れられます。「あのコートかわいいから今度買おう」とか「あの髪型かわいいから今度やってみよう」とか。絶対叶えなくてもいいから、やってみたいと思うものを集めてストックしています。すべての情報が私のやってみたいになります。

Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をしていますか?

アベ:大事にしていることは、フォトグラファーは対「人」なので誠実にやることです。小さなことで言えば、撮影には遅刻せずに行く、納期を守るなどです。ひとつの写真を作り上げるのにはいろんな人が関わるので、私のひとりよがりになってはいけないし、そのチームワークが大事だと思います。
 あとは、打ち合わせをしっかり行うようにしています。「モデルは誰にする?背景はどうする?光はどうする?ふわっとするのか、影をつけるのか?」と、どんどん話しながら決めていきます。ときには「待って、こっちのほうが良くない?」など、いろいろ言い合いながら作り上げていく。その作業がホントに楽しいですし、それを大切にしています。

Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?また、写真のどんなところが魅力なのですか?

アベ:私が写真に惹かれたのは奥深さもそうですが、選択肢の多さです。フィルムにも特徴があり、どのフィルムを選ぶかによって全然違います。現像液も撹拌するスピードで違いますし、グレーが多いのか、白黒はっきりさせるのか、温度でも変わるので、自分の手しだいで何でも変わります。パキッとした写真にするのか、光を当てるか当てないかなど、ものすごく選択することがいっぱいあるんです。初めは自分の手で撮ったものをプリントするだけだと思っていましたが、現像も含めて自分の手でどうにでもできるんだと分かり、写真が楽しくてしょうがなくなって、どんどんのめり込んでいきました。
 以前はヤン・シュヴァンクマイエルというクレイアニメの作家にすごく影響を受けていて、シュールレアリズムな世界を表現するのにはまっていました。私がはまっていたのは、わりとシュールな表現で、口元だけとか、目のぎょろぎょろとか、耳を接写したり、手のしわを接写したり、背中がモノクロで夜と砂漠のように見えたり、ピーマンを接写すると耳に見えたりなど、ヤン・シュヴァンクマイエルのような表現をできるのが楽しかったんです。
 子どもを生んでからはシュールレアリズムには惹かれなくなりました。瞬間を切り取る写真など、私の好みは確立されてきたからだと思います。特に光は意識して撮っています。今は「この部分を撮ったらあの部分はぼけて、この部分はこうなる」と頭の中で写真のイメージを組み立てられます。そのイメージと現実のものを近づけていくのがすごく楽しいです。

Q.そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

アベ:高校生のとき、短期留学で初めて海外に行って写真をたくさん撮ったときに、写真が楽しいと思ったんです。写真を学べる大学の進学も考えましたが、いろんな人に出会いたいと思い、大きな大学に進学しました。その大学の写真部を見学したときに、飾られていたモノクロ写真が凄くよくて、「この写真を撮った人に会わせてください」と言って部長を呼び出したんです(笑)。その部長に話を聞いて、写真部に入部することを決めました。写真部では、フィルムを作ったり、撮影をしたり、暗室でプリントをしたり、紙焼きをしたり、どっぷりと写真漬けの毎日を送りました。
 卒業後は2〜3学年上に東京に下積みに行った先輩がいたので、私も1年間バイトでお金を貯めてから上京しようと思っていました。けれどもその先輩から「大学4年間で貯まらなかったお金が1年で貯まるわけがない。お金がなくても速攻来い!20代前半の1年を無駄にするな!」と言われたんです。確かに福岡でぬくぬく過ごす1年よりも、お金がなくても必死で過ごす東京での1年の方が私にとって良いだろうと思い、6月には上京していろんなスタジオを受けました。後に入職するスタジオに「私は福岡から来ていて、ここで採用してくれたら今日この後東京の物件を決めてくるので、早く決めてくれますか」と言いました。そうしたら向こうもビックリしながらも「採用するよ」と言ってくれ、その足で物件を決めました。
 それからは、4年半下積みをしました。時代はカラー写真がメインだったので、モノクロしかやったことのない私は全然通用しなかったんです。でも、その期間を必死に勉強したことが今の私につながっていると思います。

記者:アベさんがどんな背景から今のお仕事につながっているのかを聞くことができ、アベさんの魅力をより感じることができました。今日は貴重なお話を本当にありがとうございました。

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【編集後記】
今回インタビューを担当した重松です。
アベさんのワクワクしながらお話する姿がとても印象的でした。誠実に、チャレンジ精神を持ってお仕事に取り組んでいる姿はとても素敵だと思いました。アベさんの益々のご活躍を期待しています!

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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