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価値観や法律がアップデートしていくなかで、過去の瑕疵にどう向き合うか - 旧優生保護法裁判について/2019/05/29 AbemaPrime出演まとめ

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▼放送中の発言

▼放送中の発言

パックン「価値観が見直され、法律も見直されて、より良い国になってい君でしょうかね。このプロセスが繰り返されているということは、違憲の法律に未だ気づけていないなど、30年後の価値観ではありえないようなことを僕たちは今している可能性はありますよね。」

自分「そりゃあそうだと思います。現行の法律として今は認められているかもしれないけれど、違ったものが認められる可能性もあるかもしれない。今の現状でそれを話すのは難しい。ただ、過去に対して検証を行って、間違いがあれば間違いを認めるというのは1つやり方としてはあるかな。

でも、当時は理解されていなかったというと、どちらかと言えばテクニカルな話になってしまうので、だからこそ僕は裁判で示して置かなければならないと思う。

いつまでたっても経っても到達点が見えず、議論をする過程が目的になってしまうように捉えられてしまうのはもったいない。

だって、『世の中が良くなってほしい』というのはみんな同じですから。」

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自分「『国と戦う』じゃなくて...さっき和解のポイントがないという話もあったと思うんですけど、和解のポイントの指示すらなくリングに上がっている感じが国もみっともないなと思ってしまう。

『これはまずいからなんとかしようよ』っていうのは皆同じだから課題解決の方に向かうべきなのに、なんでリングで戦い続けているんだろうって思っちゃいます。」

▼放送後に考えたこと

あくまでも思考ゲームね。

自分が子供の頃、1980年代、タバコは本当にあっちこっちでスパスパ吸われていた。すでにその害悪やら副流煙やらの話がゼロではなかったのに、子供の目の前で。もし50年後、タバコ全面禁止になって、その時の副流煙で被害にあわれたみたいな訴訟があったとしたらどうだろうか? 過去の検証結果としてそれは不味かったけど、社会通念の一点ではどうなのだろうか。いや、タバコはその時は普通に吸われたよなのか、わかって放置した1980年代の国が悪い、なのか。

より良くなっていく上で、もちろん過去の検証も大事だし、除斥期間などテクニカルな話もあったりするけど、だからこそ立法で話をまとめてラインを引くのは必要だし、それで纏まらなければ司法で。それが現状のこの世界の理だもの。そこは、当事者以外は冷静にやろうよというお気持ちです。

クリエイターというわけではないですが、受けた支援は自分のモットー「みんなでしあわせになろうよ」のために使います!