見出し画像

いずれ明らかになる事実を先んじて報じる意味はあるの? - 朝日新聞誤報問題より - /2019/07/10 AbemaPrime出演まとめ

▼当日の記事

▼オンライン発言

▼放送中の発言

宮澤エマさん「勝負に振り切ったことによって得るメリットってなんですか?」

新田哲史さん(アゴラ編集長)「はっきり言って書いた記者の評価が上がるだけ。」

自分「実際問題その何時間後に方針自体が出てきちゃうわけじゃないですか。3時間早めてある意味大本営の発表を待たずして、メディアが報じて後追いで発表されたところで情報を受け取る一般人からしてみれば、ちょっと早く知れたかもしれないけれどそれは結果的になんの必然性があるの?という話で。そこはあくまでも送り手の論理でしかないかな。」

〜〜〜〜〜

堀さん「一般の方々が情報に踊らされてしまう。しかも生命と財産をかけて名誉をかけて...そうしたもののなかで翻弄されてしまうっていうことに関して、我々の責任の重さを痛感するなと、自戒の念を込めて思います。

気を抜くと空気に飲まれて走ってしまうことがあるんですよ。しかも気づかないうちのバイアスっていうのが自分にもかかっていて。」

自分「それでいうんだったら、表明まで待てなかったの?表明まで待ってそれから解説記事とかそういうのを積み重ねるべきだったと思ってしまう。」

新田さん「待つことも勇気なんですよ。結局今回みたいに最後を決めるのが...安倍総理がもしギリギリのところでひっくり返すってなったら決められないですよね。やっぱそこは『ここは勝負すべきでないところだ』と判断するかどうか。現場の記者だけじゃなくて、デスクや編集局の幹部含めたトータルの構造の部分で見て行かないといけなくて。」

▼放送後に改めて思ったこと

スクープにも種類がある。いずれ発表される事実と、発表されない事実。隠そうとしている事実を明らかにするのはやるべきだと思う。ただ、今回のはいずれ発表される事実をちょっとでも早く知らしめるというのはどうなのだろう?

例えば訃報。ちゃんと遺族の口から発表したい思いがあるのに先んじてメディアが出してしまう倫理意識はどうなのか。経済なら会社の状況。だいぶグレーな状況にある会社があるとします。そこでメディアがもうすぐこの会社倒産しそうとスクープします。なにがおきるか。取引先から連絡がきてそんな不安定なところと取引できるか→倒産。グレーの最中、頑張って取り返そうとしている中のひともいるのに。預言を的中させてしまうという力があることを認識しているのか。

今回のはいずれ発表される事実。そこを先んじる必然性はどこに? 報じる側が勇気という言葉で先んじることはちょっと受けてからするとわからないというのが、伝え手をお仕事としてやってる身からしても正直に出てくる想いです。




クリエイターというわけではないですが、受けた支援は自分のモットー「みんなでしあわせになろうよ」のために使います!