「秀でた個人」を称賛する程余裕がないのだ

『この発明の背景には、オープンマインドな物理学者が大勢参加する国際共同研究において、グラフやデータを世界規模で共有したいという強いニーズがあった。やる気さえあれば、技術の問題は技術で解決できることが多い。仮にそこに汎用性があり、小規模から大規模までスケールでき、誰でも便利に使える技術であれば、それは技術イノベーションとなり、やがて制度イノベーションを通して、社会イノベーションを引き起こす。そのようなWWWが誕生してから30年、それが今年2019年である。~「パソコンの父」と呼ばれるコンピュータ科学者のアラン・ケイ。彼は1960年代に大型計算機しかなかった中、誰でも使えるパーソナルなコンピュータを作りたくて、それに「ダイナブック」と銘打ち、そして実際にそれを作ろうとした(ただし、東芝の1989年発売のPC「ダイナブック」はそれとは別のもの)。その試作機の一つの「Alto」は1979年当時、ゼロックス社の研究所Parc(Palo Alto Research Center)で、見学に供されていた。その見学者の1人が後述するスティーブ・ジョブズで、彼はそれを見て衝撃を受け、それがやがて1984年にMacintoshに結実した。Windowsもその「コピー」として誕生したとされる。そのアラン・ケイの講演を筆者は2003年に、関西大学総合情報学部の10周年記念で聞いたことがある。その時、彼は「(当時の)WindowsOS+MS-Officeのソースコードは何行か知っているか?」と聴衆に問いかけ、ことも無げに「260 million lines(2億6千万行)」だと言った。そして「これでは誰も理解出来ないだろう、しかし私なら数千行で書ける」と続けた。アラン・ケイは「オブジェクト指向」と呼ばれるソフトウェア的な構造体を発明したことでも知られる。これもアポロ計画で複雑になり過ぎたソフトウェアを、分かりやすく整理し、構造化したいという要求から発達したソフトウェア工学の、その一部となった。その彼は他方で、Squeakという子供向けの言語を作って、教育にも熱心だ。そんなアラン・ケイに流れる一貫した姿勢は、「このコンピュータという素敵な発明を、誰もが簡単に使えるようにしたい」という熱い思いだったのではないか。~「マウス」を発明したダグラス・エンゲルバートもそうだ。彼は、「あの使いにくい文字入力のヒューマン・コンピュータ・インターフェイスを何とかしたい」という思いから、原始的ながらも今のマウスそっくりのデバイスを発明した。~一般にも馴染み深い、アップル社を創始したスティーブ・ジョブズ。若い頃の彼のインタビュー動画を見て、私は驚愕した。彼は、「こういうデバイスを世界中の人々が持っている姿は想像するだけでワクワクしないか?」と茶目っ気たっぷりに語る。そしてジョブズはどのプレゼンでも、聴衆と共に夢を語ることを忘れなかった。同様に、マイクロソフト社を興したビル・ゲイツは、貪欲なビジネスマンだと思う人も多いが、それは正しくない。彼はハーバード大学を中退してでも、自分の理想を実現しようとした。両親からも言われたらしい。なぜ、そんな聞いたこともない会社に行くのだと。彼は「最初から、我々の目標は『すべての机と、すべての家庭にコンピュータを』」だったと語る。直近では、囲碁AIの「アルファ碁」を作ったディープマインド社のデミス・ハサビスは、自分がAIを開発した理由について、「人間には出来ない問題解決を出来るようにするため」と語っている。そのような解決困難な課題の例として、気候変動、病気、エネルギー問題、マクロ経済学、物理学を挙げ、AIはそのための”Meta-Solution”(より上位レベルの解決法)としている。そして「自分の夢は……」と続け、「それは『AI科学者』あるいは『科学研究の支援AI』の実現だ」と語る。デミス・ハサビス自身が脳科学を専門とする科学者なのだ。グーグル社の創業者、セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジの2人が「ページランク」の論文を執筆した1998年。当時の検索エンジンである程度使えたのはDEC社のAltaVistaだったが、それでも欲しい情報の検索式は長かった。だからこそ、グーグルの登場は衝撃的だったと言える。しかし筆者がもっと感銘を受けたのは、彼らの理念であった。グーグル社のミッションは「世界中の情報をオーガナイズし、どこでもアクセスでき、利用できること」と宣言し、実践している。前述のデミス・ハサビスもこの理念に共感して、グーグル傘下に加わったと語っている。私が冒頭で「日本のITはビジネスの品揃えの一つに過ぎず、経営効率しか考えていない」のではないかと書いたのは、2001年のITバブル崩壊の時に感じた違和感が原点だ。当時はインターネットの基盤整備が劇的に進歩し、やっとITで新しい時代が作れると私は思っていた。その矢先、ITバブル崩壊と言われ、「そうか。日本ではPCが売れることがITなのだ」と、後の私は理解した。アメリカでも同様に1999年〜2000年頃、ドットコムバブルの崩壊が起こった。しかし、2001年9.11以降の戦争宣言と「戦時景気」に救われたとされる。以降アメリカは新たなIT文明の時代に向かう。例えばティム・オライリーがWeb2.0論を提唱したのは2005年、iPhoneの登場は2007年である。どちらも今では当たり前となったが、我々の生活を変えてしまった。日本では2000年のIT基本法に伴い、e-Japan計画、u-Japan計画(u:ユビキタス=遍在、「どこでもコンピュータ」)などが矢継ぎ早に放たれた。情報基盤の整備の結果、光ファイバー普及率は世界一と言われた。しかし、その実情は惨憺たるものだった。日本のオフィスの多くはこの動きを生かせず、組織も人もそのままに、PCとネットだけが机上に置かれただけで終わった。当時の行政による「IT講習」は、単なるWord・Excel講習に終始。民間企業では業務用ソフトの導入が進んだが、異なるITベンダーが似たシステムを開発して納入した。その数年後、類似システムの統合(水平展開)の話が出てやっと、業務の本来のワークフローの見直しが必要だったと当事者が気が付いたのである。』

島国であり農耕民族が多く自然災害が多く「出る杭は打たれる」ヒノモトという土壌では「秀でた個人」を称賛する程余裕がないのだと思う。これからどうするか?で変われるのだ。

日本のITにいまひとつ“覇気”が感じられない「シンプルな理由」
なぜ日本人は夢や理想を語らないのか
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66865

文中の
「ソニー創業者 盛田昭夫氏メッセージ」
全編映像/日本経済新聞のリンク
https://www.nikkei.com/video/6053345151001/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?