「地球」という小さな惑星で…

『梅原:そう、そのような一見すると調子のいい行動が当たり前だったのです。そして、そういう行動をとっても後ろめたさを感じないように、武士たちが共通してもっていた精神的な拠りどころが、日本独特の怨霊思想というものです。それは簡単にいえば、恨みを残して死んだ者の祟りを恐れるという思想です。祟りを恐れるがゆえに、勝った親分と敗者の子分が一緒になって、負けて死んだ親分の怨霊を祀ります。そうすることで、敗者の子分は後ろめたさを感じることなく勝者についていくことができる。生き残った者が一体になれるのです。日本には古来、そういう考え方がありました。将棋にもこの思想が入ってきたのではないかという気がします。羽生:たしかに持ち駒使用のルールがあることで、日本の将棋だけが駒の色が全部同じで、敵味方の区別なく一体ですね。ほかの国の将棋はすべて、敵と味方が白と黒などに色分けされています。梅原:「一体」という日本の伝統が、将棋においても持ち駒というルールを生んだのではないかと思います。羽生:そうした、死者の霊を恐れるという考え方は、日本独特のものなんですか。それとも、仏教の国に共通しているものなのか、あるいは西洋などにもあったのでしょうか。梅原:死者の霊を恐れるという考え方は、おそらく世界中、どの国にもあったでしょう。しかし日本に独特なのは、怨霊思想がとりわけ強く残ったことです。怨霊とはつまり、恨みを残して死んだ人、非業の死をとげた人の霊です。それを鎮めることが、日本古来の信仰の基本にあった。それが日本流の神道や仏教などを発展させてきました。たとえば日本の代表的な祭り。大阪の天神祭は平安朝で失脚して九州に流された菅原道真の霊鎮め、東京・浅草の三社祭は反乱を起こして討伐された平将門の霊鎮めです。京都の祇園祭も疫病の流行で亡くなった人たちの御霊(みたま)鎮めですね。いずれも、無念の最期をとげた人たちを祀っています。関西の人がいちばん恐れるべき霊は道真で、関東では将門であるのもそのためです。羽生:非業の死をとげた人の霊だから祟りが怖い、だから祀るのですね。梅原:それゆえ、戦いで死んだ兵士を祀る場合も、祀るのは味方の死者ではなく、敵の死者です。殺した敵の霊が祟るのを恐れて祀るのです。その意味で、味方の死者ばかりを祀っている靖国神社は、日本の伝統からそれています。本来なら中国や朝鮮で殺した人たちの霊を恐れ、祀るのが日本の神道です。だから、靖国神道は当時の国家によって意図的につくられた宗教だと私は考えています。羽生:日本人は殺すことに罪の意識をより強く感じてきたとすれば、それはなぜなんでしょう。梅原:日本が島国だからということはあるでしょうね。西洋にしても中国にしても、国どうしが地続きで、たえず異国、異民族に侵略される脅威に直面してきました。言語も文化も違う敵国の人間を、なかなか信用はできません。だから戦争に勝った側は、禍根を残さないためにと、降伏させて味方につけるより殺すことになってしまう。それに対し日本人は、明治になって海外へ戦争に出かけるようになるまで、戦いといえばもっぱら内戦です。いくら国内で争ったところで、言葉も文化も同じ、顔も同じ。極端な話、誰かを殺せば必ず自分の先祖につながってくる。敵といえども大量に殺すのは寝覚めが悪いですね。それで、できるだけ殺す数を少なくするように工夫もするわけです。これは日本人の知恵ともいえますね。羽生:いまのお話を伺っていて思い出したんですが、チェスの世界では、これをやってはいけない、これもだめと、いろいろなことが、将棋の世界よりもはるかに細かくルールで禁じられているんです。基本的に人間を信用していないというか(笑)。逆にいえば、禁じられていないことならどんな手段でも使います。たとえば、休み時間に仲間と研究することは禁じられていないので、そうするのが当たり前になっています。対照的に将棋の世界には伝統的に、ルールなどなくてもそんなことをする人間はいないだろうという、相手を信用する考え方があるんですね。いわばチェスは性悪説、将棋は性善説にのっとっているといえるかもしれません。~梅原:基本的に国内だけで戦ってきた日本では、将棋のルールにも「そこまで決めなくても」という同じ文化に生きる者どうしの共通理解があるのですね。ところが西洋は異文化の衝突の歴史なので、チェスも生き馬の目を抜くような戦いにならざるをえない。戦いのなかにも礼節を見出す「武士道」という考え方も、日本が内戦の国だったからこそ生まれたものかもしれません。とすれば、将棋の持ち駒というルールと武士道は、一見相反するようですが、いずれもきわめて日本的なものという点で共通しているといえます。日本人が変わってきたのはやはり、明治になって、外国と戦争するようになってからでしょうね。』

日本の将棋が独特のルールに成ったのも頷ける。やはり小さな島国で内戦を繰り返しながらもうまく生き延びてきた集団の知恵は今となっては「地球」という小さな惑星で人類がどのように生き延びるかの知恵にも通じると思うのです。

羽生善治と学ぶ、将棋と武士道の結びつき
『教養としての将棋』本文の一部を特別後悔←公開の間違え?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65516

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