「人類が滅亡する」と思ってしまうのはごく自然な事だろう。

『山中:ダーウィンは、進化の中で生き残るのは、いちばん強い者でも、いちばん頭がよい者でもなく、いちばん適応力がある者であると言いました。適応力は、多様性をどれだけ保てるかにかかっています。ところが今、人間はその多様性を否定しつつあるのではないか。僕たちの判断で、僕たちがいいと思う方向へ生物を作りかえつつあると感じています。生物が多様性を失い、均一化が進むと、ちょっと環境が変わったとき、たちどころに弱さを露呈してしまいます。日進月歩で技術が進む現代社会は、深刻な危うさを孕んでいると思います。~山中:そんな人物がどうして残虐になり得るのか。それを検証したのが、イェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムが行ったアイヒマン実験です。この実験の被験者は教師役と生徒役に分かれ、教師役が生徒役に問題を出します。もし生徒役が問題を間違えると、教師役は実験者から生徒役に電気ショックを与えるように指示されます。しかも間違えるたびに電圧を上げなければなりません。教師役が電気ショックを与えつづけると生徒役は苦しむ様子を見せます。ところが実際には生徒役はサクラで、電気など通じていない。生徒役の苦しむ姿は嘘ですが、叫び声を上げたり、身をよじったり、最後には失神までする迫真の演技なので、教師役は騙されて、生徒役が本当に苦しんでいると信じていました。それでも、教師役を務めた被験者の半分以上が、生徒役が失神するまで電気ショックを与えた。教師役の被験者がひとりで電気ショックのボタンを押すのなら、そこまで強いショックを与えられなかったでしょう。ところが、白衣を着て、いかにも権威のありそうな監督役の実験者から「続行してください」とか「あなたに責任はない」と堂々と言われ、教師役はボタンを押すのをためらいながらも、どんどんエスカレートして、実験を継続したんです。浅井:ショッキングな実験結果ですね。権威のある人のもとで、人間は際限なく残酷になってしまう。山中:研究にも似ている側面があるのではないか。ひとりで研究しているだけなら、生命に対する恐れを感じて、慎重に研究する。そういう感覚はどの研究者にもあると思います。ところがチームになって、責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていたというのは、実際、科学の歴史だけでなく、人類の歴史上、何度も起きたし、これからも起こりえます。科学を正しく使えば、すばらしい結果をもたらします。しかし今、科学の力が強すぎるように思います。現在ではチームを組んで研究するのが一般的です。そのため責任が分散され、倫理観が弱まって、危険な領域へ侵入する誘惑に歯止めが利きにくくなっているのではないかと心配しています。浅井:山中さんご自身も、そう感じる局面がありますか?山中:そういう気持ちの大きさは人によって違います。僕はいまだにiPS細胞からできた心臓の細胞を見ると不思議な気持ちになる。ちょっと前まで、血液や皮膚の細胞だったものが、今では拍動している、と。ヒトiPS細胞の発表から12年経ちますが、この技術はすごいと感じます。しかし人によっては、毎日使っているうちにその技術に対する驚きも消えて、当たり前になる。歯止めとして有効なのは、透明性を高めることだと思います。密室で研究しないことです。研究の方向性について適宜公表し、さまざまな人の意見を取り入れながら進めていくことが重要ですし、そうした意見交換をしやすい仕組みを維持することも大切だと思います。(構成・執筆:緑慎也)』

「多様性を認めてしまった責任を負う時期に来ている」と言い出して既に十余年が経った。それは「正しさ」がひとつに成ることは無く、常に雑多な状況こそが「多様性を認めている」と言えるのだ。また、集団になり権威による意味付けがされるとヒトは軽々と一線を越えてしまう。「人類が滅亡する」と思ってしまうのはごく自然な事だろう。漫画デビルマンでは「雷沼教授」という権威によって結局は人間狩りがヒトビトによって行われ人類は滅亡へ向かうのだった。

山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」
生命科学の危険性とは何か?

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67554

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