根本的な解決は「時が経てば…」なのかもしれない。

『都内の大学に通う女性(21)は、高齢の、とくに男性に嫌な思いをさせられることが「しょっちゅうある」と言う。たまたま靴擦れを起こして駅をゆっくり歩いていると、70歳くらいの男性に「ふらふら歩いてんじゃねえよ」と杖で足を叩かれたり、電車に乗る時に強引に割り込まれたり。「最初は悲しくて、後になってムカつくことが多いです。今では『高齢の方は周りの若い人に嫌悪感を持ち、見下してる』という結論になっています」この女性はもともと、老後への不安が強い。この先、自分は結婚しなかったらどうなるのか。一人でお金をためて老人ホームに入るのか、そこもいっぱいだと孤独死するのでは──。そこまで考える。そんな中、年金の話題に接したり、病院の待合室で高齢者の姿を見たりすると、モヤモヤすることもあると言う。「周りの友達には、病気になってもお金ないから病院に行けない人もいる。高齢の方は1割負担(75歳以上)で病院に行って、そんなに重い症状でもないのに、病院の待合室でしゃべっている光景を目にすると、高齢者との間に不公平感を覚えることもあります」SNSで高齢者への憎悪の言葉を目にすることは多い。自身で書き込むことはないが、彼らの心理は「正直、わかる」と。「そうすることで若者が優位に立てるからだと思います。自分よりも下の存在を作ることでプライドが落ち着く、みたいな」〜その背景には「ゆとり教育」や「若者の○○離れ」といった言葉も影響していると男性は指摘する。勝手にレッテルを貼られ、批判にさらされてきた結果、上の世代へのヘイトを募らせていった人も多いのでは、と。そしてこうも言う。「これまでの鬱憤を晴らすために同じようにレッテルを貼って高齢世代を叩く、という構図が少なからずあると思います」現在、この作品の長編を制作中だ。準備として高齢者への取材を重ねている。PLAN75のような安楽死制度ができたら、どう思うかを尋ねると、「あった方がいい」という声が多数を占めた。「人に迷惑をかけたくない」「死ぬときは自分で選びたい」という理由からだ。迷惑をかけられていると感じる若い世代と、迷惑をかけたくないと思う高齢者。なぜギャップが生まれるのか。「お互い接する機会が減ったので、双方の『顔』が見えてない。老人ホームと幼稚園を同じ敷地につくるとか、高齢者へのボランティアの時間を中高校生の必修にするとか、逆に高齢者が子どもたちを世話してあげるとか、そういう良い体験があれば、『老人死ね』とか『年寄り迷惑だ』とか言わなくなるんじゃないかと思います」(同)世代間憎悪を少しでも良い方向に導くには長い年月がかかるだろう。前出のマライさんも「簡単な解決の道があるとは思えない」としつつ、あえて逆説的な言い方をすれば「みんな公平に不幸になる」ならば納得される社会に行き着くのではと言い、こう悲観する。「今の高校生たちは、『平等に普通に暮らす』を目指してると思うんです。それがあと数年たってうまく就職できないなどで、いわゆる非リア充層に入ってしまうと、目指す方向が『普通』ではなく『みんな同じような悪夢の中で生きるなら、まあそれもいいか』といった感じに変わっていく。若者も高齢者も平等に不幸になることで世代間の憎悪は消せるかもしれませんが、その先にある社会もまた、怖い世界です」』

昔から「老害」なんて現象はあったのだろうが、今の「#老害」は因果応報?超高齢?な社会背景も原因な気がする。自分達が現役の時には数にモノを言わせてやりたい放題だったツケを負わされるのが下の世代だったり、60歳以上の老人がこれほど多いのも人類史上初めてだからだ。私の知人女性も記事にある様な「ダメな老人」に「まっすぐ歩け!」と殴られた事があると聞いた。昔から一定数の「ダメな老人」もいたのだろうが「数」が多いと悲惨で理不尽な事件や「ダメな老人」と遭遇する機会も自ずと多くなるのだろう。根本的な解決は「時が経てば…」なのかもしれない。

「#老害」ネット上に溢れる"世代間憎悪"の実態
リア充のまま死んでいく高齢世代への拒絶
https://toyokeizai.net/articles/-/304643

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