「不器用さ」があった方が定着する

『今回の実証実験の最大の特徴は「道路設備との連携」「遠隔操作」「車掌乗務」だ。バスだけで解決するという考えから、インフラを組み合わせてバスを導くという考えに変わった。自動運転を完全な自律運行だと考えれば後退だけど、現実的な回答に近づいた。~遠隔監視システムは車内の状況監視のほか、運行にも関与する。もともと監視者は、車内の異常を確認した場合に停車させる権限を発動できる。今回は発進についても指示を出せるようになった。例えば、横断歩道からの発進について、前回は運転手が安全確認して発進スイッチを押していた。それは今回も同様だけれども、遠隔操作でも可能にしたとのこと。つまり、遠隔運転手が運転手の代わりを務められるため、無人運転の仕組みが整った。さらに、車掌を乗務させた。車内のトラブルや乗客のサポートを担当する。遠隔サポートと連携し、緊急停止の権限を持つ。今回はベビーカーの乗車を手伝う場面を想定した。無人運転による不安を取り除き、安心して自動運転バスを利用できる。自動運転で無人運転が可能、という理想からは離れるけれども、バスの営業運転では中型二種運転免許、大型二種運転免許が必要で、人材確保面で制約が多い。しかし車掌は極論すれば運転免許も不要で、雇用対象となる人材範囲が広がる。小田急グループが目指す自動運転の当面の目的は「バス運転手不足の解決」だから、車掌乗務は問わない。自動運転は無人運転と同列に扱われることが多いけれども、実際は違う。まず自動運転があり、無人運転は究極の目標だ。自動運転から無人運転へは緩やかに移行していく。私個人的には、サービス業務のロボット化は可能であっても、顧客からは受け入れられにくいと思うから、完全無人運転は難しいのではないかと思う。ゆりかもめや六甲ライナーなどの新交通システムは完全自動運転だ。しかし、乗ってみると景色を楽しめるほかは「横に動くエレベーター」のようで味気ない。舞浜駅とディズニーランドを結ぶ「ディズニーリゾートライン」は完全自動運転だけれど、車掌として「ガイドキャスト」が乗務する。顧客へのサービスは人の手と心が必要だ。そこも自動、無人化するなら、擬人化アンドロイドの実用化だろう。~自動運転バスも進化している。前述した信号機との連動だけではなく、今回は路上駐車車両の回避も自動制御可能になった。また、前回は起点と終点だけの運行だったけれども、今回は運行距離を延長して、途中に停留所を設けた。GPSによる停留所認知、道路脇に寄せる停車を行った。ドア開閉は車掌および遠隔操作。発進は運転手または遠隔操作だ。~続いて、今回初めて設置された中間バス停「江ノ島水族館前」に停車。ここは江ノ電バスの正規の停留所で、自動運転により正しい位置に停車。ここでベビーカーの乗車実験が行われた。バスの車体が小さいため、前方乗車口から載せたところ、他の乗客が着席した状態では通路を通れない。私たちは試乗1回目で、この教訓をもとに次からは降車口から載せた。実験の効果アリ。また、介助や乗降口変更などの対応として、車掌の役割は大きいと分かった。バスが発車するとき、運転自体は自動であったけれども、運転手さんが窓から後方確認し、手を出して後続車にアピール。ここから右側の車線に移るためだけど、それを人がやってしまったら、車の流れに沿った自動運転実験にならない気がする。この動作の代わりになる仕組みが必要だ。それは車掌の役目かもしれない。~帰路も自動運転、横断歩道などで自動停止、運転手による発進操作で順調に進行。ただし、自動で左折する予定だった江ノ島入口交差点は、路肩部分で植栽整備作業があったため手動運転だった。道路工事は事前に許可が必要で、その情報が得られた場合は自動運転を設定可能だったという。今後、道路使用許可情報などの連携、交通警備員への対応なども必要だ。こうした課題の洗い出しは、取材日以外の一般試乗期間でも行われたはずで、実証実験としては成功だっただろう。18年の第1回実証実験で私が感じた「自動ではない不満」について、第2回ではきっちりと解決、または解決案を見せてくれた。なるほど、自動運転はこうして進化していくわけだ。江の島は20年東京五輪のセーリング競技会場になっており、小田急グループはそこで自動運転を実用化したい考えだ。しかし現状は、理想の自動運転までの道のりはまだ遠いと感じた。例えば、停車の動作はぎこちない。スムーズに停まるかと思ったら、最後にキュッと停まって、つんのめる感じがある。これは自動運転の安全性を高めるため、メリハリをつけてしっかり停止するようにプログラムされているからだろう。当日に試乗した神奈川県知事の黒岩祐治氏は、前回に比べて進化したと評価する一方、この停止時の挙動が気になったようだった。私は鉄道ファンのせいか、自動車を運転するとき、街路では電車のような操作を心掛ける。少しずつマスコンのノッチを上げるように加速し、停止するときは強めにブレーキを踏んでから、少しずつ踏む力を弱めていく。こうすると電車のようにスッと停まる。信号を見て、歩行者信号の動きなどを察知して停車を判断し、停車がスムーズに決まるとうれしいし楽しい。そんな小さな達成感でドライブしている。自動運転バスの場合、ブレーキを緩めていくという動作はリスクが大きいかもしれない。マイカーの高度運転支援システム(ADAS)でオートクルーズの渋滞区間を走らせたときも同様の挙動になる。安全を極めた後になるかもしれないけれど、乗り心地については研究の余地がありそうだ。大きな問題が解決すれば、小さな問題が目立つ。その一つ一つを解決して自動運転は理想に近づく。18年9月は落胆しかなかった自動運転。19年8月には課題と解決の道筋を見せてくれた。』

一言で「自動運転」と言っても何段階もあるのが実証された実験だったのだろう。テクノロジーを人間の社会に浸透させてゆくのは、様々な「経験値」の蓄積が必要だ。それは赤ちゃんがハイハイをしてようやく立ち上がるくらいの「不器用さ」があった方が定着するのかも知れない。

がっかりだった自動運転バスが新たに示した“3つの答え”
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1909/06/news044.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?