なんの庇護もなくたったひとりで自然に放り出されたら今でもヒトは最弱の部類に入る地球上のイキモノだからだ。

『ここで懸念されるのが社会問題の「優先順位の崩壊」と、社会運動の「世代間闘争化」だ。当たり前だが、社会問題は「地球温暖化」だけではない。貧困や飢餓、難民、地域紛争、伝染病など多岐にわたる。資金やリソースが限られる中で、全体のバランスとの調整を図ることが必須となる。もし何が何でも「地球温暖化」対策が最優先となれば、そのために第三世界の人々が多大な犠牲を払うかもしれない。~また、“世界の終わり”を掲げた社会運動が急進化することで、他者への憎悪が促進される可能性がある。エコバッグや水筒を持ち歩き、飛行機には乗らずに電車に乗り、肉食はできるだけ控えることが重要な指標となり、それ以外のライフスタイルを否定することによる「分断」が引き起こされるおそれだ。「分断」そのものが焦点化されることで冷静な議論が行われなくなるだけでなく、取り巻きにいる人々も「ライフスタイル闘争」「世代間闘争」に目を奪われがちになる。「エネルギー政策の妥当性」などの地味なイシュー(争点)よりも、「地球環境の危機」の切迫性が真実か、そうでないかで対立が過熱していく。その隙に、国や企業は、わたしたちの置かれた境遇などお構いなしに「新たな権力」「新たなビジネス」の機会を狙っているかもしれない。しかもそれは「新たな負担」「新たなコスト」を強いるような悪夢を招来する可能性すらある。日本では最近、政府内で「炭素税」の導入が検討されているが、仮に導入されれば灯油やガソリンの値段だけではなく、電気料金も値上げされることとなる。日用品などの物価全般も軒並み吊り上がるだろう。最悪の場合、国や企業の努力はそこそこに、後は「国民一人ひとりの身を切る改革で」などという事態にもなりかねない。「地球温暖化」が注目されることはよい兆候であり歓迎すべきことではあるが、「熱狂化」や「闘争化」による影響で「より状況が悪化する」ことは避けたい。これはあまりに悲観的すぎるものの見方だろうか。』

私は地球温暖化が人類の営みごときを変えたところで五十歩百歩にしかならないと思っている。地球という自然は人類の営みなどちょっとしたきまぐれで木っ端微塵に破壊できるくらいの力があると敬意と共に恐怖をいだいている。この記事が指摘している様に世代闘争の道具としてはうってつけなのでこれだけ話題になるのだ。今、人類がやらなければならない事は「対立」ではなくどうしたら「共存」できるかを模索する事だろう。なんの庇護もなくたったひとりで自然に放り出されたら今でもヒトは最弱の部類に入る地球上のイキモノだからだ。

グレタへの強烈な賛否が映す世代闘争に潜む罠
社会の優先順位が崩れ分断招くおそれもある
https://toyokeizai.net/articles/-/315270

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