多様性を認めてしまった責任を負わされる時期にきている

もう20年くらい前から「多様性を認めてしまった責任を負わされる時期にきている」と表明していたが、まさにその通りに成ってきてしまった。多様性を受け入れられるのも結局は「程度」問題なのだ。その「程度」のことを「寛容」というのだ。仏の顔も三度だが私は仏ではないので三度目はねぇぞ!ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?