国民の生命より国体の方が優先順位が高いのだ。

『以上のように、国家を「サービス・プロバイダー」と「神社」の両側面で把握するならば、ニュージーランド人が「ニュージーランド人であることに感謝する」という場合と、日本人が「日本人でよかった」という場合では、表現の相似性とは裏腹に、国家に対する態度のベクトルの向きが正反対であることは明白であろう。「ニュージーランド人であることに感謝する」とは、ニュージーランド政府が、コロナ危機に際して、迅速かつ有効な政策を断行したことに対する称賛の表現である。これは、ニュージーランドという国家を「サービス・プロバイダー」として理解する態度の帰結である。一方、「日本人でよかった」という所感は、前述したように、日本食の美味しさや日本文化の美意識、日本の生活の簡便さなどに関するものであって、日本政府の仕事の内容への評価であることはまずないといってよいだろう。日本政府がどのようなものであろうと、日本人であること、それ自体への賛嘆の表現であると言ってもよいであろう。したがって、「日本人でよかった」という所感は、少なくとも日本という国家を「サービス・プロバイダー」として理解する立場の表現ではない。むしろ、現下のコロナ危機に際して日本のメディアで目立つ物言いは、「日本人は外国人に比べて立派だから、感染者が少ない」だとか「日本人ならこのような危機は容易に抑え込めるはずだ」といった、科学的根拠のない楽観論である。しかも、日本政府に関しては「政府は政府なりに一生懸命なのだから、批判などするものではない」というような(「外出」だけでなく)「批判」の「自粛」を促すような言辞が散見される。こうした一連の見解の根底にあるのは、日本という国家を「神社」的存在として理解する態度である。日本という国家が「神社」のようなありがたい存在である場合、国民に求められるのは従順な態度だけであって、国家や時の政権を批判することは「もってのほか」とされる。そうした批判の封じ込めが、非常時になればいっそう激しくなることは戦時中の歴史を振り返るだけでも明らかである。~その会見の中で同首相は、ニュージーランドが、初の感染者の発見以来25日でロックダウンに入ったと指摘し、他の主要各国がおよそ40日後にロックダウンの状態になったことと比べて迅速な対応をしたことが功を奏しつつあると述べた。翻って、日本で初の感染者が確認されたのは今年1月16日である。すでに81日が経過した今日もなお、特にこれといった大規模な対策が取られているわけではない。無論、それぞれの国で法的事情は異なり、一概に非常事態宣言を出せばよいというものではなく、適切な法整備が整わないまま非常事態宣言を出すことは、デモクラシーにとって大きな危機となりかねない。しかし、その問題は別に論ずべき課題である。本稿が問題にしたのは、国民の国家に対する根本的態度のあり方である。日本を取り巻く現実はともかく、「日本だから」「日本人だから」危機を難なく克服することができるのか。それとも、日本国民の多くが、日本という国家、とりわけ現政権を「サービス・プロバイダー」として評価しないことのツケを払わされることになるのか。目下、一つの壮大な実験が進行しているのである。』

「国家とはシステムとして悪を模倣する」と誰かが言っていたがどうも今のヒノモトの為政者は先の大戦の時とメンタリティとしては変わっていない。国民の生命より国体の方が優先順位が高いのだ。今ほど「日本国内に住んでいる日本国籍人」であることを悲しいと思った事はない。

新型コロナ危機に、あなたは「日本人でよかった」と思いますか?
その「気分」を分析する
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71655

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