サヨナラバス発車の妨げになりますので離れてお見送りください

50歳を過ぎてバスで移動しなければいけない男は悲しい。

それが夜行であれば猶更である。夜行バスの切符とはおおむね若者のあり余る時間とそのまだ頑強な腰骨だといっていい。私とてまだ若かりし頃はそれなりに世話になったものだが、今や陸路を往くことすら珍しい。

時刻は午後5時を過ぎたところ。なんとか明日の朝までに帰りつかねばならない私を、荒天による飛行機の欠航が片田舎のバスターミナルへと追いやっているのである。めくれあがったコンクリートが砂利のようになっていて、時折、革靴とこすれて嫌な音を立てた。

前方には大学生ではないような、しかし社会人にも見えないような、覇気のない若者とリュックを背負い俯き歩く若い女がいた。狭い道だから横に並んでいはしないものの、さりとて追い越すことも出来ないようなスピードでとぼとぼと歩いている。私は歩を緩めた。

「……向こう、……荷物は……とるんだっけ」
「……間くらいは……だから、…………大丈夫。なんとかする。」

女は泣いているようだった。あまりしゃべりたくないような様子で、最後だけ強く言い切って会話を打ち切った。こちらを見ることもなかった男は黙ってうつむいた。

うつむくんじゃない、こちらを見ろ。私は心の中で毒づいた。


そうだ、ああいった若者は通行人である私を見て「あっ、ヒト来てるよ」などといった物言いをする。そういわれると私はふいに頭に来てしまう。自分でもよくわからないのだが、「ヒト」とはなんだ、と思ってしまうのである。「ヒト」なのは間違いないのに、なにか勝手に「その他大勢」にされたような気になるのである。

過去にそんなことを息子にこぼしたところ(妻は「更年期じゃない?」といって取り合わなかった)、

「あー、モブ扱いがヤなんだ。まあ、ちょっとわかるけどね」

とだけ言った。後から『現代用語の基礎知識』で調べたところによると、「モブ」には英語で「理性的ではない群衆、何らかの主張や意思を持たずに行動する連中」といった意味があり、日本では「脇役」的な意味で流通している言葉であるらしい。

若者はすぐに世界をわがものとする。自らを主役と信じて疑わないような態度である。だから人を、自分と同じだけの価値がある他人を「ヒト」などと動物学上の科目で呼んだりするのだ。言語道断である。

そんなことを妻に伝えてみたところ、「でも今のあなたにはさすがに主役は務まらないんじゃない」などとずれたことを言う。憤懣やるかたなく、つまらなさそうに携帯電話を眺める息子を見たが、彼ももう、特に話す気持ちはないようだった。


前方を行く若者が本当にそんなことを言うのかどうかは分からないまま、私も二人のあとを追従する形となる。何度か車道にはみ出して追い越そうと試みたが、大き目の旅行カバンを抱えたまま縁石に足をかけるのが難しくてあきらめた。先年痛めた股関節のことを思った。

地面を擦って音を出すこともできた。しかしわざとらしい試みはイヤだった。第一、私は若者が怖ろしい。なぜなら私とて若者だったことがあり、その胸中の燃えやすさを知っているからだ。

バスターミナルとはとても言い難い、トタン屋根が続く停車場にはバスが6,7台と多くの人が並んでいて、車掌は直に出発するバスの周りで乗車確認に忙しい。私はようやく二人の後ろを離れることができた。

私はそそくさと券売機に向かう。ボタンを押すと、おつりがなかなか出て来ない。そしてジャラジャラと音がするより先にピーピーと取り忘れ防止の警告音が鳴る。それで私はまた少しムッとする。せめておつりが出てから警告するべきではないのか?まるで私が絶対におつりを忘れる粗忽者のようではないか。

憤然と券売機を後にすると後ろから係員に声をかけられる。切符を取り忘れていたのである。私は平身低頭してそれを受け取った。それで俄かに熱くなった体をさっさとバスに乗せてしまうことにした。車内はかびたような匂いがかすかにする。後方に座る派手な髪色をした若者がこちらを見やり、またすぐに目を落とした。

窓際をとれたのは僥倖だった。また少し広がった気もするような額をハンカチで二度拭って、三度尻を据え直した。ようやく落ち着ける格好になって出発を待つばかりとなった。私は窓の外を見た。

先ほどの若い女が切符を買っていた。今までいったい何をしていたのか、私は自分の失態を棚にあげてあきれ返った。連れ合いの若者は少し離れた後方で、何か言いたげに、しかしそれを悟られないように少しスカして立っている。なぜそうわかるかといえば、私とて若者だったことがあるからだ。会話から察するに、もう会うこともないのであろう。

女は私と違う行先のボタンを押すと、まるで手水を受けるかのように釣銭口に手を差し出した。私はその券売機の特性を知っていたから、それが間違いであることがすぐに分かった。彼女をあざ笑うかのように、その手をかすめて隣から切符がニュッと突き出され、時間が静止した。

そうしてたっぷり5秒はあっただろうか、ようやく釣銭が彼女の手に流れ出した。ガラスを隔てた私の耳に、届かないはずのあの警告音が蘇った。

その様子は私に、あの忌々しいトルコアイス屋を思い出させた。一昨年の夏に出かけた旅行のときの空港で、外貨を使い切ろうとした貧乏根性がよくなかった。上下左右に翻弄される私の姿は、妻や息子のみならず、周囲の観光客の退屈なトランジットの隙間時間に、ちょっとしたエンターテインメントをお届けしてしまったのである。私はそれから日本に着いてうどんをすするまで一言もしゃべらなかった。

機械に翻弄される彼女の姿はそれに似ていた。まあどちらかといえば私の方が滑稽であることは間違いないが、それに似たおかしさがあった。況してや別れの道中、彼女は泣いていたのである。しかし人生とは山あり谷あり、泣きっ面に蜂、蜂のみならずアブやムカデもやってくるのが人生である。私がいたたまれなくなって視線を外そうとしたその時、彼女はようやくこちらを――当然ながら私ではなく、あの覇気のない若者を、であるが——振り返ったのである。

一言でいえば破顔であった。それはもうよい笑顔、泣いていたのがウソのように、晴れやかな笑顔だった。滑稽芝居の登場人物にされて、恥をかかされたようになって、いったい何がおかしいのか、いまの私にはもう分からなかった。でも過去の私ならわかるような気がした。なぜなら、当然ながら、私とて若者だったことがあるからだ。

そうしてかつての、若者だった自分も、世界をわがものとしていたことを思い出した。その発見は今日のあらゆる思い出より今の私を辱めた。それと同時に、確かに自分にも主役的瞬間があったように思われた。あまりにも遠くて容易には思い出すことかなわないが。

若者も思わず肩を震わせている。周囲の「モブ」などそっちのけで二人は笑いあっていた。キャリーケースを引きずった別の若者や、私と同じような年ごろの(もしかしたら年下かもしれない)おばさんの一団が邪魔そうな目でそちらを見てもお構いなしだった。

痺れを切らした係員が「バス発車の妨げになりますので離れてください」などと声を張り上げるのがかすかに聞こえた。私は二人から目を離し、カーテンをゆっくりと閉めた。

その後の展開はおおよそわかっていた。どうせ若者は伝えたいことも伝えられず、バスに乗り込む彼女を悲しく見送ることになるだろう。その姿を目に焼き付けようと思うものの、彼の記憶に残されるのは釣銭を受け取った彼女の笑顔なのだろう。出発したバスの窓から彼女は手を小さく振る。小さくなるバスを見て、ようやく涙が出てくる。なぜそう言えるかといえば――。

私の乗ったバスが先に出発する。運よく隣の席は空いていた。

そういえば妻は「でも今のあなたにはさすがに主役は務まらないんじゃない」と言っていたことを思い出す。

「今の」について、帰ったら聞いてみよう。

そう思ってカーテン越しの窓にもたれかかった。しかし容易には眠ることが出来なかった。当然ながら、いまの私はどこにでもいる普通の、腰の悪いおっさんだからである。

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