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俺のX 2024年3月②

3/4

ドラマシリーズ『ロキ』のシーズン2を観終えたんですけど。
(ネタバレありで書くんで観る予定のある方はこのへん飛ばしてくださいね)

いいね?

じゃあ書きますね。

このお話、難しくない?

シーズン1はまだ、なんというかSFを楽しむときのお作法として一般的な「そういう設定ね」といったん飲み込みつつとりあえず登場人物たちの動向を追っていく流れでじゅうぶん楽しかったんすよ。終盤「時の終わり」ってなんだ、っていうのも、まあだいぶぎりぎりの「そういうもんなのね」でイケた。結果めちゃくちゃ面白かった。

そこからちょっと経ちましてシーズン2だったんですが。

なんかこう、観念的すぎるというか。そもそも「時間のない場所」って何だ、っていうのをグッと呑み込んで観てたシーズン1からさらに飛躍して、その時間のない場所の存続が危うい、みたいになってくんですけど、そもそも「ない」ところにさらに失われる、というのがだいぶ腹に重くて。「えっ、うん……あれ?」みたいな、そういうのが毎エピソードごとに山積していく感じだったんですね。

映像化できないものを無理やり映像化しているようなフワフワした感じでずっと進んでいくので、登場人物の行動原理すらあやふやになってって、いやこれは何かの伏線なのかもって強く思うことで、なんとか視聴体力が続いた感じだった。

字幕では情報量が追いつかなかった感じなのか。説明は適宜されてるはず(モノローグでやっつけ説明とかじゃなく、キャラクターがきちんとしゃべってくれる)なのに、それが上滑りしててずっとモヤモヤが晴れない。サスペンスドラマとしてのモヤモヤじゃなく、あー俺ついていけてないわーっていうことへのモヤモヤね。

問題を整理しながら観進めることで徐々に晴れていくモヤモヤなら別にいいんすけど。なんかこう「何?」がどんどん増えて。ぎりぎりのところでやっぱりわからない、という感じが続いて。

でもこの「何?」が面白かった作品も過去にはあるんすよ。あったあった。ノーランの映画とかってだいたいそうでしょ(個人の感想です)。

ほかにも、理解とか共感の先を目指したような映像作品だったら「これ別にわかんないでいいんだわ」ってなるのもあるしね(個人の感想です)。なので、単に俺がノれなかったというだけなのかもしれないと。そうだとしたら、それはね、だいぶ悔しい。

たぶんだけど、MCU作品だからって舐めてたんだと思う。実はシーズン1で明確に説明されていたのを酒呑みながら観てたしぼーっとしてたんじゃないか。そのへん情報を繋いでいけてれば納得できてたようなつくりだったのかもしれない。

でもさー、シーズン1を観終えた時点で、こういう話になるっていう覚悟なんかできてないっすよ。

『エンドゲーム』以降の展開で、多次元世界?がどうのっていうコンセプトがメインになってってるのは知ってましたけど、なんというか、SFとしてはよくある話じゃないすか。

あーはいはい、この時間軸ではない別のあれね、みたいな。「そういう感じ」で乗り切れると思ってた。ちょっと複雑っぽいSF設定だけど映像とか演出でポップコーンムービーみたいに観られてああ楽しかった、となるような。

やられたなー。こんなのドラマのほうでやるなよー。

終盤の畳みかけ、クライマックスのシーンとかでだいぶ「アッ!」とわからないなりに盛り上がれたところもあって「実はめちゃくちゃ面白かったんじゃないか」っていう後悔がすごくて。くそー。

ちょっと話かわるんですけど。なんか最近やっぱね。年齢もあるんだろうけど「疲れたくない」ってのがだいぶプライオリティ高いんですよ。

腰を据えて何かに向き合うっていうのが、全然やれてないとつくづく思う。ぜったい楽しいってわかってるのに「まあでも疲れるだろうな」ということで中座したりそもそも参加しなかったり、そういうのが増えまくっている。

何をしても結局は疲れる。そのことを身をもって知ってしまった。
それで「楽しい」に触れなさすぎて、自分の求める楽しさがどういうもので、どのくらい心が踊るものなのかとか、どんどん具体性を失いかけている。忘れかけている。

こえー。まさに『ロキ』劇中にあったみたいに、自分がスパゲッティ状になって解けていくような感じよ。ワー! いやだな。

とにかくなんというか、自分の体力とか覚悟とかのせいで楽しめなかったのではないか、っていうのが悔しかったです。そういうシリーズだった。ネタバレは以上です。

なんとかしたいね。どうすればいいんだろう。やはり筋肉か?

3/5

昨日の退勤ちょい前くらいにコンビニで買ったホット綾鷹。飲みきれなくてバッグのポケットに入れて帰ったんですけど、そのまま入れっぱなしにしてて今朝、通勤途中に気付いて残りを飲み干して、同じコンビニのゴミ箱に捨てました。
行きて帰りし綾鷹であるなあ、と少ししみじみとした。

「無味乾燥な日常の繰り返しの中に“物語”を見つけた」的な解釈で、短歌のひとつくらい詠めそうだなと思った。短歌とか詠んだことないけど。なんか大喜利みたいで恥ずかしい。こんな文章を書いているくせにね。
不思議ねえ。

とかく極端な意見がうるさく声高でうるせーってなりがちなことでお馴染みのSNS世界線ですけれども。またそういうお話をさせてほしい。ごめんね。

なんていうか、しっかり中庸であろうとする、そのスタンスというかアティチュードを明確にするのって本当に難しいですねーっていう話なんですけど。

こっちは「AもあってBもある」って前提で話をしたいだけなのに、Aよりの人、Bよりの人からは「どっちつかずでダメ」ってことになってそうじゃないすか。

中庸なのかどっちつかずなのかって、見え方とか表現の仕方とかってことじゃなく明確にありますよね。本当の中庸ってめちゃくちゃ難しいはず。AもBも勉強しないといけないから。たいへんよ。

どっちつかずはいいよね。「AでもBでもどっちでもいいし、どっちでなくてもいい」ってだけだから。要はまったく考えてなくてもできる態度で。無関心という言い方でもいい。

でも、その思考停止してる人っていうのが圧倒的マジョリティでしょう。偏見かな。でもまあ多数派のはず。
その層が動かない限りAもBもない、どっちの意見にも加担しない、だから両極の皆さんはギャンギャン声を上げるしかない、みたいになっている。そう見える。

いい加減「AもBもあるんだな」っていうことくらいはぼちぼちわかってきたし、そういう態度の皆さんも増えてきてますけどね。さすがに。普段ぼーっとしてなるべく疲れないようにしてる俺でさえそうなんだから、みんなはもっと前からそうでしょう。うわーABで判断がつかないなーこれは問題だなーって思うくらいは。

でも俺なんかはさ、そう思ってるだけなんですよね。考えているふりで丸投げしている。本当の中庸の人に。

AについてもBについても噛み砕いてくれて、まとめてくれて、さあ考えてみよう、とやんわり促してくれている人。

そういった発言力を持った中庸の方もいらっしゃるというのに、その「中庸の意見」っていうのがあまりにもちょうどよく「そうそうそう!」と首をガンガン縦にふって心地よく共感できるから、ぶつかり続けるAとBの真ん中に立っている(と思えている)ことそのものに自信を持ててしまう。

「じゃあどっちつかずでもいいんだ」となる。なっているときあるんすよ。俺。

いやー、さすがにさ。真ん中にいたいからって「だから何も考えなくてもいい!」って自信を持ってどっちつかずっていうのもね。

「中庸」って別にかたくなに「何も決めない」ってことじゃないじゃないですか。

何らかの意見とか運動とかに賛同するかしないか、くらいはサボらなくてもいいんじゃないか。ちょっとは公に発言してみてもいいはず。すごい怖いけどね。俺にはまだ無理だ。

そういうハッキリした行動じゃなくても、SNSの向こう側に向けて。何かできることはないかなーというのは度々考えてみてはいる。みてはいるけどね。ないかなあ。

ちょっとずつやれることを探したいですね。めちゃくちゃ疲れるだろうけど。だいぶ体力が必要なのは明白ですものねえ。やはり筋肉か~。

3/6

手指の乾燥がひどすぎて荒れまくり、iPhoneの指紋認証が機能しなくなった。すげえ。コンビニとかで支払いに手間取る。

明日のお弁当用に卵焼き作るの忘れてたーと寝る前に気付いたけど、なんか油を使うのがイヤだったので適当にゆで卵を作ってダシに浸けて味玉にしたら、これまでの生涯で一番うまい半熟味玉が爆誕していた! 
もう今日は100点でいいでしょう。やったね!

3/7

毎日寝てるのになんで眠くなるんだろうなあ(眠い)。

行政が書店減少にテコ入れするということで若干燃えている感じだ。

数年間、出版社で働いていますが、本だけ作って売っててもダメだよなーというのはこの業界の共通見解だと思う。売り物として書籍・雑誌が先細っていくのは避けられないので。人口は減っていくのだし。

俺も子供の頃は街の本屋さんに助けられていたクチですし、その地元の小さな店ももうだいぶ前になくなってますので(車で20分くらいのとこにツタヤあるけどやっぱ遠い)、自分の仕事を抜きにしても、書店に対して思うところはたくさんある。

でも書店にだけ頑張れ頑張れいうても今更もう無理で、版元・取次から流通まで含めて業界全体で考えないといけないけど、わかりやすいイノベーション的なのはたぶん生まれようがなくて。

古い商習慣とかシステムで回してるからだいぶガタがきてるから、そのへん手を入れればコストカットくらいはできるかもしれないけど、その改修費をまかなって今後の見込みが明るくなるかというと、そこにはだいぶ無理がある。

クソデカIPがある大手出版社はまだいいかもしれないけど。中小の出版社はもうどこも基本的に虫の息ですよ(ですよね?)。街の文化拠点であるところの書店に対して、出版社としてできることはないかって考えようとしてみるけど、体力がないのは出版社も同じですからねえ。外へ向けたアクションとか、やったことないからって超こわがってるし。

そこに政治が乗っかってきたところで面倒くさくなるだけなんじゃないかっていう気はちょっとしている、というのが本音です。活動場所としてのロビーを増やしたいだけなんじゃないかとか。ねー。どうするんだろうね。

3/8

訃報だなあ。

3/11

👆日付を書いてハッとしたよ。日付を書くまでは忘れていた。今、14時46分になる。

3/12

海芝浦駅という秘境駅?を知った。行ってみたいな。

相変わらず、やることが多くてそれ自体はもちろんありがたいけれど、ぜんぜん終わらない。毎日毎晩「まだ何かある」状態で床に就いている。

でも家でも外でも作業している、というわけでもなく、なんなら最近は家でほとんど作業してない。退勤後、帰宅前にカフェに寄って閉店までで、作業時間的には3時間もないくらい。世の中の兼業作家ってもっとやってるだろうけど。今のところはこれで回している。

別に作業自体は苦じゃないというか、始めてしまえばガッと全然イケるんだけれども、作業時間以外でも脳内が常にアイドリング状態でエンジンが切れてないなっていうことが、なんかこう「もったいない」と思う。そのへんが、残尿感みたいなスッキリしない感じにつながっている。

作業自体については「もっといいものができるのに」、作業以外のことでは「もっと生活を充実させられるのに」みたいな。作業についてとそれ以外でちょっと違うんですけど総じて「もったいない」という、なんだろうな、後悔ほど強くはないけど、それでも振り返って省みてはいる感じ。

クオリティとか時間の使い方とか、果たしてこれでよいのか。まだまだやれてないな~みたいな。でもサボってるときとか手が止まってしまっているときに感じるような罪悪感じゃないんですよね。やってはいるからね。

そんなホイホイ「いいもんできたぞ!」とはならんからなー。というか今の今までそういう「完成!」みたいな明確な達成感を自作の何かで持ったことないし、なんかダラダラと脳みそが動き続けるのは、多分だけどみんなそうだよね。そうじゃないの?

納品するときも「できたぞ!」っていうか「勘弁して!」のほうが近いんだよな。メール送るときの送信ボタンがめっちゃ重い。そんな感じでクオリティや完成度は大丈夫か。場合によっては大丈夫じゃないかもしれないけど限りなく大丈夫に近いものにはなっているから大丈夫だ。今日もがんばるぞ~

3/13

ちょっとこれまであんまりやったことなかったタイプの仕事というか、振られましたのでやってみました。放送作家っていうのか、なんか番組のコンサルみたいな立ち位置で初回やってみて、お陰様で現場でも面白がれたのでよかったね。

いま書いてるこれnoteにまとめるのが週明け18日くらいだとして、もう公開されてるのかしら。某社のネットラジオ台本を書きました。

ラジオっぽいのは過去にバンマスであるところのノッツさんと長いことやってましたが、もちろんノー台本でしたし、その後に別の仕事で構成とかやったことはあったけど、まあほとんど素人のぶっつけ本番で考えて書いてやってみましたよ。結果的にしゃべるのは自分じゃないしというところで気持ちはラクだった(ひどい)。ご参加いただいた皆さんありがとう。

あと現場に一緒にいられたのもよかったな。ラジオで音楽以外に聞きたいのって“空気”だもんね。そのへんが共有できたので次回以降は作りやすそう。
もしかしたら続けるかもしれないので、よろしくお願いします。


何かしらこれからのことについて「楽しそう」「面白そう」って事前に思うときはあるけれど、「楽しい!」「面白い!」っていうリアルタイムな感情って後になればなるほどなかなか取り出せない。「すごい楽しみにしてたあれどうだった?」とか聞かれても「楽しかったけどあんまり憶えてないな…」となって、だいぶ尻すぼんで自信がない。

「楽しそう」はわりと具体的に憶えてたりするから、ともすれば「がっかり」に近い感情になっちゃったりする。リアルタイム「楽しい!」を憶えてないあまりに。もう病気よ。あと酒か。脳みそが酔うんだよなあ最近。

はあ?

「みんな楽しそうでいいな~」が妬み嫉みゼロパーセントの遠巻きほっこり笑顔で発せられるようになったら この世の終わりだぞ!

いいか別に終わっても

営業先からの帰りに立ち寄った商業ビルで、老掃除夫がエスカレーターの持ち手部分に雑巾を押し当てながら鼻歌をうたっていた。午後の日差しが心地よかった。

「褒め」もいいけど、こういう「いいな」っていう瞬間もたまに取り出せるといいですね

3/15

昨日また出勤途中に猛烈な腹痛におそわれ途中下車。今回は吐き気もあった。スマホも忘れてたししんどいしもういいやとなったので帰って有休にした。昼には元気になったので近所を散歩。こういう有休の使い方があっていい。

某D音部のノベル1話がようやく出そろったので読んでください。


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