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娯楽と勉強についてのしげる

世の中どう考えてもおかしいこととか違和感のあることが多くていや単純にもう俺もおっさんだしついていけなくなったんだなとか思っていたんだけれども、1で10を知る的な手っ取り早いのが単に元々好きじゃなくて、そういう人がえらい増えてるだけのような気もしてきてて。効率よく生きたい、みたいな人ね。

そのへんからなんかムダとか娯楽とか勉強とかについてちょっとつらつら考えたので、寝る前にまとめておきます。note放置してたし。なんかこういうの書くとこでしょうここ。

はじめまして、草見沢繁と申します。36歳独身。バンドマン・プランナー・ライターその他をやっています。一昨年は高血圧で、昨年は十二指腸潰瘍で死にかけました。今は大丈夫です。では続けますね。

いや結局さ、情報が増えたからとか深掘りできるようになったからとかいうのもあるとは思うんすけど、前はメインがこれ、サブがこれって分かれてたのが全部一様にフラットになって、それらからどう取捨選択するかは取り急ぎ個人次第、みたいになって、ちゃんと勉強してきてない俺みたいな人間がどんどんはじかれてってるというか。そういう感じに思えててなんかこう、踏ん張りがきかんなあってのが最近で。

なんかさ、「聞き専」とか前にあったじゃない。ニコ動の頃。クリエイター的な存在に対して自分はそっちじゃなく受け手側ですよ、みたいな、そういうアティテュードを発信する。線引きをするっていうの。

俺もさ、最初の頃こそ謙遜みたいなものなのかなと思ってたけど、それはそれで自己表現のひとつだったんだよね。「プロ聞き専」みたいな人も出てさ。その時点だと趣味・娯楽よね。そんで、じゃあもっと体系的にまとめてみようとか、抜き出してランキング形式にしてみようとか。それで「こんな素敵な作品に出合えました、ありがとう!」みたいに言われたらそりゃあ楽しいよね。でもその楽しさってもう別の楽しさになってなかった? って思うんすよ。娯楽でさ、楽しいだけでよかったのに、なんか目的意識持ってさ。そういうのにすり替わってない? みたいな。誰かのためになって、勉強になってない? って。

勉強ってさ、ノルマというか、明確にご褒美があるんだよね。リターン。基本的には新しい知識や知見ってことになるんだけど。単純に称賛もあるよね。「良く勉強したね!」っていう。で、そうやって勉強で得た知識・知見をもってして何か他の役に立てるの。なんと、勉強ってそれだけじゃ終わらないんですよ。何かの役に立っちゃう。すげえ! お得! 

なんていうか、勉強ってそういうさ、他者ありきのもんだと思うんすよ。誰かのためにするもの。誰かに役立てるためにするもの。

ひるがえって娯楽はね、役に立たない。「ヒャー楽しかった!」以上。もうこれだけ。娯楽を楽しむことが明日への活力を産むとか、そういうのはもうね、結果論よ。あーそういう効果もありましたか、役に立って良かったですね、やったじゃん棚ぼた! みたいなもんで。個人だけ、自分だけで完結するもの。誰の何の役にも立たない。結果的に自分を生かすことにつながるとしても、それはそれ。勉強と娯楽ね。そういう分け方。

でね、昔はなんとなく、気の向くまま、自分の嗜好性のままに娯楽を享受してたはずよね。俺もそうだったもん。能動的に音楽ディグるとか無理して聞いてみるとか、ほっとんどしたことない。バンドメンバーのまろちんとかノッツさんとかから「これいいよ」みたいにして紹介されなかったらほとんど好みの音楽と出合えてない気がする。それもなんか部屋で飲んでるときとかにぼーっと流れててピンときて、えこれ超よくない? みたいな。でもさ、まろちんにしろノッツにしろ、別に俺に広めようって思ってなくて、単にみんな聴きたいから聴いてたのを俺が「ヒャー!」なっただけで。「勉強」っていう感覚じゃないよねこれ。

ちょっと余談ですけど、それこそ10年以上前くらいにライブの打ち上げで、マーヤさん(KING BROTHERSとかN'夙川BOYSとか)が言ってたんですけど、ジャニスから毎週100枚くらいCD借りて聴いてた、みたいなね。すげえってなった。もちろん楽しくもあったんだろうけど。勉強ですよ。すげえ勉強してるってなるよね。あー俺ぜんぜんそんなないわつって。マーヤさんすごい。その結果、めちゃくちゃカッコいいバンドを今でも続けてらっしゃる。超すごい。

で、小説もさ、児童書みたいな、江戸川乱歩とかから読み始めたんだけどどんどん図書館に置いてない系の『フォーチュンクエスト』とか『ロードス島戦記』とかに流れて元ネタ知りたくなって『指輪物語』に行ってああダメだっつっていったん挫折して純文学とか読みだしたりして、ファンタジーってSFが源流らしいぞってなってアシモフとかクラーク行って。こういうの、勉強してるみたいだけど、俺にとっては勉強じゃない。単純に「ヒャー楽しい!」つって、とにかく面白かったから読んでただけ。娯楽。

いやみんなそうでしょって思う。興味関心が起点になって、じゃあ次、じゃあこれも、って広げていったでしょ。他ならぬ自分のために。自分が「ヒャー!」ってなりたいために。それ娯楽。

そういう娯楽人・趣味人たちの受け取り方は変わってなくて、受け取るんじゃなく、求めていこうぜつって、なんでも能動的なのが良しとされてきてるのが、なんつーかまず、時代の変化よね。ぼんやり楽しいムダなものっていうのがどんどんなくなってって、いわゆる「娯楽」ってだけの単純さはなくなってきて。ゲームとかも上手さが求められたり、小説とか漫画とか音楽とかも結局「ためになる」ことが前提で、作品とかに触れて楽しいっていうよりは、それが手段になってる。つまりあらゆる娯楽がさ、なんだって「勉強」になってしまってるんじゃないかと。しんどいわー。

もっとうまく物語作りたいとか作画の参考にしたいとかって目的を持って小説読んだり漫画読んだり。本読んでる人がみんな作家になりたいわけでも、ゲームやってる人がみんなe-sports目指すわけでもないけど、そういう舞台がぼんやり当たり前に用意されてるってのが「今」なわけでしょう。小説だと「なろう」とかさ。あるじゃん。ニコ動だってそれでしょ。YouTubeでもいいよ。その舞台にはさ、いるのよ、ああ良いなって思える人が。演者もそう、その人のファンもそう。他者がいて、つながりがある。昔はそうじゃなかったっしょ?

そうやってさ、良く生きたいし良く生きてる人みたいになりたくて、そのヒントを求めて「娯楽」に接してるんじゃないかと、俺にはそう見えてきてるんですよ。なーんも関係ないのってソシャゲでガチャ回すくらいかなって思ったけど、これも、そういう「今」の流れのアオリで、ほかに消費したい手元の娯楽がなくなったからだよね。というか、他の娯楽が娯楽じゃなくなったからだよね。だから手っ取り早いのがウケる。いや実際にソシャゲもゲームとして面白いって思ってる人もいるんだろうけど。面白いかあれ? いや面白いならいいんですけど。よくないけど。

で、本当に勉強が嫌いな俺みたいな人間からすると、勉強は勉強でやってしんどいから娯楽が必要だったわけ。それなのにさ、勉強の楽しさと娯楽の楽しさがいつの間にか一緒になってしまったんじゃないかって感じるんですよ。

それでね、こじれてきてる。「ヒャー楽しかった!」に余計な情報というか、勉強の機会や性質が、ボコボコくっつきはじめてる。どうせ楽しいならこういうふうにするともっと役に立つようになるよね、みたいに言ってくる人が増えてきてる。ニコニコしながら、楽しいだけじゃもったいないから、こうしたらムダにならないよ、って教えてくれる。

これ不思議なもんでね、やっぱ本来あるんだろうね人間に。ムダかもって思ったらやっぱり効率よくしたいって思っちゃうんだよね。そう言う人の話をふんふん確かにそうかもっつって聞いちゃう。

そして娯楽は娯楽じゃなく、勉強になってってる。どうすかね? 暴論かな。少なくとも俺はそう思える。もう絶望よ。なんか人口も減ってくしさ、あらゆることがどんどんシュリンクしていく流れ。

いやね、娯楽のニーズは変わってないと思うんすよ根源的には。ただ、純粋なムダなものじゃなくなって、自分や誰かを良くするためのものになった。しかも知らないうちにその感覚が蔓延してて、ああ楽しかった、って思うだけだと物足りなさすら感じるようになってしまった。

で、どうするかっつったら、せっかく楽しかったんだからって楽しかったことを「共有」するんすよ。人とつながろうとするの。一切ムダにしないぞって気概すげえよね。FBだインスタだつってね。

いや、何が楽しかったのかを語り合うのは本当に楽しいよね。それはそう。絶対そりゃもう楽しい。でもさ、語り合うことが目的になっちゃうと違くない? そもそもさ、自分の「楽しい」が先じゃない?

この違和感。ぜんぶ、勉強してきてないから感じちゃうんだと思うんすよ。俺は。

楽しいだけで終わってはいけないという強迫観念みたいのが蔓延した結果だと思うんすけど、前述したみたいに、ちゃんと楽しもうって能動的に娯楽に向かうようになったんですよね。そこでもうなんか違う、みたいに思うんすけど、まあそれはそれでいいとして。ちゃんと楽しめてるかな、これ本当に楽しいのかなって今度はそのへんが気になるようになっちゃった。自分の「楽しい」に自信がなくなった。だから確認し合う必要が出てきた。「僕は楽しいって思いました! みんなはどう?(チラチラ)」って。この問いかけ、いるかいらんかつったら、いらんよね。いや知らんしって。お前が楽しかったらええやんってなる。

もうね、勉強してないからよ。勉強してないから。ぜんぶ娯楽から受け取ってきた不純物というかこぼれたものというか、そんなんで構成されたなんとなくの知識・知見でしかない、ということが、もうわかってきちゃったから。僕は私はここで楽しめてるんだって思えないし、気付けない。自信がない。自信とか、そんなの、いらんのに。

別に、俺の感覚よ? いま俺が書きながら頭ん中を整理しとるだけやから。いや楽しいわ別にフツーにって、思うんやったらそりゃそう。そんならいいやん。俺ちょっと違うんやもんってとこで、まあ続けます。

勉強は強制するもんじゃないというのはもう、ずっとそう思ってる。教師だって勉強をさせる人なんじゃなく、勉強するよう仕向ける人なんだって思うし。そうやってちょっとした無理を通してやるのが勉強。大人になって、これやりたいんだけどあれ足りてないなって、自分から勉強に向かうのとか最高。めっちゃ大人って感じする。めっちゃ偉い。偉すぎる。何なの、その時点でもう天才じゃない? そんで、勉強したわーつって、自信になっていく。

でもね、娯楽はさ、だって娯楽だから。いらんから、そういうの。無理せんでいいから。「ヒャー楽しい!」以上のものはないから。

いや、ないんだって。俺だけの、あなただけの「ヒャー楽しい!」に、そういうなんか、無理とか自信とかさ、いる?

なんで今になって、いることになってんの? おかしくない? 娯楽だけど、楽しめない、勉強してないからだ、楽しめるように勉強しなきゃ。

おかしくない? 

楽しくないのはね、単純にね、自分にとってそれはもう、娯楽じゃなくなっただけなんだって思うのよ。どこかですり替わった。勉強に。知らないうちに。変わっていく時代と世界に無意識に合わせようとして、世間体とか見栄とかなんかそういうのによって。

でもそういうものだから、認めようよと。もう楽しくなくなった。そして、楽しかったことが今もそのまま楽しいってことは、なくていい。楽しくないなら、もう違うんだよ。新しいことを始めるしかない。それは何ひとつ悪いことじゃない。もっと楽しめたかも、なんて、もういいじゃないの。今この時点で楽しくないなら、今のあなたにとっては、もう違うんだよ。

楽しかったことにこだわりたいなら、それはもう勉強になってくよね。求めているのは勉強の楽しさになっちゃってる。誰かに伝えたり、役に立ったりするものにシフトした。おっさんに、おばさんに、大人になったから。ちょっとくらい無理をすることで得られるものを他の役に立てられる、その喜びを知ってしまったから。

で、そういうことはさ、それはそれで、ほっときゃいいのに、ムダを廃しようという動きがあるじゃん。「だったら~」つって。「こうしたほうがもっと楽しいよ~」つって。それが窮屈でたまらんのよ。知らんし。残ったわずかな「楽しい!」にすがってくんなよ。効率化するなよ。シュリンクするなよ。見える化するなよ。誰かのために役に立てようとするなよ。これは俺のもんだし、誰かのものだぞ。

そうして、効率化されて提示してある「1」だけで、知ったふうになるなよってところにつながるんすよ。いや知ったことにするなよって。「10」まで、もっと広いでしょ、深いでしょ。ぜんぜん知らんこと、いっぱいあるでしょ。俺はめっちゃある。この齢で。あまつさえもっと見たいし知りたいって思う。この齢で。いやうるせえな。齢は関係ないだろ。

効率化をやめろとは思わんし、巻き込むなとも言えんでしょう。時代と世界のことだから。そういう風になっている。抗わないから、はじかれて当然なんだなって。もう最近はそう思うことにしたよ。勉強で知識を作ってきてないからね。

でも、興味の赴くままに娯楽から手に入れたムダなものは、もちろん勉強で手に入れたキラキラした知識や知見とは比べ物にならないくらい不揃いで整頓されてなくてガラクタみたいものだけど、俺の「ヒャー楽しい!」のれっきとした副産物なんだ。お前にとっては知らん。俺のもんだから。お前には役に立たないだろうし立てる気もない。

ムダを笑うな、つってもさ。笑うよね。みんなが笑ってる。みんなに笑われるのはイヤだよね。俺だってイヤだし。

でもなー、結びつかないものを効率のためにくっつけようとするのは、違うよねって思うのよ。じゃあさ、結びついたほうがいいって思う? 本当に? それで何かが良くなる? 良くなるっていうなら、教えてほしい。勉強するから。そのへん知りたいし。

単純に「ヒャー楽しい!」を常に持ち続けたいわけ。楽しいほうがいいじゃん、おわり、っていう思考停止ね。思考停止か? 大人のくせに。役に立たない大人だなーいやでもいいじゃん大人でも。手を変え品を変えで、どんどん手つけていこうぜ。それで、時間が足りなくなるんだな。大人だから。仕事とは別だからさ。

そういうことを考えて、仕事そっちのけで今日ここまで書いてきて、よかった。あーすごい。おもしろかった。

仕事もなー。ちょっとな。また考えるわ。おやす。

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