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俺のX 2024年1月②

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よしnote更新した。ライブのことはもっと書きたかったような、このくらいでもいいような感じだ。ちょっと足りないくらいが良いとも言うしな。

本Xで見かけた話。第一エルフはやっぱりディードリットだけれど、第二エルフだと何になるんだろう。五竜亭のソマーウインドとかフォーチュンのルーミィみたいな、正統派から外れた感じのキャラはパッと思いつくんだけど、その前に何人かいたような気がする。

「耳長い」「肌白い」「精霊使い」「森」とかのイメージで、なるほどこれエルフか、みたいな。TRPG関連だったのだろうか。というか90年代の初め頃って耳長いキャラクターってやけに多かったような。

無難にゼルダの伝説とかかなー(耳長い)。あんまりデジタルゲームに親しんでこれなかったせいで、その界隈ってそこまで自分事になってないんだよな。それで忘れてることとかありそう。

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鏡開きなので飾りっぱなしの鏡餅をなんとかする日。固くなったでかい餅は水でふやかしてレンチン後にちぎり分けるとよいらしい

おー。結婚に至るまでまったくそれっぽい報道もなく、さすがにすごいのではないか。
斜め上におめでたい。よかったなあ。がんばれー!

ライブハウスへの爆破予告メールが相次いでいるらしい。

ライブハウスを相手にしてるということで、なんか犯人像がしょうもないやつに思えて仕方がないんですけども(印象による決めつけはミスリードの元だぞ)
「自称・人生の落伍者」みたいな。被害者意識バリバリで腹に黒いものを溜めていらっしゃるような。いわゆる「無敵の人」よりもっと小粒な感じね(言うねえ)。

こういう事件、逮捕後に犯人が「恨みがあった、バレないと思った」みたいな供述するのニュースとかで見るけれど、別に事件性のあるような話じゃなくても、こういう「バレないなら良い」みたいな感覚を持つのって、何とかならないものなんですかね。

いやバレるじゃん。バレることをなぜリスクヘッジしないんだ。なぜそこを再考しないんだ。

誰かに迷惑をかけるようなことやって、なぜ「バレない」に全BETできるんだ。その自信は一体どこから来るんだ。

「バレないなら良い」=「バレると良くない」ということは「バレたらヤバい」って感覚がそもそもあるわけで。「ヤバい」=「誰かに迷惑かけるかもしれない」って、脳内で明言化されていなかったとしても、その感覚を持ってはいるからこその「ヤバい」じゃないすか。

その感覚を持ってないってことあるのかな。そんな、フリーレンに出てくる魔族みたいなやつ、いる? 大事な部分がすっぽ抜けてるみたいな。

いやーたぶん、普通にいるんだよな。いやだな。
もちろん「バレてもまあしゃあない、別にいい」ってポンポンやるヤツも怖いけど、上記の例だと踏みとどまるステップが確実にあったはずだけに、「なぜ」感が強くて、なんかやるせない気持ちになる。しょうもなすぎてかなしい。

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週末は用があって新宿伊勢丹に連日行って疲れた。百貨店が未だに少し怖い。アパレル関連の友人たちが「館(やかた)」って呼ぶので、ホーンテッドマンションとか刻命館とかそのへんのダークなイメージが想起されるのもよくないのだろう。俺は何を言っているんだ。

いやなんかこう、そもそも場違いな気がずっとしているんすよ。
百貨店にいらっしゃる、まっとうに社会を生きて家族を持っている中間層以上の方々(偏見)がどうしても眩しく、自分はそうではないという感覚をアップデートできないままここまで来てしまったという怖さ。モラトリアムをこじらせ続けてきたせいで未だにこんなことを考えてしまっているという幼稚さ。

別に今はそこまででもないはずなのに、この小市民的な弱者意識みたいのは自分の根っこに染みついているのだった。めんどくせ~~。

昨日の話じゃないけど、こういうのをこじらせ切らないようにしないとなーと本当に思う。

SFとかミステリーは小説だと表現しきれない的な創作論がバズった?みたいで。何を言ってるんだという感じではあるけど、まあそう目くじら立てずに「お前がそう思うんならそうなんだろう(略)」の精神でまいりましょう。

「マトモな反論できないなら俺が勝ちってことね! はい論破!」
うんいいよそれで。
俺自身も「わかんねー」つって狭量な視野でベラベラくっちゃべるのは正直とても楽しいし、しばらく経って「あっ俺って狭量だったわ」となるのもまた良い体験だと思いますし、発言者もこの騒動からきっと得るものがあるでしょう。もし近くにいたら、ドラえもん並のあったかーい目で見守ろう。頑張れ若いの。

もしものときのために伝家の宝刀「君は全く偉くないからね」を抜き身で心に携えていれば大丈夫だ。偉いのは誰なのかみんな知っている。続けよう届けよう。

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昨日もそうなんですけど、本家Xを見て反射的に思うところはあるものの、そのままリアルタイムにお気持ちを放流する気になれず、喉の奥をモヤつかせては酒で流し込む日々です。

いや、ごめんちょっと大げさに表現した。今は別にそこまででもない。

ネットで声のでかい人が苦手だ、的なことよく言ってるんですけれど、声をでかく感じてるのは結局のところ俺の感覚器官なわけで、そこからボリュームを膨らませて「声でけえな」と思ってたところはあるよなと。俺自身がそう受け取ってただけではないかと。

RT数とかいいね数とか目に見えるインプレッションで錯覚してたということも大きい。「こんな意見・話題にこんな賛同してる人いんの? こわ」みたいなね。

いわゆるゴシップとかゲスの勘繰りみたいな露悪的なものは人の関心や興味を惹きつけやすいっていう、まずはそこが罠よね。そもそも古代からのインターネット自体がそういう文化の元に形成されているということもあると思うし。2ちゃんとかさ。

差別的なスラングとか、どこか攻撃的な書きようとか、そういうので注目を集めるのが目的化していたとしても、まんまと乗っかってしまって、よせばいいのに見ちゃう。

で、そういうのを自分で勝手にアンプリファイドして「うるせー」つってるわけなので、それはさすがに滑稽すぎるよなあということでどんどん冷めてってる。俺にはSNSは難しい(今更!)。

何かしら思うところがあったとしても、そんな頭も良くないしハナから知識もないのにわざわざ本丸のXに出張って拙い意見を述べるのもしんどい。当事者ならまだしも外野から「なんとなくこう思う」ってだけだから、新味はないしおっさんの愚痴でしかないという自覚もあるし。

切り口とか語り口が斬新かつ面白いアルファツイッタラーにはついぞなれなかった。

そこまでのことでもない、と割り切ってべらべら書き述べるだけなら別にXじゃなくていいなと、結局そうなってしまった。そうだそうだ逃げろ逃げろ。ここが俺のXだ。ここをキャンプ地とする。あとのことは、みんなに任せた。たのんだぞ。

1/17

また深酒をしてしまった。折り悪く商談デーだったので得意先で滝汗をかくハメになった。二日酔いが治りかけのときってめっちゃ汗出るね。

久々にFacebookを開く機会があり、なんとなくプロフィール写真を変更したんですけど、それだけで更新扱いになってフォロワー?さんたちに通知が行くんすね。久々の方々からいいねが来てびっくりした。引き続きとてもよろしくお願いします。

1/18

遅ればせながら『ベター・コール・ソウル』の最終シーズンを観ている。
もうね~~何でこんな面白いんだ!

やたら洒落た構図とかレイアウトというか画が多いけど嫌味に感じないし美しいし、無音・無言の長回しシーンが多いけど演出とか画の強さとか編集の巧みさみたいのででぜんぜん疲れないし、セリフもすごく削ぎ落されて洗練されてるし。ギューッと観ちゃう。やべー面白い。すげー。

「これをすごいと言える俺(アタシ)すごい」的な背伸び大学生の小さな自尊心、みたいなことではもちろんなく、心から「これこれ!これだよ!」と言えるの。「こういうところがちょっとね……」というのが本当にない。感想に困らない。「めっちゃ面白い」以上!

いや、ちょっとあるっちゃあるのが、前作『ブレイキング・バッド』を観とくのが必須になることくらい(そのドラマの前日譚だから)(観なくても話は追えるとは思うけど)。

あっちのほうがわかりやすく大名作中の大名作なので、正直おすすめするならそっちからにはなるとは思う。ただね、まさにマスターピースではあるんだけど、でも個人的・総合的には『ソウル』のほうが好きかなあ。

なんかこう『ブレイキング・バッド』主人公のウォルターって、潜在的に狂ってるというか「堕ちてった」みたいな感じより「化けの皮が剥がれた」みたいなキャラクター造形じゃないですか(違ったらごめん)。

理系脳で理知的・合理的に判断していると思ってるのは自分だけで、本来は利己的で打算的で衝動的な人物。徐々に殺人すら臆さずない冷酷さを手に入れて「成長」していくさまはダークヒーロー感すらある。

そんな彼と比較すると、ソウル・グッドマンことジミーはやっぱ「普通の人」というかね。小悪党っぽい詐欺師っぽいところはあれど、根っこの部分は人間で、ヒーローじゃないんですよ。だからこそ、麻薬カルテルとか裏社会とかにつながっていく流れにヒヤヒヤさせられる。「おい大丈夫か!」などと言いたくなる。

結果バッドエンドなんだろうなとわかってても、やっぱりね。可哀想さがすごいあって。人間を見ているな〜という感じが、とても好きです。

あとね、制作側が視聴者を信じてくれてるのがよくわかるところも好き。覚悟キマってんなーって思う。こういう姿勢でクリエイティブに向かっていけたら本当に素敵だな。がんばるぞ。『ベター・コール・ソウル』はいいぞ。

あとでやる
https://sunsetdandan.itch.io/the-day-i-couldnt-write-a-poem

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昨日貼った👆ゲーム、やってみたんですけど。

たしかゲームディレクターの飯田さん(『アクアノートの休日』とか『太陽のしっぽ』とか)のツイートで見まして、そこから辿っていった先の記事で、なんか「アートゲーム」っていうくくりで解説があって。

ざっとしか読んでないですけどインタラクションのあるもの=ゲーム、という解釈をアートに広げたもの? みたいな感じで。何らかの動作・アクションが、作品を変化させる? みたいなカテゴリってことでいいんですかね。たぶん。どうだろう。

これすごく考え甲斐があるなーって漠然とですけど思いました。

美術・絵画・音楽その他、基本的に作家と鑑賞者の関係性って一方通行だけど、鑑賞者・受け手の行動によって作品が変化することもその作品の特性とした場合、なんかめちゃくちゃ広がるじゃないですか。

いわゆるビデオゲームって「ゲーム」なので勝ち負けがある、どちらかというとスポーツ寄りの考え方が根底にあると思うんですけど、勝ち負けって娯楽だから~っていう観点だけでなくゲームを考えていたいなーって思っていましてね。

で、この「作品」。ボタンなりスティックなりで「操作」することで起こる反応=変化する作品なんだ、みたいなところにフォーカスすることで、なんかアート作品を作品たらしめる考え方が揺さぶられる感じがして、いいなーって。

たとえば絵画作品ってさ。実際に鑑賞するってなったとき、どういうシチュエーションで鑑賞するのかによって作品への印象って変化するでしょう。場所とか照明とか額縁とか。もっと言うと、空腹で見たのか誰かと一緒に見たのか恋わずらい中に見たのか、とかって鑑賞時のごくパーソナルなコンディションみたいなのも影響しますよね。

能動的・自発的な「操作」がなくとも、無意識でもやっぱ作品の印象とかって変化する。というか、あくまでも自分が変化している中に作品があるというかね。

そうなると、そもそもインタラクションって何だろうって思うしアートって何だろう、ゲームって何だろうって思うよね。ぜんぜん言語化できないけど、そういう疑問はとてもたのしいなーって、そういうことを考えながら👆のゲームはプレイしました。面白かった。いっぱい死んだ。

今日の言葉「オリチャー発動」

イライラしてるときにタイプミスしてバックスペースを連打してたらその隣にあるテンキーのnumlkを押してしまったことに気付かず数値入力しようとしてpg dnで画面が勝手にスクロールしてイライラが加速するというループに名前をつけよう。何がいいかな。

「まず落ち着け」

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自宅でこのメモ書くの初めてだな。ちょっと自宅仕事が長引いてしまった流れでこんばんは、しげるです。
とりあえずスタッフに指示はしたので(遅い)、一応終了ということで。なんかこういうの久々だなーと思いつつPCに向かっています。

今日は散歩して馴染みのカフェバーに行って作業しつつ店員さんらと話をして、スタッフ連絡待ちで繁華街に歩いて新しいスニーカー買って、焼きとん屋でビールと煮込みと焼き塩レバで〆て帰って、また作業して。

アッその前に『ベター・コール・ソウル』最終話まで観終えたんすけど、いやーさすがだったな。素晴らしかった。

最終シーズンが配信されてた当時の一昨年、それまでツイッターでやんや言ってたフォロワーの人らが、最終話の配信以降「スン……」って何も言わなくなって。ネタバレ配慮のリテラシーでそうしてくれてたんだとも思うんすけど今日「スン……」ってなった。わかる。

趣味の多様化といってしまえばそうなんすけど、最近あんまり感想を語り合うみたいなことがないし「いや~よかったっすよね」くらいしか言えないかもしれないけど、なんかその「よかったっすよね」の確認作業はしたい。

俺だけ「よかった」を持ってるのがもったいないので。あなたもあなたなりの「よかった」を持ちましたよね? ということを聞きたいなと思うくらいによかった。よかったなあ。

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