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俺のX 2024年3月①

2/21

二週間経つの早え

自分が属していたり近かったりする範囲での「すごい人」とお会いすると緊張したり萎縮したりするけど、自分の見知った分野とまったく畑が違う「すごい人」にお会いしたら、何がすごいのか知りたくていろいろ聞きたくなってしまいとても失礼な態度をとっているように思う。みんなそうなんだろうか。

「食指が伸びる」を「触手」としているレビューとか記事をたまに見かけるけど、そのたびに寄生獣に出てくるような人物が触手をびよよんと伸ばしつつパソコンに向かっている姿がイメージされて少し面白い。「触手を動かす」と書かれているケースも微笑ましい。動かしちゃうんだな

2/22

えっ給料日だ! 早え~

今日から帰省します

スイカゲームは海賊版と知らずにブラウザのほう遊びまくったので2Pプレイ導入を機にswitch版をかいました。

2/26

去年の夏以来の帰省をしてきました。めちゃくちゃたいへんだった。

帰省当日に母のコロナ陽性が発覚しましてね。そのまま急遽二階に隔離されてしまったため、炊事まわりのことが何もわからない父に代わって父母それぞれの食事等を担当するハメになったという。全然ゆっくりできない帰省だった~ああ疲れた。

なんかね、ちょっと未来のことというか、「介護」がどう行われるのかの一端をかいま見られたような気はします。弟夫婦に差し入れ持ってきてもらったり、東京に戻る日は姉夫婦にバトンタッチして夕食を手配してもらったり。「もし片親が亡くなったら」のシミュレーション・レベル1、みたいなことを当事者たちでやれたのはよかったのかなと思う。

姉・弟夫婦は地元にいるものの、そこまで近所ではないので日常のことまで面倒は見切れないんだなとか。一日三食を食べる習慣があると朝食の後すぐに昼食のことを考えなきゃいけないんだなとか。食洗器って現代の必需品だなとか。常備菜ってあるとラクだなとか。

そこまで先のことではないにせよ考え始めなければならんな、とぼんやり思ってはいたものの、実際に低難易度ながら現実に直面してみてそのへんがなんとなく、なるほどこんな感じなのかもなと。これでこんなに面倒なんだから、本番になったらだいぶツラいぞ。今すでにご家族を介護されてる皆さんすごいぞ。

解像度が高くなったぶん、だいぶ「詰み」が見えて怖さも感じた。両親の二人暮らしなんですけど、父が生活のあれこれを母に頼り切っている状況すぎて、炊飯器の使い方すら知らないのはちょっと、おお……となった。手を抜きながらでも家事をやるための知見は、多ければ多いほどいい。俺の長い独身生活は何ひとつ無駄ではなかったのだ。やったね!

弟夫婦の姪っ子(六か月)がちょう可愛かったので、それはとてもよかったです。

弟夫婦 おとうとふうふ おとうふ ふふふ

何?

2/27

草野心平の『秋の夜の会話』という詩がめちゃくちゃ好きなんですよ。

シンプルかつものすごい切れ味でユーモラスな中に寂寥感もあって。こういうの、ずっと書きたいと思ってたんだよな―という感じで、読み返してて初心にかえりますね。

でも、今になってちょっと引っかかるところがありましてね。

この詩のカエル、二匹とも空腹なまま冬眠しようとしてるんですよね。

「痩せたね」「きみもずいぶん痩せたね」とか言っている。でも本来、冬眠前は空腹じゃないんじゃないのか。
長い冬に備えてたくさん食べてから眠りに入るんじゃないのかね。これは草野先生の凡ミスじゃないか?

と思って、AIに聞いてみて返ってきた回答が以下です(抜粋)。

一般的に、冬眠する動物は冬眠前に大量に食事を摂り、体内に脂肪を蓄えます。しかし、この詩の中でカエルたちは空腹を感じています。これは、詩の中のカエルたちが、厳しい冬を生き抜くための準備が十分でないことを示しているかもしれません。

ハッとしたよね。まじか。え、そこまで「死」に近い詩だったのか。

そもそも「土の中はいやだね」とか言い合ってるし「冬眠」「越冬」は仮死状態だし、死の暗喩が含まれてはいるんだけど。本当の「死」すら匂わせてさらに異なる階層でも解釈できるよう用意してたってことなのか。すげえ…! すげえよ草野先生!

この感動も「今になって」なのかもしれない、今更何言ってんだとイヤなツッコミが脳裏をよぎったが、俺の感動は「今」だからな。俺も世界も常に新しい。AIもありがとう。

少し前に「食指が伸びる」の誤読をイジるようなこと書いたけど、ちょっとハラスメント感あるなって気付いて、今さらだけどなんかイヤだな。こういうのを笑うというか嘲るみたいなことってめちゃくちゃ良くないですね。特に公の場ではやらないほうがいい。

無意識に知識マウントとってる感じになってるけど「そんな細かいとこ気にしてて逆にアホっぽくね?」とか笑っている層だっているに違いない。
「有識者が無学者を笑うとき、無学者もまた有識者を笑っている」
「インテリがヤンキーを笑うときヤンキーもまたインテリを笑っている」
みたいなね。

ていうかめちゃくちゃあるはずなんだよな、誤読とか誤解とかさ。たいていは間違いに気付いても「あっ…」て顔してうやむやにしたり無視したりするし、自分もそういう態度をとりがちだけど、指摘してくれるのはめちゃくちゃいい人だからなんだよな。一瞬イラッとはするかもだけど。言ってくれてありがとうね。

逆にもうめちゃくちゃ笑ってバカにしてくる人は、なんかもうその時点で友だちなのかもしれない。

じゃあこっちも笑ってやろう。笑い合っていこうぜ!

2/28

「からあげクン」の「クン」はもともと燻製の「燻」だった。唐揚げの燻製を開発している過程で「この唐揚げそのまま食べても美味しい」ということに気が付き、その話を聞きつけたローソンで採用となった。開発中の名前を残して「クン」はついたままになっている。

という嘘を思いついた。たまに食べると美味しい。

実際のところが気になったので今日もAIに聞いてみた。回答は以下。

ローソンの人気ホットスナック「からあげクン」は、1986年に誕生しました。その名前の由来は、「からあげ」(唐揚げ)と「クン」(愛称や親しみを込めた呼び方)を組み合わせたものです。このおやつは、指でつまんで歩きながら食べることができることをコンセプトにしており、多くの人に支持されています。さらに、累計販売数はなんと30億食を突破しているんですよ!🍗👏

そうなんだ! すごいね!

2/29

ちょっと“お気持ち”について思うところがありましてね。

このワードについての自分の理解・定義は「(女性特有の)感情にまかせた突飛な感想」みたいなものだ、ということになっています。だいぶ揶揄するニュアンスというか、ありますけれども。

この「感情にまかせた」というのがだいぶミソで、誰かを困らせようとか貶めようとかいう“悪意”はなくて、本当に「ネガティブな気持ちになった」→「ネガティブな気持ちを言葉にした」というだけの表現なんだろうなって思うんですよ。

自分の感情そのままピュア度100パーセントで発せられたもの。誰かを明確に相手取るわけでもなく、そのため攻撃の意思も何もない。ただ“お気持ち”を発した自分が存在するだけ。

誰かの発言とか行為で不快な思いをしたとしても、「あれがイヤだったから、こうしてほしい」って当事者に訴えたり改善を求めたりするものじゃないわけですよ。

「ねーめちゃくちゃ腹立つことあったんだけど聞いてよー」みたいに、当事者ではなく、自分を取り巻く別の誰かのほうへ向けて放たれる。答えが返ってこようがこなかろうが関係ない。発せられる・放たれるだけのためにあるのが“お気持ち”。

なんていうか、行為があるだけで目的がないんですよ。意見とか告発とかじゃない、その先のことを考えた上での表現ではない。ビャッと脅かされてギャッと出てきた悲鳴みたいなもんでさ。

で、だいたいの会話って男女問わずそういうものでできているのは、それはそう。いちいち責任も覚悟も伴わなくてよい程度の表現の応酬によって成立している。こうだった、こう思った、そうなんだすごいね、俺はさ、私はね—―みたいなリズムがベースになっているから流れでやりとりができる。

ひるがえって“お気持ち”って、そういうリズムみたいなものとは無縁というか。自分だけの言葉でしかないなって思うんですよ。メロウなギターが鳴ってようがおかまいなしに後ろからバカスカドラム叩いてるようなもんで。そういうのがハマるときもあるんだろうけど、基本的には「うるせえな」ってなる。

加えてなんかこう「被害者」の立場を貫こうとするでしょう。本人としては「会話」の一環のつもりだし(無意識でリズムぶった切ってるくせに)、提言とか告発とかになると責任も付与されるからってそのへん一瞬で判断してうまいこと忌避してくる。なんというか小賢しさがある。

昔はそういうのを「可愛げ」と受け取ることもできたんだろうけど、どんどん視野狭量になってる今ではもう、そういうの全部にフタしてまわりたくなる。うるせ~。聞きたくね~。

—―というね、ここまで書いたものもすべて俺の“お気持ち”ではあるんですね。わかってる。ごめんよ。

ひとりでワーッて「いやだな」って思ったことを膨らませて書いている。共感を求めるのでもなく、自分の意図が伝わるかどうかもわからないままに、それでも吐き出したいものがある。あった。書いたら本当にすっきりした。あーよかった。

大事ね。“お気持ち”の吐露って。とても大事。
「イヤな気持ちになった→“お気持ち”を排泄する→すっきり!」っていう流れ。オペラント条件付けってやつ? 

何にせよ、うるさいからフタは閉じる方向でいきたい。みんなもどんどん閉じていい。それもまたみんなの“お気持ち”の結果なのだから。

3/1

今年ももうワンシーズン終わっちゃったね……//////
待って! あきらめるのはまだ早いよ!

いや本当に早い。早すぎる。認識が改まっていない。未だに今年を2023年だと思っている。さっきも仕事中に西暦でナンバリングされたデータフォルダの中から今年のやつと思って開いて「えっ入ってない!なんで!?」となって、しばらくしてようやく去年のフォルダを見ていたことに気が付いた。こえー。気をつけろ。

昨夜はオオタニさんのご結婚で沸きましたね。おめでたいね! そのほか特に言うことはないです。ないなー。


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