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俺のX 2023年11月 「お待ちしております。」

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けなすユーモアは陰口みたいだから昔から苦手なんだよな。
あと今回の件はいろいろシンプルに「失礼」だと思っている。

ヒルトンのビーフに普通にキレちゃった旅館側の皆さんダッサ、というキッズの気持ちもわかる。でもそこに「海外では普通だから~」的な論調が乗っかると一気に萎えるな~。

でも一緒に遊んでくれると思って強めにふざけたらガチ切れされた、と捉えると切ない。

なんか頭の中でずっと『まじかるタルるーとくん』のEDが流れている…
あれ『まじかる☆たるルートくん』だったっけ? 
表記も気持ちも揺れている。

11/17

マン・ピョウ(俳優)

忙しくて完全に手も頭も止まっているため傍目には単に「何もしていない人」に見えるかもしれないがめちゃくちゃ忙しい、ということもあるよね。うまく忙しがれない

ちゅぱちゅぱちゅぱ(動物)

文フリは出る機会を逸した感があるのでもういいかなというきもち。
もう祝祭になってしまった気がする。コミティアと同じかんじ。

杉並区も中野区もヘンな人が多いけれど、身の危険を感じるほどの「ヤバい」人はあんまりいなくて、逆に目黒区とか港区とかのほうがガチ感あってこわい気がする(偏見)。

11/20

「岸田内閣」と「池田大作」で踏める

「かまって欲しい」だけで「何かを発信したい」わけではなかったのかなーということはよく考える
かまってもらえるなら何でも良かった、たまたまテキストのSNSが手っ取り早かっただけで、そもそも写真でも絵でも漫画でも動画でも良かったというのは、たぶん俺に限らず、まあそう

話したいことがあるわけでもなく、なんかゆるく繋がれればそれでよかったという

仕事をしているときにしか考えをまとめようという気にならないな
「時間があるときにやろう」っていうのはなんか未来に丸投げしてるだけで結局やらないことのほうが多いよね

11/21

AIの話なんですけど。
自分が子供の頃って「こういうのがいいんでしょ?」みたいのを雰囲気とか顔色うかがうだけでアウトプットできてた気がするんすよ。そういう時期に褒められていたことが多かったという記憶がある。

とはいえ、当時の大人からしたら、そもそも子供が、我々大人にわかるようにアウトプットできてるだけで偉い、っていうところはあったと思うし、そのへん褒めやすかっただけなんだろうけど。

自分も大人になってみて、世界にはいろんな人がいて、いろんな好みとか考え方があるって、めちゃくちゃ複層的で複雑なんだなーってことがわかって「こういうのがいい」ってのは、もうよくわかんなくなった。
わかんないのよ。

そういう今だから、子供が「これ」って出してきたものだったら、おうおうすごいじゃんって思ったらなんでも褒めちゃうよなーっていうのはある。

もうね。大人になった今はもう、雰囲気とか顔色とかで推し量ることはやめて、ちゃんとニーズをインタビューするなりリサーチするなりして自分の中に「縛り」を作ってからいろいろ取りかかってる。

そういう「縛り」を作らないと、もはや発想すらできない。

で、AIの話。
いまさ、ChatGPTとかで、きゃつらが生成してお出ししてくれるものって、プロンプト(=いわゆる縛り)を駆使しても結局は最大公約数的なものが多いけどさ。もっとガンガン学習してけばもっと精度も指数関数的に上がってくわけでしょう。

そんでついには「こういう人生を歩んできたあなたにはこれです」とかって個々人宛てにズバリ回答できるようになる。無数の情報を個人に集約させるための「縛り」が最適化されることによって。「縛り」がどんどん個々人に最適化されていく。

そして、AIが学習の結果に得たその膨大な「縛り」の情報を使えば、あらゆる人生の数々の分岐を俯瞰できるようになりますよね。

不特定多数から集めた個人情報のデティールを積み重ねて網羅して体系化までできるよねっていう。できるでしょ、それくらい。ゆくゆくは。

で。そしたらね。

人生の「選択」の場面における悩みがなくなるんじゃないかって思ったんですよ。

たいていの悩みって「選択」からきてるわりに、じっさいに決めちゃえば意外と大したことないってことがほとんどだったり、逆にペッて選んだことが後々ものすごい悪影響を及ぼしたり、するじゃないすか。

でもね、とにかく情報があれば。

整理された幾千億人ぶんの人生の情報があれば。

雰囲気や顔色じゃない、明確なエビデンスのある実際のデータ、その膨大な情報があればさ。

たとえば、ある場面に遭遇したら「影響力の高い『選択』はここ!」みたいに教えてもらうとかさ。ノベルゲーとかみたいに、重要な選択に差し掛かったら「ポン!」てウインドウがAとBで二つ浮かぶとかさ。あるでしょう。

そこでAIがプレゼンしてくれるんですよ。「Aを選ぶとこう」「Bを選ぶとこう」って。

でもさ、悪影響だったからってその後の人生がガチクズなゴミになるわけでもなかったり、意外と大したことないなってことだったとしても後々に大ごとになったり、するわけでしょう。要するに、どうなろうと結局ようわからん。どうしたらええねん。悩むう。

そのへんが、AIにはぜんぶわかるとしたら。

どっちの選択だって結局は良し悪しがあるよねってことも含めてぜんぶ、わかるとしたら。

「来年の初売りで中古の安PCじゃなく奮発してMacを買ったら、有名デザイナーになって一生安泰ですが50年後に孤独死します。安PCを買ったら来年恋人ができますが年収300万のサラリーマンのままです」

「明後日行くドトールでアメリカンじゃなくカフェラテを頼んだら、その再来年に事故で死にますが、憧れのあの人とお付き合いできます。アメリカンを頼んだら、再来年の事故は避けられますが、憧れの人とは一生疎遠なままです」

みたいなさ。

ちょっとした「選択」の結果、結局どっちだろうと良し悪しがあるということ。それさえエビデンス込みでわかっていれば、人間はもう「選択」の重要性をしっかり失うことができるでしょう。
エビデンスもあって自分でわかってて決めたことだからさ。

そうなると、もう「選択」で悩まなくていいの。
どっちつかずのことなのに、二者択一いずれかを無理やり決めなくてもいいの。
だって何を選んだって一緒なんだから。そのことがわかってるんだから。

あなたは幸せにも不幸にも、どっちにもなれる。
そしてある場面ではその幸せと不幸せが逆転することもある。

そうよ。何を選んでもいいの。
もういいのよ。何を選んだって、この人生は死ぬまで続く。それだけなの――。

(低音のナレーター)
そして、やがて人は人生を諦める。
人生という概念はAIに滅ぼされる。

(おちゃらけモブたち)
AIすごい、お陰で悩みがなくなったよ!
世界中のあらゆる問題、全面的かつ完全に解決!!

(しげる)
AIが人間の尊厳を奪う云々、言われてるけど、こういうところだとしたら、すごくわかるなーって思った。地下沢先生『預言者ピッピ』の続き、お待ちしております。

どういう運用方法にするかまだ考えてるけど、おおむねこんな感じで、昔だったらXに流してもよかったようなつぶやきテキスト系を下書きっぽくメモしておいて、まとめて放流するマガジンということにします。

たまに長文も急にやろう。
お知らせとかは別でマガジン立ててもいいね。

11/22

なんか二週間くらいずっと風邪ひいてる気がする…「すっきり!全快!」という感じがまったくしない

えっ……これが老化?

11/29

今さらですが「ポイント還元」ってすごいケチくさいよね。

いいの。いいんだけど。「お客様でうまいことやっておトクにお買い物してね☆」という感じ、ケチくせえなーって。それより「お安くします!」のほうがわかりやすくうれしい。俺はね。

でも、そういうシンプルな販促を「ホントに安いのかな~?」といち消費者でも疑うようになっている世間なので、ポイ活こねくりまわして「こうすればおトク!」というゲーム的な達成感やら何やらを味わわせることも売る側にとっては必要なのだろうね。

何とかして買わせたい売る側、少しでもおトクに手に入れたい買う側。資本主義のバトルは日々繰り返されている。その構図には別に勝ちも負けも何もないけど。この社会は売り買いの概念で様々なバランスをとっているのだから。

このマガジンの存在を数日間わすれてた。こういう書き方。
ここのことをおぼえてるときは「あ、あのこと書こ」「お、こういうの思いついた」とか脳みそのどこかにテキストをストックしとく作業がちょっとあって、そのワンクッションがあるおかげで逆に「捨て出す」みたいなことも簡単にできてとてもいい。
脳内テキストって溜めた端から徐々に腐ってくからなーって。
やっぱ脳デトックスにツイッターってすごい良かったんだな。返してくれよイーロン。

たびたび嘆いてて恐縮だが、考えることが多い。

タスクというか、あれやんなきゃ、とか、これやっといた方がいいな、みたいなこと。
もう少しテキストからポイントを拾っておいたほうがいいな、全体を見直してもうちょい詰めたプロット書いておいたほうがいいな、みたいな仕事に関することから、風呂に入ったほうがいいな、酒は飲まないほうがいいな、という日々のことまで。
それってタスクっていうか……みたいなね。

結局やったりやらなかったりだけど、これくらいしかできないって卑下した精神が常態化するのがイヤねえ。
下に下に見積もることでぎりぎり踏みとどまってるけれど、そうなると、ぎりぎりの精神状態からなかなか脱せなくて。

この悪循環みたいの、どうやって抜け出せるのかな、まあでも俺こういう考え方でしか生きていけないし……あ、ほらまた。もう四十やで。

あー倍速ねえー。オーディオブックの聴き方。

でもこのへん本当の意味でみんなに合わせるとダメというか不可能だよねえ、と思っている。いわゆるユニバーサルデザインでも、それじゃダメな人ももちろんいて、じゃあどうやっていくか、というところ。とりあえずご意見ありがとうね、だなあ。

そしてその不満を声優に言うな。ディレクターに言うな。制作会社にも言うな。現場レベルの話じゃないということ、なかなかわかっていただけないものだね。

ユニバーサルデザインを作ってる側に言え。制度を変えろ。選挙に行け。世界も変えろ。たのんだぞ。


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