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チェコへの思いを書き留めておく

僕は業務系アプリのエンジニアやITコンサルタントとしてずっと生きてきて、カリフォルニアに進出しかけたり紆余曲折あったけど、2019年からはなぜかアキバで電子部品のお店をやってるわけです。

アメリカ・ベイエリアはいまでも移住のチャンスを伺ってはいるけど、僕はさんざん考えた挙げ句、子を育てるのは東京って決めてるので、そのへんの縛りがなくなってからかなあ。

いまのお店ってワンオペ3坪のしょぼいビジネスだけれど、活用できてない潜在価値が多々ある。そこを活用する流れの中での北米・欧州への進出は考えてて、軽く拠点はほしい。

そんな中での欧州・EU圏では、できればプラハに拠点ほしいなあ、と思ってる。現実問題としてはコロナが欧州で完全に再燃してるので、当分は無理なんだけど。今は妄想のみ。

実はチェコは2018年に一度行ったことあるだけで、国の細かい事情は知らない。自動車メーカーもある工業国で、地理的にドイツへの依存度が高く、そこに危機感もあるから日本への関心は高いらしい、と聞いた程度。

プラハの街並みは美しい。古いヨーロッパの街って感じ。そして、大好きな映像作家であるヤン・シュヴァンクマイエルを輩出した国。シュヴァンクマイエルは自宅兼アトリエを公開してると聞いたのでいろいろ調べて訪れてみたが、さすがにご高齢ということもあってかすでに公開はしてなかった。写真だけ撮ってきた。

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共産主義に翻弄された国 vs 共産主義者の父親に翻弄された男

チェコといえば「プラハの春」だ。1968年つまり僕が3歳の頃、当時のチェコスロバキアで起きた共産主義体制への反発と、それに対するソ連の軍事介入。多くの人が殺され、多くが収容所に送られた。

プラハには「共産主義博物館」がある。

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ここの展示内容やコンセプトは、お土産物屋にあるこのマトリョーシカをみるだけで伝わる。そういうことなのだ。

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一方で僕の話。

僕の父親は東大全共闘などの活動をしていた。その活動詳細はどうでもいいのだが、その流れに沿った組織として活動をしていて、長男である僕を後継者にしたかった模様。というより、僕を自分の所有物と考えるような人物だった。

僕には僕としてやりたいことがあったから二十歳そこそこの頃にある日家を出て、何年も居場所を教えなかった。そうこうしているうちに母が病気になり、連絡を受け病院に行ったときには意識がなく、そのまま亡くなってしまった。父は最近亡くなった。

具体的な内容はまったく面白くないので省くけど、まあまあ父親に翻弄された人生ではあった。

プラハの共産主義博物館では収容所に入れられた人などのインタビューが流されていたのだが、状況も環境もまったく違えど、僕の10代となんとなく重なっちゃったんだよね。

世界一のビール消費国

と、やや重そうな話も書いたけど、チェコは世界一のビール消費国。国民1人あたり161.5リットルは日本の3.3倍。こんないい国、ほかにある?ww

コロナで海外に行けないというのはかなり耐え難い。もちろん大惨事になっている国はこれからも心配だし、日本だってまだ油断はできない。

でも俺、この騒動が終わったらプラハに行くんだ。プラハに…。そう思ってるから、とりあえず書き留めておいた。

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