シン・ウルトラマンで「アレだな」と感じた部分を書いておく

映画『シン・ウルトラマン』を観ての話なのだが、決して映画評価ではなく、単に「誰向きの映画か?」という話。結論から言うと「僕向きの映画じゃなかった」という話ね。

僕は1965年(昭和40年)生まれのリアルタイム世代で、ソフビ人形いっぱい買ってもらってて「ウルトラマン好きで怪獣のスペックに異様に詳しい子」だったのよ。だから観に行った。

リアリティが欲しいのかどうなのか

映画自体は、皆が存在を認識している『ウルトラマン』を現代風に描き直し、あれが現実に現れたら政府とかどう動くんだろ?という点でリアリティを求めたのかな。そういうチャレンジは素晴らしいし、題材もいいよね。

ただね、登場人物の『家族』や『親子関係』がまったく描かれてないことが、僕にはかなり違和感だった。メインキャラではあえて描かないという考えもあるだろうけど、それが細部にわたってまで徹底されてる。ハリウッド映画なら、このストーリーに絶対親子ネタをねじ込んでくるだろうね。

ただ『家族』的な話はこの映画の重要なテーマのはず。人類は単体で意思決定する生命体なのに、社会の中でしか生きられない、だから他人のために自分の命を捨てることもある、というのはこの映画で大事な部分では?って思ったのだが。

子供が『記号』でしかない人たちの映画か

決して映画をディスる気持ちではない前提だが、逃げ遅れた子供を描いてるのに、その子供が『記号』でしかないような描かれ方に違和感あったのよ。まったくリアリティがなく、背景も描かれてない。

僕自身、4人の子を育てて還暦間近まで生きてきたから特に気になるのだろうけれど、この「子供が『記号』でしかない思考」ってのは実は日常生活でも割と僕は遭遇している。

渋谷に住んでいる時期に、ある子なしの友達から「お子さんも生まれたことだし環境のいい郊外に引っ越すのかな?」的なこと言われた。

いや、子育てとなれば保育園お迎えとかもあるし、在宅で仕事しててちょっと出かけなきゃとかも起こるから、むしろ都心に住まなきゃとか言いかけて、ふと気づいた。この人にとって『子供』というのはリアリティを持つ存在ではなく『記号』に過ぎないんだな、と。そう、記号。

政府の政策や選挙演説や、子育てしてない人が何故か語る育児論とかでも感じるのがこれ。同じことを、映画『シン・ウルトラマン』に感じたわけですよ。

子育てしてない人の意見のほうが通りやすい?

世の中にはいろんな人がいる。子育てしてる人もしてない人も、結婚してる人もしてない人もいる。それはそれでいい。

でもさ、子育てしないで仕事と趣味に人生の時間を全振りして、会社に長く居る人のほうが世間での意見が通りやすい世の中なのかも?ってのは思ったのよ。

この映画の想定ターゲットからすると、家族描くヒマあったら宇宙人たくさん出しとこうってことなのかもね。ターゲットが喜ぶ方向重視なのは正解だけれど、じゃあ僕はターゲットじゃないっすね。

もちろんターゲット層を広げたり、ウザくならないようにキャラを描いたりというのも、表現技量の一部ではあるとは思うが。

ということで僕のための映画は…

ということで、僕は中年のおっさんどうしがビール飲んだくれてボウリングしてる日常の話とか、ニューヨークを守る戦いをしながら美人のおばさんとボランティア活動もしてる話とかのほうが「僕のための映画」だと思えるのだよね。

なおMCU映画は想定顧客層を広めに取るマーケティング戦略が秀逸で、基本線はティーンエイジャー向きなのに、その親世代じゃなきゃわからないネタや音楽を混ぜ込んでる。あれは明らかに「パパが解説する」余地を作ってるね。

少子高齢化自体は人口構成の問題だが、現役世代に子育て未経験者の比率が高まってしまうのは、社会の情勢としてはよくないと思っている。なのでこういうエンタテインメント映画にも、子持ちお父さんの心を打つような作品が増えてくれるといいなあとは思ったり。

補足なんだけど「僕向きの映画じゃなかった」というのは映画へのネガティブコメントではなく、むしろ「僕のことは相手にしてもらえなかった」という寂しさのほうね。

僕自身深く愛着を持つウルトラマンを、僕と同い年の監督が作ったのに、ターゲットにはしてもらえなかった。

予告編にガンズ・アンド・ローゼズが流れちゃうような映画だと「俺、ターゲットにされとる!ターゲットにしてくれてありがとう!」ってなるんだけどね。


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