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ホワイトボードの存在意義。ぐちゃぐちゃでも“リアルタイムに思考が書き込まれる”から意味がある。

綺麗な資料を作って説明するより、その場の思い付きであっても、ホワイトボードに書いていった方が理解と共感が深まる。こんな状況に遭遇したことはないだろうか?
僕は20年以上まえに、MYボードを担いで客先に行くゾと豪語したホワイトボード好きだ。その面目躍如(??)の意味を込めて、ホワイトボードをアップしてみる。

見ていただくとわかるのだが、字も絵もヘタクソだし、一度書いた上にどんどん重ねて描いてゆく。斜めに書く、隙間に書く、途中で描くのを諦める。…もう滅茶苦茶である。この既にできあがった(?)板書を見て、何が良いのかわからない方が大多数だろう。
美しいホワイトボードを書くヒトを見ると尊敬する~(@_@;)

ところが不思議なことに、パワーポイントで美しく清書したものより
格段に理解が生まれやすい
のだ。
ちなみに、僕は昔パワーポイント使いと言われたくらい、PPT資料も得意で特にチャート化が得意で20数年分の大量のストックを持っている。
例えば以下のようなチャートとか。

はたまたこんなんとか?

これらのチャートとか、説明なしに見ても、どこを見てよいのか?わからないし、下手したら何を説明したのか?わからない…ということらしい。
描いてる本人は全体構造とかメカニズムを美しく解き明かした気持ちなんだけど、なんらかの疑問や問題意識を持って全体を俯瞰したいと思ってる人以外には刺さらないようだ。

結局、ヒトはヒトの心の中のパッション、エモーションに反応する。その感情がホワイトボードには(すぐ消えてしまうだけに)乗り移った状態!ということかもしれない。まあ、TwtterとかInstagramとかのストーリーに近いのかな??リアルタイムの心象風景報告!!