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『Googleが無くなる!』はかなり正しい…三年以内かな?

ジョージ・ギルダー氏の著作、『グーグルが消える日』が話題だ。
僕もサクっと読んでみた。自分が元々イメージしていたオンライン社会への疑念や今後の未来論と被るところが多く、僕にしてみると久々に全部読んだ。

確かに論点が拡がり過ぎて、結論がでてないところはある。
しかし、これを齢80歳!のエコノミストが書いてしまうところに、
まだまだ米国の面白さがあると思う。

とは言え、難解である。
著者のジョージギルダー氏は見事なほどの数学者&哲学者信奉の強い人だ。シリコンバレーにはそういう人が多いのはわかるが…。
僕も数学科出身だけど、そこを離れて30年以上、マーケティングとビジネスの畑にいる。シリコンバレーの天才的なサイエンティスト兼起業家への羨望はあるけど、まあそこに居ないだけに、彼らの考えてることの翻訳はできる気がする。

で、(メモの魔力が流行ってるので)ちょっと手書きのメモを書いて見た。以下である。


字が下手過ぎて、何書いてるのかわからん!、しかも漢字間違えてるし!
というご批判を受けそうなので、仕方なく再度テキストで打つ……(*´ω`*)

情報は積み上がるので、情報のマッチングという概念はない。
自分の中の情報空間も不可逆的であり、以前と同様のマッチングでは満足できない。

著者の表現はもちろこの通りの書き方ではない。彼は確率論のマルコフ連鎖を引用し、情報の積み上げの最前線の部分はそれ以前の全ての情報の遷移を含んでおり、3か月前に提示した情報マッチング(レコメンド)と同じものは同じように受け取られない……まあ、そんな風に僕は読んだ。
これって、情報マッチングサービスとマッチングロジックを商売にしてるGoogleには致命的だよね。ページランクも何もかにも、コンシュマーにとって、三か月後に出すときには変えなきゃダメ!ってこと。
これは僕自身の感覚と照らし合わせても実感あるね。

次いで…

我々の中の情報はメタ化されており、新しさも以前の新しさでは新しいと感じない。

人というイキモノは具体と抽象を行き来するもの。
そして、インテリジェントな思考能力を持つ人ほど、具体的な情報を抽象化したモデルとして自分の頭の中のポケットに蓄えておく傾向が強い。これをメタ化とかメタ認知という。メタ認知されて格納されていると、具体検索をしたときに提示された検索結果のパタンが似ていると『同一の回答』と認識されて新たに刺激を与えないし、格納されることもない。

そして、Googleの失敗に追い打ちをかけているのがスマートフォンの登場と普及だと感じている。

スマホの害悪は(消費認知の)“立体性を損ねた”こと。

PC時代よりもスマホの方が『検索結果や順位が分かりにくい』『広告だらけに見える』『見る価値がない印象』……そう感じる人が増えたのではないだろうか?この辺はGoogleのサービスだけではなくて、何かをスコアで検索した時にその順序が表示された瞬間に『がっかりする』人が増えたのは間違いがない。
なぜそんなことになったのか?
そのわけは、スマホの画面が狭すぎること、そしてその使われ方が『一次元空間』的過ぎるのだ。

『一次元的』『立体性が弱い』とはどういうことか?
検索される商品、または世界中の情報であっても事件であっても、それらは視点を切り替えると違うものに見えるような『多様性を持った複合情報体』だ。
PCのある程度広い画面では、切り口の選択(何で探すか?)ボタンがあり、表示された情報本体にも、単なるディスクリプション(説明文)だけではなく、多面性・属性の違いを示すスコアだったり、ポジショニングマップだったり、キーワードを表示する余地があった。
スマホは見事にその余地を排除してしまった。スマホに登場する情報はすべて同じ属性のタイムラインノードにしか見えなくなった。これが、Googleの敗北に拍車をかけたのだ。

そして最後に以下の二つを提示しよう。

このいずれもジョージ・ギルダー氏は別の言葉で書いてる。
ここにはかなり僕の主観もはいるが、その解釈を書いて見よう。

①ページランクで上からスコア順に並べよう!という発想自体が、人間の脳の学習的嗜好性に合っていないのだ。

➁消費者からはお金を取らない。(フリーミアム発想。)これは、Googleを始めとして、インターネット業界の中心サプライヤーがこぞってやってきた手法だ。ではだれからお金を採るか?広告主や商品・サービスを売っているビジネスサプライヤーから広告料やマッチング料として取るのだ。
これが長年経済が育ててきた『消費の成熟』を見事にぶち壊した。

この➁については一見すると消費者にありがたく見えるのだが、
実は全く有難くない!

自分が求めている重要な情報、死ぬほど調べたかった情報。使ってみたかった多機能のアプリ。昔からやってみたかった漫画や音楽制作をクラウドツールで無償でできるしくみ。

色々なものがオンラインで無償で提供されるようになった。でも当たり前だけど、サプライヤ側には開発や運営にお金がかかってる。
彼らはどうするかというと、有償プランにしつこく誘導するか?広告を出すか?はたまたお客の個人情報や行動情報を取得して、他の会社に売るか?しかない。

その急先鋒を担いでいるのがGoogleだ。

無償にして、大量に利用してもらい、顧客IDを大量に取得して、それで法人事業者からお金を取る……というのがビジネスモデル。
でも、大きな見落としがあった。お金を払わないユーザー(無課金ユーザー)は本気度が低く、ちゃんとした行動をしない、思い入れをもった行動をしない。本気で商品や情報を選ばない。

気づくと、世の中は、そんな人(タダのものばかり追い求めるけど、実は何も欲しいものが無い人)ばかりになった。彼らは人気商品に群がるけど、それを本気で欲しいわけでも、好きなわけでもない
無償じゃなくなったら、その瞬間に『ぷいっと離れてゆくユーザー』だ。

さらに元々何かに対して深く掘り起こしたり、熱い興味を注ぐタイプのヒトも、『無償』といわれた瞬間に、情報を真剣に吟味して選定する行動を止めてしまった。これは『行動経済学』でも語られている通りだ。
タダでもらえるものには興味が薄れてしまうのだ。

もっと極端に言おう。
フリーミアムは、人々から消費への本気度を奪い、消費がもっていた文化を奪い、とにかくお金出さずに暇つぶしができれば良いような無課金ユーザーばかりにしてしまった。その人達はメーカーやサービスサプライヤーのターゲットではない。50億人分のIDを持っていたとして、そんな経済社会のすきまIDとすきま行動ユーザーのデータ、いったい何に使うんだっけ?

ひまつぶしで100年過ごすヒトの行動データ、
取っても仕方ないよね?