入院7日目

知っている方はいるだろう。私は薬物依存により普通病床へ入院となった。入院の毎日の記録を書こうと思ったが面倒だった。一応今日、退院の予定ではある。なので、入院についてのお話をしようかと思う。

私は東京のとある病院で入院となった。理由はブロンの大量摂取。毎日60錠を3ヶ月半続けていたからだ。まあTwitterを見れば1日300錠飲んでる人もいるくらいだから、大したことないと思うだろう。しかし、ブロンを断薬してからの3日間は、あまりにも壮絶な日々であった。

ここの病院は携帯も自由、外出もしまくれる、天国のような環境であった。しかし最初の3日間は、離脱症状によって、全く動くことが出来なかった。毎日抑うつ状態、パニック障害などが起こって、希死念慮も襲ってきた。抗精神病薬のリスパダールや抗不安薬のソラナックスを飲んでも全く収まらない鬱、自殺願望。早く俺を殺してくれと何度も看護師に叫んだ。そして毎晩大泣きした。情けない話だが、それほどまで苦痛が私を襲っていた。なぜこれほどになるまで依存してしまったのかと何百回も反省した。薬との付き合い方が下手すぎる私は絶望した。

しかし3日を過ぎると大分楽になった。ご飯も食べられるようになったし、なにより体が軽い。離脱症状は一般的に3〜5日がピーク、1週間から2週間続くと言われていて、私の場合は割と早かった気がする。だがこの3日間は、時間感覚的に半年ほどの気分だった。それから、心に余裕が出来て、周りの病病棟の人物を見れるようになった。老若男女、様々な人がいたが、そこまで荒れてるような人はいなかった気がする。

私は愛煙家だが、ここの病院では決まった場所でしか喫煙できなかった。それも歩いて10〜15分。あまりに過酷であったが、いい散歩になった。公園で吸ってる人もいた。私も最後の方は吸った。
飲酒も禁止だった。だから、夜寝れない時に酒も飲めないしタバコも吸えない二重苦であった。まあ仕方が無いか。食事に関しては、非常にバランスのとれた食事であった。

退院予定日は2週間後であったが、もう入院に飽きた私は、1週間で退院することにした。医師には止められたし、「また絶対ブロンをやるだろ」と言われたが、まあやる気は今のところない。

〜それから〜 退院18日目

やはり私は市販薬は一切やらなかった。やりたかったが、そこは自分との闘いだった。マイスリーと酒でODはしたが、それだけだ。離脱症状はまだ残っていて鬱がひどい時もある。それでも乗り越えていかねばならない。
最近は色々な人の悩み相談に無償で乗っている。鬱や薬物乱用の辛さを分かっているモノとして、多くの人を助けられたらと思う。将来的にはNPO法人なんかも作ろうと思う。

次のブログには大麻についての記事を書こうと思っている。

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