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息が深く吸えなくなったときのこと

 去年のある時期、ちょっとつらいことが起きた。でもまあ何とか乗り越えられそうだ、という光が見えてきた頃。急に、息が深く吸えなくなってしまった。深呼吸しようにも、ちょっと息を吸っただけで、すぐに肺がパンパンに膨らんでしまうような感じなのだ。吸いすぎているのかなと思って、今度はたくさん息を吐いてみる。それからまた吐いた分だけ吸おうとするものの、やっぱりどうも十分に吸い込むことができない。

 よくよく考えてみると、空気だけじゃなかった。BGM代わりのテレビの音も、普段の何倍も気に触るようになっていた。食事だって、何を食べてもおいしくなかった。新しい空気や新しい音、新しい食べもの。新しく何かを体の中に取り込もうとしても、体の中がすでにいっぱいいっぱいで、もうこれ以上、なにも受け入れることができない、そんな調子だった。

 あるときふと、“言葉”かもしれない、と思い立った。

 あの人が私に投げつけた言葉。あの人に向けて、喉元まで出かかった言葉。
 受け止めた言葉と、飲み込んだ言葉が私の体の中で、最早もとの形を留めないほどドロドロに溶けて、それでも決して死ぬことなく、しぶとく生き続けているような気がした。苦しみながら、出口を探し続けて体の中でもがき続けているような気がした。

 それで、思い切って着の身着のまま電車に乗った。
 言葉が体から出ていってくれないのは、私をとりまく環境のせいのような気がしたからだ。人や物が密集している街の中では、私が吐き出した言葉は、すぐ近くにいる誰かにぶつかってしまう。そうして結局また戻ってきてしまう。さらに悪いことに、吐き出したものに次々と手垢がついて、より大きく、育ってしまうこともある。

 だから、広くて、高くて、何もないところじゃなきゃだめだと思った。私の吐き出した言葉が、どんな障害物にもぶつかることなく、どこまでも遠くまで飛んでいけるようなところ。飛んでいるうちに次第に薄まって、ゆっくりと消えていくようなところでなければ。

 2時間ほど電車に乗って、そこからさらにバスに乗って、たどり着いたのは海だった。少し曇った日の、灰色の海。人気のない砂浜に立って、ふうっと長い息を吐いた。吐いたら吸って、また吐いた。何度も何時間も、同じことを繰り返した。私の中に留まっていた可哀想な言葉の残骸が、ちゃんと出口を見つけられるように。湿った潮風に乗って、できるだけ遠くまで、のびのびと飛んで行けるように。

 しばらくして、道路を挟んで向かいのビルの、細い階段を上がって2階にある、古い喫茶店に入った。ランチタイムが終わったあとののんびりとした店内には、控えめな音量でクラシックが流れていた。店の天井からは、店の歴史を感じさせる、品のいいシャンデリアが吊るされている。注文したのは温かいコーヒーと、果物が華やかにあしらわれたプリンアラモード。生クリームをひとくち舐めると、美味しい。ちゃんと味がする。

 店の窓からは、さっきまで私のいた砂浜が見えた。
 さっきまで砂浜にいた私が、見えるような気がした。

 「観光ですか?」
 カウンターの向こうに立つマスターがふいに私に尋ねた。
 「休みに来ました、東京から」
 そう答えるとマスターは、疲れることもあるでしょう、と言いながら、店名の印刷された青いマッチを一箱手渡してくれた。
 「たまにはこうして海に来るのもいいものですよ」

 1時間ほどで店を出ると、海沿いの道を、駅に向かってゆっくりと歩いた。

 もらったマッチ箱の中央には、赤い鳥が一羽、描かれている。よく見ると赤い鳥は、小さいながらも堂々と二枚の羽を広げ、今まさに飛び立ったばかりのようにも、また、もうずっと長いこと飛び続けているようにも見える。

 マッチ箱を包む手に、少しだけ力を込める。

 この鳥を受け止めることができたのだから、私はもう大丈夫。
 きっと、もう大丈夫。

 そんな風に思って、帰りの電車に乗った。


photo by meri 

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