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さみしかった昨日まで

 とっても楽しい日曜日だった。彼と二人、小さな高速船に乗って、島へ向かったのだ。

 港で買ったきっぷを船長さんに渡して、彼の手をとって船に乗り込む。よく晴れた気持ちの良い日だったので、船室には入らずに、デッキの椅子を陣取った。

 「スプラッシュマウンテンになりますよ」

 出港直前、船長さんがにやりと笑って忠告したとおり、沖へ出るにつれて船はどんどん揺れはじめた。特に大きい波にぶつかると、ぐわんと体が浮き上がって、直後にザバーンと、デッキには海水のシャワーが降り注いだ。私も彼も、冗談みたいに一瞬でずぶ濡れになった。思わず顔を見合わせて、それから二人同時に声をあげて笑った。

 同じように、何度も、何度も海水をかぶった。ポタポタと水が滴り落ちる私の前髪を、彼がバッグから取り出したハンドタオルでていねいに拭う。私は、本当はすこし恥ずかしい気持ちを隠して、子どもみたいに、されるがままになっている。するとまた、ザバーン。さっきより勢いを増した海水の大雨が降る。拭いてもぜんぜん意味ないね、と言い合って、また笑った。船のエンジン音に負けないように、いつもより自然と大きな声で。

 その日は、上陸した小さな島を散策した。見晴らしの良い岬や、新鮮な魚の美味しい料理屋、時間が止まったみたいなみやげもの屋。手をつないだり、ほどいたり。真横に並んだり、前後になったりしながら、たくさん歩いてまわった。

 再び船と電車を乗りついで、ようやく家に戻った頃には日付が変わりかけていた。2人で手早くシャワーを浴びて、船でやったみたいにタオルで水滴を拭い合うと、つい先日揃えて買ったばかりのパジャマを着込んでベッドに入る。

 真っ暗な部屋で、狭いベッドに彼と並んで横になる。目を閉じて、1日の終わりを惜しむように記憶をたどる。真っ先に目に浮かんだのは、やっぱりあの船の上の時間だった。きらきらと光る水しぶきも、弾むような船の揺れも、あとから喉がヒリヒリするくらい大きな声で笑ったことも、全部もう一度思い出したら「楽しかったねえ」と、自然と口に出していた。「うん、楽しかったねえ」と、彼が応えた。

 しばらくすると、となりから深い寝息が聞こえてきて、つられるように私の体も、すこしずつゆるみ始めた。明日は何時起きだっけ。朝ごはん、何があったかな……さっき考えていたこと、なんだっけ……今日は、よく眠れそう。

 そのときだった。

 「さみしかった」

 急にはっきりとした言葉が聞こえて、驚いて目を開けた。続けてもっと驚いた。なぜなら、それを言ったのはほかでもない私自身だったからだ。
 どうして急にそんなことを言ったのか、さっぱりわからなかった。なにかさみしい夢でも見たんだっけ。考えてみても、そんな覚えはまるでなかった。今日だって、さみしかったことなんてひとつもなかった。じゃあ、いつさみしかったんだっけ。

 すると、となりに寝ていた彼が目をつむったまま、長い腕で私をぐるっと私を包んで言った。

 「ずっとさみしかったねぇ」

 “ずっとさみしかった”
 彼の言葉を胸の中で繰り返すと、不思議なことに涙がこぼれた。一度流れ出すと、どんどん溢れてとまらなくなった。彼は何も言わず、ただ目をつむったまま、トントンと私の背中を叩く。まるで、子どもをあやすみたいに。

 今日はすこしもさみしくなかった。昨日まで、ずっとさみしかった。

photo by meri​



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