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ある日の出来事

今日、高校3年の夏休み人生一回きりの「家出」に付き合ってくれた
当時21歳だった青年が
70歳の爺さんになって店に訪ねてきたよ。
店の入り口で俺のこと分かる?と
その爺さんは聞いてきた。
顔は別人級に変わっていたけど、
声がN男だった。
1975年の夏のことは「17才の夏」と言うタイトルで脳みその奥の奥に綺麗なカバー付きで並んでいる。私の海馬ではちゃんと映像化され短編映画になっているんだよ。

N男は日産のスカイラインGTに乗っていた。友人達はN男のことをスカジーと呼んでいた。当時、人気の車だった。

あちこちの海で泳いだ記憶があるから水着は持って行ったようだ、それから確か現金5000円と残高8000円の郵便貯金通帳を持って出た。「探さないで下さい」とベタなメモを自分の部屋のドアに貼り、深夜、トイレの窓から抜け出した。N男のスカジーは約束どおりAコープの前に止まっていた。それから福岡に向かった。一日中 泳いだり、銭湯に行ったり、誰も居なくなった海の家で寝たり、車の中で寝た。N男はお金はほとんど持っていなかった。博多あたりの郵便局でお金は全部下ろしたが底を着いて来て今は唐津市になっている呼子へ向かった。N男の知り合いの「みっちゃん」と言う人の家に転がり込んだ、全く初めましてのみっちゃんは気さくな人で、当時20才くらいだったと思う。漁師のお父さん働き者のお母さんと兄妹がいて、私の存在を気も止めい感じで接してくれて、それかとっても心地よかった。 凄く憶えているは中学生の弟が唐津のボーリング場の貸し靴を貰って来たと自慢げに見せてくれた。当時流行っていたアイビーファションのサドルジュースみたいでカッコいい靴だった。私の家ならボコボコに殴られるような話しをさらっとしていた。それから東京から帰省していたみっちゃんの従姉妹が彼氏を連れて遊びに来ていた。二人は東京の美容学校に通っていて2才年上だった。標準語を話す恋人たちは一条ゆかりの漫画から抜け出したような美男美女だった。この辺は私の海馬が私好みに描き変えているかも知れないが…夕方、皆んなで泳ぎに行った。みっちゃんと弟妹、東京の二人、そしてN男と私、西陽で海がキラキラ輝いていた。次の朝、呼子の港の公衆電話から友達に電話をしたら、やっぱりうちの親から連絡がいっていた。大騒ぎになっていると聞かされた。友人はかなり怒っていた。その日、家に帰った。ぎゅっと詰まった初めてづくしの旅は終わった。母が言った。「父ちゃんは心配でずっと寝とらさんとよ」と、その時は大袈裟な〜と思ったし、殴られることが怖かった。10発は覚悟していたが父はただ黙っていた。何も無かった。今なら分かるが父も母も私のこと、ちゃんと愛していてくれたんだと…そんなことを思い出した2024年4月9日。
*読んでいただいた方へ
まるで虐待された話しではありません。父は大正生まれで
躾と暴力の線引きが曖昧な世代の人でした。いつも殴られていた訳では無く、あっヤバいと言う時(理由がある)だけでした。一番、笑える思い出としては15才の春、眉を剃った時には殴られました笑笑

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