蹴りたい背中があるから蹴られなかった僕たちが鮮明になった

学校に居場所がなかったから3時間目の授業が終わったら人足先に弁当を食べて昼休みは学校の周りを走っていた。ダイエットだと自分に言い聞かせて。高校の頃の俺って周りにどうも思われてなかったのかな。蹴りたい背中を読んだ同級生が俺のことを思い出してくれたらな。誰かのきおくの一部でありたいなと思った。

この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい”長谷川初実は、陸上部の高校1年生。ある日、オリチャンというモデルの熱狂的ファンであるにな川から、彼の部屋に招待されるが…クラスの余り者同士の奇妙な関係を描き、文学史上の事件となった127万部のベストセラー。史上最年少19歳での芥川賞受賞作。

「BOOK」データベースより


やっぱり物語の1つの理想として想像力を総動員してこの世のない存在や現象に説得力を持たせるというものがあると思う。この作品は「背中を蹴りたい」という普通の感覚とはややかけ離れた衝動を持つ女の子の存在を読者に受け入れさせているところがすごい。

内面的な状態、二人の関係性、これまでの経緯など様々な要因を踏まえてあの状況で「背中を蹴る」という行為にたどり着く、綿矢りさの感性が羨ましい。

一見、意味のわからない行動かと思うけど、そこは細い線で繋がっていて、蹴るという行為に至るのが作者にとってはごく自然な流れであり、筋の通っていることなんだと思う。作中にあった鋭い感覚の数々がそんな風に思わせる。

ハツは「気づいている側」で、にな川は「気づいていない側」。同じような二人なのに見えている世界は全然違う。学校に居場所がなかった自分にはハツみたいな存在はいなかった。かといって無神経な人間だったのでハツになることもできなかった。どちらかというと、にな側よりの人間だった自分も今は小さなひっかかりをできるだけ深く掘り下げて日常を見ているハツに憧れている。

自分だって誰かとライブ見に行きたかったし誰かにとって自分の背中が「蹴りたい背中」であってほしかった。思春期の複雑な感情を誰にもぶつけられなかったしぶつけることもしなかった。とても後悔しているけど、そんなわだかまりを抱えた者同士が出会い、この小説のように心が行き違えば、新しい物語ができあがるんじゃないかな。人生はまだまだ先があるので、いつかその当事者になってみたい。

蹴られなかった背中を抱えるもの同士で蹴りたい背中の二人になれたら。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした