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たまには人生をふりかえる。

しほんです🕊


前回の記事から2ヶ月ほど経ってしまいました…(実は下書きしていた記事があったのですが、諸事情により未公開にしました💦)

前回予告した自分の事を書くのがちょっと億劫になってしまいまして、違うネタにしようかな〜とも思ったんですが…
もうすぐ自分の誕生日🎂という事もあり、つたない文章になってもいいから一発自身の人生を振り返ってみようかなと。

ほぼ殴り書きなので文章変だったり多分めっちゃ読みづらいです。ごめんなさい🙏


今でこそ少し達観(までは全然いってないけど)できるようになってきたかな?という私の人生ですが、幼少期の事を考えると本当に苦しくなるくらい嫌なことしかなくて
親、姉兄、学校、同級生、まわりの大人達、どこにも救いも居場所もなく、とにかく「安全な場所」も「自分を肯定してくれる存在」も何もなかったと思う。

もちろん、大人になってからの事は(基本)自分の力でどうにかできる事が増えるし、そこを言い訳しすぎる事は良くないのは理解してる。

でもやっぱり人間の生きていく力や自尊心を育てるのが必要な時期にそれらが得られなかったのは大人になってからすごく悪い影響を与えたと思う。

私の人生にとって「生まれてきたこと(意味)」「家族」「愛」みたいなのはずっと切り離せないもので、どんな言葉をかけられてもきっと揺るがないし、忘れたふり知らないふりをしてもどこか囚われて生きていくんだろうなと覚悟してる。

「家族」
大人になって家を出て数年、許したり愛そうとした時期もあった。でもやっぱり無理だった。
「大人になった私」が「今の家族」と接する事はできても「あの頃の私」が「昔の家族」を許せる事は一生ないです。

私は父の事を父として必要する事はずっと昔になくなってしまったし、母の事は人間としては悪い人ではないんだと許容しようとしたけれど、私にとって母として母の愛情をくれない人は必要ないなと理解してしまった。

父母が亡くなり葬式があるとする、その時に大阪に帰らないといけない事に意味を感じらないくらい、何だか遠い存在になってしまった。
私は両親が亡くなったら泣いてあげられるんだろうか?私は冷たい人間だなぁと思う。

きっと私も両親にとって自慢できるような子供ではないし、今更汚い感情をぶつける事ももうない。
ぶつけたところで理解も正しく受け取ることもできない事も分かっている。
だからただゆるやかに別れの準備をする。自分のために。

私には姉が1人と兄が3人いる。
姉には姉ではなく母のような役割をさせてしまった(母は私が小1の頃家を出ていったので)事に対していまだに罪悪感がある。
兄の事を詳しく書くのは色々な意味で躊躇われるので今回は省略する。
ただ一つ言える事は今私が大人の対応ができるようになってよかったね、という事。

そう、大人になると許せなくても許せたふりができるし忘れてないのに忘れたふりもできる。
嫌いな人間とも笑って喋れる。
昔の私はそれがどうしても汚く感じてできなかった。
でも今はできる。それが汚いとも思わない。
自分の心を守るために生きるためにするだけだから。


「生きること」
死にたかった。というより何で生まれたのか分からなかった。
母はそんなつもりもなく悪気なく「3人目が双子だった時点で次の子供をつくるつもりはなかった」といった。
じゃあ何で私が生まれたかというと下世話な話、父が避妊ができない人だったからだ。
そんな感じで両親から愛されてるなぁ…みたいな記憶が思い出せない。
両親なりに「愛していた!」っていう言い分があるかもしれないけど、最低限の衣食住すら不安にさせるような扱いしといてそりゃないだろうと兄姉全員ツッコミ入れると思う。

人は極限まで精神をやられると喜怒哀楽の感情が抜けてしまうらしい。
当時の私は何の感情も出せなくなっていたみたいで(姉から聞いた)、学校に行っても孤立した。学校に行く元気も気力もなくなった。
先生も自分の保身ために私を無理矢理学校に行かせようとした。私の状態も感情も境遇も何も興味がなかった。
誰からも必要とされていなくて居場所がなくて自分のせいじゃないことで馬鹿にされ否定される。
何で生きてるんだろうって思った。
何の罪もない人が事故や殺人で亡くなるニュースを見る度に私がかわってあげられたら良かったのに、と思った。
死にたくて辛くてどうしたら愛してもらえるか分からなくて、1人の時に静かに泣いた。

そんな地獄のような小学1年〜5年生を過ごした。
小5の時に母に最後のSOSを出した。
それは残酷に跳ね返された。
死のうと思った。でも死ぬ前に私を馬鹿にした奴ら全員を傷つけて残酷に残虐に殺してやろうと思った。
でもやっぱり生きたい気持ちもあった。
まだ希望とか救いがあってほしいと思った。

潔く死ぬか、みっともなく足掻きながら死ぬ気で生きるか、どちらかを選ばないと駄目なんだと思った。

私は生きることに決めた。
嘘の自分を演じた。
愛されるように好かれるように明るく優しくて良い子になろうと必死に演じた。
嘘でもいいから愛されたかった。
必要とされたかった。
最初はうまくできなかったけど、元々人の顔色を伺う人生だったのでそれなりに空気を読んでそれなりに人とうまくやれた。

ただ定期的にそんな自分が空っぽに思えてどうしようもなく死になくなって、誰にも会いたくなくなった。
夜よりも朝がこわくてこわくて仕方なかった。
始まらないでほしい。世界が終わってほしい。
そんな日々を過ごしていた。


「愛」
愛されたかった。無償の愛を知りたかった。
愛されるためにいくらでも努力できる!と思えるの同時に努力しなくても愛してほしいと思う自分が心の中にいて、ずっと気持ちがパンパンに張り詰めていたように思う。
飢餓、あらゆる事に対して飢餓状態だった。

「今」
母は子供を愛せない人だったんだと思う。(人間愛はある…と信じてる)
子供を抱きしめる事もうまくできない、と言っている人だった。

私はこれまで色んな人と出会い、別れたりして、色んな経験を経て、多分「愛」を知っている。というかたくさんの人に教えてもらえた。
愛には色んな形がある。
私はきっと母のようにはならないし、自分の子供を愛する事も抱きしめる事もできる。

でも多分、子供をもつ事はないと思う。

年齢的な問題でもっと真剣に〜とか考えた時もあったけど、私は今、自分の人生を生きたい。

昔自分の人生を生きれなかったからこそ、自分の人生をもっとちゃんと生きていきたい。

自分勝手で親不孝者でいつかどこかで野垂れ死ぬかもしれないけど笑、
人は自分の人生はいつでも終わらせられるし、ある日急に終わってしまうこともあるから

せめて今を少しでも幸せに充実して過ごせるように。


ここまできて
読み返すのがちょっと怖いくらい呪いのような文章になってるかもしれないし、あくまで私から見た視点の話なので、うーんキツい…って思われる表現もあったかもしれないけど

恨み辛みを吐き出したかったというか、私が何だかんだここまで歩いてきたんだなぁ〜という、すんごぉ〜〜〜〜く軽いまとめとして書いてみました。

次回じゃないとは思うけど、今回とは逆バージョンの「私が出会った優しい人達」も書きたいですね。

あと最後に…
私は今、ちゃんと幸せです。
好きな事ができて、応援してくれる人、長年友達でいてくれる人がいます。
もう自分の力で自分を幸せにできます。
そして大切な人を幸せにしたいです。
だからどうか、心配しないで下さいね。


ではまた👋
つ、次の記事は2ヶ月後とかにならないようにします…_(:3」 ∠ )_

 


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