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そして、今年も桜は咲く~福島県富岡町・浪江町を巡って~

今年はどうしても桜を見たい気持ちになった。

もちろん日本で暮らしているから生活圏内にも桜はあるし、日常の中でも春の訪れを感じることはできたけれど、今年はじっくりと桜を見に行きたい気持ちが強くなった。

思えば、いつの間にか、桜は私とって生命エネルギーのシンボルになっていた。


2011年4月。
それまでの日常が崩れ、まだまだ先の見えない状況。

福島に来て約半年で未曾有の災害に遭遇した私は、マスコミという使命を果たすというよりも、まだまだ慣れない仕事と環境で、目の前の業務にただ取り組むのに必死、必死。

4月半ばの朝、夜勤明けの私。
朝早く出社する人と挨拶を交わし、「今日は大きな地震がなかったな…」と、安堵感と睡魔でぼーっとした体を引きずり、ふと外を見ると、青空の下で、色鮮やかな無数の桜が咲いていた。

その姿は堂々として見え、一瞬にして心を奪われた。

「何があっても桜は咲くんだな…」

原発事故で汚れたと言われた土地だけど、『そんなことは関係ない』とばかりに咲く桜の偉大さに、それまでの疲れや不安がすーっと消えていく感覚を覚えた。

桜を愛でる習慣のなかった私にとって、桜が生きることの象徴で、心の支えになった瞬間だった。


だからなのか、特に今年は福島で桜を見たいと思った。

そんなとき、FacebookやInstagramで頻繁に流れて来た福島県富岡町の「夜の桜」の状況。

富岡には福島時代にお世話になった大切な人がいて、その人に会いたいという気持ちもあって、弾丸日帰りで富岡町まで行くことに。


4月8日、朝早く東京を出て、まずは、いわき駅へ。
去年10月にJR常磐線の富岡駅―竜田駅(楢葉町)間が、約6年7カ月ぶりに運転再開したということもあり、富岡町までは電車で。

いわき市の「末続駅」で車窓から駅を見ていると、駅舎に沢山の白装束の人たちが。何かの神事なのかな?なんだか縁起が良い。

いわき駅から40分ほどで富岡駅に到着。津波で流された駅舎は綺麗に建て替えられ、物販や飲食スペースが併設されていた。

富岡駅で今回会いたかった人・平山勉さんと合流し、早速、夜の森まで。

平山さんは富岡町の出身で、相双地区を中心にボランティアをする「相双ボランティア」を主催、また、ACIDMANなどを輩出したインディーズレーベル「Nomadic Records」の代表でもある。

震災関係の番組と音楽番組をずっと制作していた私は、色々な面で本当に本当にお世話になった方なのだ。

赤いジャンパーの人が平山さん。

桜の季節に合わせて出店もあり、お花を見る前にまずは腹ごしらえ。

平山さんオススメの桜団子。美味しかった。

富岡町は原発事故のため全町避難となり、誰もが簡単に出入りできる町ではなかった。

しかし、2017年3月31日に避難指示が解除され(帰還困難区域以外)、去年からまた、自由に桜を見に来られるようになったのだ。

こちらが、夜の森の「桜のトンネル」。

今年は桜の開花が早く、私が行った時には散りかけの状態。

それでも、樹齢100年のソメイヨシノ・約500本が道路の両脇に並び咲いている様は圧倒的な美しさ。


夜の森の桜は、富岡町のシンボルでもあり、誇りでもあったので、この日もたくさんの富岡町の人々が桜を見に来ていた。

平山さんは、富岡町内でビジネスホテルも経営していて、町内の有名人でもあるので、数歩進むたびに声をかけられる。

同じようにあちこちで再会を喜ぶ人々。

夜の森の桜並木が富岡の人々をつなぐ大事な場所だと実感し、見ている私も勝手に親戚気分に。

私自身も富岡やいわき、南相馬でお世話になった方と久々に会うことができて自然と笑顔がこぼれ出す。

桜並木側の施設で、富岡町の「一般社団法人とみおかプラス」のブースも設けられていて、8月に打ち上げる花火の玉に絵付けすることもできた。
(私も書かせていただきました。)


夜の森の桜を楽しんだあと、帰りの列車までまだ時間があったため、平山さんにお願いして浪江町まで行くことに。

浪江町も全町避難になっていたが、去年3月31日に避難指示が解除されている。

浪江町の桜の名所、浪江町役場すぐ側の請戸川リバーラインへ。

川にせり出した桜み迫力がある。

富岡町よりも桜が残っている様子だったけど、こちらはほとんど人がおらず、桜ほぼ独占状態。

気合の入った格好で写真を撮る平山さん。

浪江町役場の側には、2016年にオープンした仮設商店街『まち・なみ・まるしぇ』ができていた。

この日は日曜日ということで、ほとんどのお店がお休みだったけど、イベントなども開かれることがあるようで、浪江町の交流・憩いの場所になっているそう。

そして、請戸漁港へ。

津波被害にあった港は綺麗に整備され、何隻もの船が留まっていた。

原発事故の影響で、本格的な漁は再開していないが、10キロ以上離れた海域での試験操業は行われている。

海が戻ってくる様な本当に感慨深い。

地元の人のために設置されたと思われる簡易的な展望台。
時間帯的に登ることはできなかったが、ここから浪江の復興の状況を一望できたんだろうなと、想像できる。

海とともに生きてきた地元の方々にとっても大きな一歩を感じるための展望台なんだろうな。

津波で被害にあった請戸地区にあった苕野神社の跡地。

今年2月、豊漁などを願う伝統行事「安波祭(あんばまつり)」が震災後初めて、町内で開催された。


浪江町の海岸沿いを進むと津波にさらわれた墓地が。

流された墓跡が集められている。

この墓地は復旧工事を行わず、高台に共同墓地が設置されている。

請戸地区の大平山にできた共同墓地。

海沿いあった請戸小学校の子供達は、この大平山に避難することで助かった。

墓地に設置された慰霊碑の裏に追悼と復興への思いが綴られている。


弾丸・相双地区ツアーはここで終了。

振り返ると福島県滞在時間は6時間もなかった。

お付き合いいただいた平山さんには感謝しかありません。


富岡町や浪江町で咲く桜は、人々の悲しみも希望も全てを抱きしめるように咲いていた。

真っ青の空と、穏やかな海が、生きることの意味を教えてくれた。


福島県で、前に進む力をもらい、また私も日常を歩み進めている。


(一度途中まで書いた記事がすっぽり消えてそのままにしていたこの記事。桜の季節もすっかり終わって梅雨に入ってしまったけれど、今思い返しても素敵な1日だったので、どうしても残しておきたく、また書き進めることにしました。)


#福島県 #富岡町 #浪江町 #エッセイ #桜

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