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逃げたいときは逃げるべきだ


信頼していた人から言われる冷たい言葉ほど心臓に鋭く突き刺さるものはない。どんなに大切にしてくれようと、好きと伝えてくれても、手を握られても抱きしめられても、意識とは関係なく体が構えてしまう。

「この人は昔私に、気持ち悪いと言った。頭が悪い・バカだ・何も出来ない・○ネと言われたこともあった。今与えてくれている好意は本物なのか、裏ではあの時みたいに気持ち悪いと思ってるんじゃないのか」と考え、目の前で起きている事の裏を探ろうとしてしまう。

私にも悪いところがあった。相手だけが全部悪いことは絶対にない。ただ、人格否定をされることが何よりも嫌だった。何度も、【そういう言葉を言うのはお願いだからやめてほしい】と伝え続けて3年間が経っていた。


だんだんと、体が否定の言葉を受け入れるようになる。自分はバカで気持ち悪くて何も出来ない、そう思うようになる。どんどん自身を醜く感じ窮屈になり、泣いて眠れなくなる。相手を好きだが純粋に好きではいられなくなっていた。


私はボロボロの精神を誰かに相談する事が恥ずかしかった、見栄があった。プライドが高くこんな自分を誰にも知られたくなかった。そして自分を傷つけはじめた時、どうにかこの現状から逃げたいその一心で、10月末北海道へ1人旅行をした。

勿論そこには知り合いがいない。かなり背伸びをしたホテルに泊まり、SNSには一切触れず自分の思うがままに3泊4日過ごし、自分を観察し続けた。


北海道から帰った時には

「お前はダメな人間だ」と否定されて傷ついていた日から一転し、「全くダメなんかじゃないし。私は幸せの意味を知ったし1人でもある程度のことは出来るんだから。」と自信が芽生えていた。


私が逃げるためにした旅行は私に大きな影響を与えた。


1人で大胆な行動をする事が出来た自身への感心と達成感。


幸せな時間を経験したことにより、またこの時間を味わうために一生懸命生活していこうと言う気力。


そして逃げることは悪くない負けではないと考えられるようになった。



どうして今更こんなことを書くのかというと、私と同じような方の記事を読んだからだ。その方は心が楽になる方法を模索していて以前の自分と重なった。だから私の経験をここに残そうと思う。その方が見なくても、誰かにくだらないと嘲笑されても、ここにはこんな奴がいるよと、それだけ残しておきたい。


とにかく一歩、いつもと違う・普段なら1人でしないような行動をしてみる。それが私にとって大きく自信を変える事ができた唯一のことだ。それが逃げることだと分かっていても。


嫌なことからは逃げる。無理して向き合う必要はない。働いてお金をもらって自分のために生きなくてはいけない。誰かに支配される人生であってはいけない。



だから、逃げましょう。


誰かに相談できるのであれば、泣きついてでも話を聞いてもらうのが一番良いと思う。でも私のように誰にも相談できないのであれば、逃げましょう。


自分のためだけに時間を使って、沢山の癒しに触れて、見ず知らずの人と会話してみたり。そうしてみると、自分のことを悩ませる卑劣な言葉なんて小さく見えてくる。そんな言葉より、得た自信のほうが遥かに価値がある。


だから一旦、現実逃避で良いから、逃げましょう。


嫌なことから離れることは、自分を守るための方法。

そして得た自信を持って、その先を幸せだと思う方に判断すれば良いのだから。




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