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シカク運営振り返り記 第6回 香山さんからの影響(たけしげみゆき)

インディーズ出版物のお店・シカクの運営を振り返る連載です!
過去の記事はこちら。

 良きにせよ悪しきにせよ、「この人に出会っていなかったら、私の人生どうなってたのかしら」と思うような人は誰にでもいると思う。
 私にとって香山さんはまさしくそんな人だ。と書くと大げさなようだけど、香山さんに出会わなければ間違いなく、私は今よりずーっと無知でいじわるな人間になっていたし、シカクも今のような店になっていなかった。なんならもうとっくに閉店していたかもしれない。


 例えば、前回でも触れたが、当時の私は「自分が知っていて相手が知らない知識や情報」があると、「あらあなた、こんなことも知らないの」みたいな、偉そうな態度をとっていた。今でいうマウンティングである。開店直後から「知識のある大人たち」によるマウンティングをされまくっていた私は「知識のある人間はそういう話し方をするものだ」と思い込み、それを真似していたのだ。虐待されて育った子どもが、自分が親になったとき虐待を繰り返してしまうのと同じ構造である。

 だけど香山さんは、私がどんなに物事を知らなかったり、香山さんの話すことを理解できず訊ね返したりしても、一度たりともバカにする様子を見せなかった。むしろ自分の中にない考えや質問が飛び出してくることを楽しんでいるフシさえあった。そしてこちらが理解できるような言葉を選んだり、わかりやすい例えを使って、いくらでも時間をかけて説明してくれた。
 そんな香山さんと接しているうちに、本当に頭がいい人は、頭が悪い人を決してバカにしないのだとわかった。学習や教育の大切さを知っているから、自分の持っている知識を最大限分け与えようとするのだ。それに無知は恥ずかしいことじゃない。恥ずかしいのは、無知を認めず知ろうとしないことと、無知をバカにしてくる人間のほうだ。
 それがわかってから、人に知らないことを聞くことを恥ずかしいと思わなくなったし、反対に人から何かを聞かれたときも、自分にできる限り丁寧に答えることを心がけるようになった。


 また香山さんは、自己責任論を嫌い、「どうしてそうなったのか」を徹底的に考える人だった。貧困、性犯罪、依存症、虐待、ブラック企業などの社会問題から、「聞いてください、バイト先でこんなひどいこと言われたんですよ!」みたいな世間話に至るまで。
 あらゆることは「自己責任」だけで片付けられるものではない。その原因を作ったのは、教育の欠陥や、福祉やセーフティーネットの不足や、社会的な風潮であったりする。そういうことを、博識な香山さんは海外の事例や歴史や臨床実験の結果など、いろいろな側面から説明してくれた。
 そのディティールを全て覚えているわけではないけれど、その考え方は今でも社会や人付き合いについて考えるときのベースとなっている。

 それから香山さんは、誰に対してもニュートラルで穏やかな態度を取る一方、創作物に対する姿勢はとてもストイックだった。
 香山さんが2006年に発行した「漫画少年ドグマ 創刊号」(現在は絶版)に、いわば創刊宣言と呼ぶべき文章が掲載されている。私と出会うさらに5年前に書かれた文だが、若き私は若き香山さんが書いた文にシビれにシビれたものだ。今と考えが変わっている部分もあるかもしれないので香山さんには不本意かもしれないけど、一部だけ引用させていただく。

『ドグマには一つの理念がある。売れはしないがとにかく面白くて楽しいサービスを行う、という事だ。これは、売れなくてはならない商業誌には出来ない事だ。』
『本来なら面白くて楽しい物は評価され、売れるようになって欲しいのだけど、いくつかの条件が満たされた特定の場合において、そうはいかなくなる。(略)
 そこで、僕は、たとえ売れなかったとしても、自分の客観視に自信を持ち続ける事を徹底する事にしたのだ。売り上げがいくら悪くても、ドグマが面白くて楽しい雑誌であるそれが為に、この僕の生命ぎりぎりまで雑誌の値段を必要なだけ下に落とし、素直な気持ちで読み、真剣に作品と対話できる読者に対し、ポップで余計なバイアスを排除した、複数回楽しめる作品を載せた雑誌を作る事を心に誓ったのだ!』
『僕は、この雑誌に関する全作業を、紛れも無く、世界のためにやっているのである。頭がおかしいと思う方もいるだろうが、結構である。そういう諸君は僕のような人間に不慣れなだけであろう。更に言えば、他にこんな事を言い、行う人間がもっといれば、漫画と世界はもっと良くなっているはずである。ここからは全員の同意など不要である。僕の考えを述べよう…これは僕の考えであるが…世界のあり方は、変える事が出来るのである!ほんの少しでよいのなら、誰しもが世界を変える事が出来るはずなのだ!』


 ……ああ、それなりに色々経験してきた今読んでもやっぱりシビれる。この力強さ、芯のブレなさ、広げる風呂敷のデカさ。「自費出版の」「漫画雑誌」を、これほどの熱い思いで作れる人、後にも先にも他にいないんじゃないだろうか。
 いや、ここまで煮えたぎるパッションではなかったとしても、同人誌やミニコミを作る人の多くは、身銭や限りある時間や多大な労力を惜しみなく使い、何かしらの思いを一冊の本に込めている。右も左もわからず始めたミニコミ書店だが、そんな作品を人々に届ける一助になるのなら、なんて素晴らしいことだろうと心から思った。
 そして私も「たとえ売れなかったとしても自分がいいと思う本を真剣に売っていこう」と固く心に誓ったのである。


 ……とまあ、熱気のこもった文章を書き連ねたが、これらは香山さんと交流する何年もの間にじわじわと私に浸透していったことだ。
 この連載の時間の流れに話を戻すと、香山さんに出会った次の日からも、私とBは相変わらずのアホだった。人は一日では変わらない。
 原発について語るトークイベント以降は、フリマで買った外国のカードゲームのルールを予想して適当に遊ぶ会、ギターを全く弾けない人の演奏をまじめに聴く会、淀川でUFOを探す会などといった偏差値の低いイベントを、とりあえずなんでもやっときゃええやろやらへんよりマシやわ精神でやっていた。

 そんなある日、我々はとある用事で東京に行くことになった。さらにちょうどその用事と同じタイミングで、「文学フリマ」という即売イベントが行われることがわかり、シカクとして初めて東京のイベントに乗り出すことになった。
 その旅を通して私は、ある気付きを……普通の大人なら当然すぎて気付かないでいることのほうが難しいくらいの気付きを得ることになるのだが……また長くなってしまったので、その話は次回。

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