FicS通信番外編:同担拒否はしょうがない?

同担拒否、という言葉がある。
「同じ相手を好きなファン、地雷です!」簡単に言ってしまうとこういう人のことを指す。
ガチ恋やリアコと呼ばれる方々に多い。

同担拒否の心理

ではこの同担拒否という心理、何故起こってしまうのか。

ひとつは単純に「嫉妬」。
好きな人ができた。その人が他の人と仲良くしていた。それを面白くない気に入らないと思ってしまう人は多いだろう。
三次元の恋愛と同じである。好きな人が自分以外の人と仲良くしていたらメラメラと湧き上がる嫉妬の炎。やきもちを妬いてしまう。それと同じだ。

そして「独占欲」。
そもそも嫉妬は独占欲から起こる。相手は私の、私だけのものになってほしい。それなのに他の人達からも好意を持たれている。それでも相手は私のものだ。そう思いたいのである。

さらには「占有欲」。
相手のことは誰よりも私が知っている。相手のものは誰よりも私が持っている。だから他の誰にも負けないくらい相手のことを考えて相手の性格などを分析する。自分の前ではこういう顔をしてくれるのだ、という妄想も現実だと思っている。相手関連のグッズならとにかく手に入れる。同じグッズを何個も手に入れる。これは独占欲とも繋がってくる。同じグッズを多く手に入れることによって、自分が占有する数を増やす。

基本的にはこれらが多いだろう。だが私は、これ以外にも理由があると推測する。

相手が複数いる事実への認識バグ

自分の相手は自分の相手、同じ相手でも他の人とはまた別だ。そういう話は幾度か記事に書いてきた。けれどそれを認められるか否かというのは難しい。

簡単に言って、脳がバグるのである。

私の相手は私のもとにいるのに、何故他の人のもとにもいるの?何故他の人との恋愛模様(夢小説など)があるの?

これは嫉妬とは少し異なる。広義でいえば嫉妬や独占欲の範疇にはいるかもしれない。

更に簡単に言えば「解釈違い」だ。
自分のもとにいて自分を愛してくれるのが自分の解釈であって、他の人のもとにいて他の人に愛を囁く相手が解釈違い。そんな恋愛模様はあり得ない。その設定はおかしい。でも相手は確かに同じ相手である。一体何故?

個人的に脳がバグるのを嫉妬などと分けたのは、抱える感情みたいなものが異なるからだ。嫉妬などは抽象的に表現するならもやもやしたものだったり、わかりやすい感情で言えば怒りや悲しみだったりする。けれど脳がバグると、感情云々の前に脳がその事実を認識することを拒む感覚がする。やりたくないことをやらされたとき、体は動くけどいつもより動かしにくいというような経験をしたことはないだろうか。それと同じで、目が文章を追いたがらないし脳が理解を拒む。

本当に同担のことを拒否してしまうのである。

真実はどれだ

量子論では観測主義が一般的だ。物体は観測することによって初めてある場所などが確定する。詳しくはシュレディンガーの猫でググってほしい。

二次元の相手達も、誰かに観測されることによって、存在が確定するのではないか、と私は考えている。

だから確定させた本人の思うところ考えるところが真実なのであって、他の人の相手とのあれそれは仮定の結果でしかない。

つまり同担の人がいたとして、その相手が見ている相手は自分の相手とは確実に異なるものなのだ。

これは私自身の世界観とか哲学の話になってしまうのだが、人々が生きる世界はひとりひとり異なっていると思っている。だって持っている知識によって世界の捉え方は全く異なってくるし、知識や言葉の解釈だって人それぞれだ。だから言ってしまえば、自分の世界と他人の世界は全くもって別ものなのだから、その相手だって同じように見えて全く別物なのだ、と考える。

無茶苦茶な理屈だが、私はそう捉えることによって同担拒否ではなくなった。うちはうちよそはよそ理論である。もちろんこう捉えるのは結構難しいと思うし、量子論の話まで出してくるとかおかしいだろ、と思われるかもしれないので一個人の考えを綴っただけと捉えて頂きたい。

同担拒否ではなくなったが、夢小説などは相変わらず見る事はできない。それは上記で書いた脳のバグとか嫉妬とかの問題の話だ。同じ相手を好きです、という方がいたとしても、特に気にはならない。ただし相手が攻撃的や排他的でない場合に限るが。

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