私の恋の捉え方

以前友人にフィクトセクシャルであることをカミングアウトしたことを何度が呟いたのだが、そこで聞いた彼ら彼女らから見た私についてちょっとまとめてみた。

①恋焦がれるのは辛い

「離れるか近づくかしないと耐えられないんだよね。いちばん焦がれている距離っていうのが耐えられない」

私の状況を聞いた彼はそう言った。つまりずっと片想いのようなドキドキワクワク感があって、それをずっと続けるのは耐えられない、らしい。

私は自分の恋を片想いが続いているようなものと思っている。これは別にフィクトセクシャルの特徴とかではなくて、単純に私の恋の在り方というだけだろう。

片想いの状態を〝焦がれる〟と表現し、いっそ焼かれるか離れて鎮静かするかしたい、と言っていた。つまり告白して付き合ってしまうか、諦めるあるいは玉砕してしまうか。

片想いの期間が楽しいか苦しいか。これも人それぞれだと思うが、彼のような意見は新しかった。極端に苦しいという人には初めて出会った。

②知らない感覚

「ただ私の知らない感覚なだけで、私にはなくて織にはあったっていうただそれだけだと思ってる」

私の言葉を聞いて彼女はそう言った。理解はできないが尊重はできる。そんなニュアンスだった。

正直それで十分だと思っている。否定さえされなければ私は十分で、肯定も同意も合意もなくともただ私はそうなのだと認めてくれさえすれば、それだけで嬉しいものだ。

そんな彼女はずっと好きな人ができず、大学に入って初めて好きになった人と結婚した。それまで恋というものの感覚がわからないといったふうだったのに、好きな人に出会ってからはずっと一途で、自然とそうなることが決まっていたかのように彼の元に収まっている。

彼女から彼の愚痴はほとんど、全くと言っていいほど聞いたことがない。それだけ平穏で安寧で、幸せそうに暮らしている。愚痴も言わず自慢もせず、ただ穏やかにそこにいる。

③まあそうだろうね

「まあ、せやろな、って感じ」

ポロっとフィクトセクシャルであることをこぼしてしまったとき彼はそう言った。せやろなってなんだ。

ただそれだけ彼にとっては意外性のないことだったらしい。私より年下で学生なのに彼の視野はとても広く、これだけ広ければそういうこともあるでしょ、ということらしい。

男が男を好きになることも、女が女を好きになることも、好きになってもセックスしたくないことも、そもそも好きになるけど付き合いたくないことも、全部そういうこともあるよな、というふうだった。

彼は外見は関係なく中身を好きになっていけば外見も好きになっていくタイプで、男性キャラの外見できゃいきゃい言っている女性達を見て「外見できゃいきゃい言えるのちょっとう羨ましい」と言っていた。三次元でも二次元でも変わらず外見ではなく中身から好きになる彼は、一目惚れなどとは無縁過ぎて、外見で好みがはっきりしていることが不思議らしかった。ただ肉体美にはちゃんと反応していて、何で顔だけそうなの、と聞いたが当然わからないという答えが返ってきた。

④分岐エンド

「なんというか、ギャルゲーの分岐エンドみたいな……僕とは違うエンディングへ行く、みたいな」

自分とは別の生き方がある、というようなことを言いたくて、彼はこう言った。まだ終わってないぞ。

自分は男女どちらも好きで、だけどそれはやっぱり三次元にいるからで、二次元の相手は考えたことがなかったし、これからもその感覚はわからないだろう、とのことだった。だから別の分岐ルートで、それが自分にとって一番のエンディングではないけれど、私にとっては良いエンディングの迎え方なんだね、と、こういうことらしい。

とりあえず彼の中で、自分自身はフィクトセクシャルではないということは明確になったらしかった。それまで人を好きになったことがあまりなく、恋愛自体まだちゃんと体験したことが無い彼はあれこれ模索中だ。会った頃は男女どちらが好きかわからない、と言っていたので、男女どちらも好き、と明確になっただけ進歩している。

恋も愛もひとそれぞれ

人によっていろんな捉え方で私は捉えられていた。すんなりと受け入れてくれた人もいれば微妙な反応だった人もいる。まあ当然だ。自分の知らない感覚を説明されても体感できなければ納得するのは難しい。けれどこんなふうに人それぞれバラバラに捉え方がある、と伝えることで、何か得るものがあるんじゃないかと思ってまとめてみた。何か参考になれば幸いです。

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