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いつも何かを「やらされ」ていて、「やりたい」ことを永遠に探し続けている

打てるだろうか。そのサイクルに終止符を、今回こそ。


私はやりたいことがわからない


一番古い記憶は中学の頃。都内に通っていた私は、最寄り駅から5分ほどで家に着く。途中の桜並木の坂道で私はすでに嘆いていた。

「私って、自分のやりたいこともわからないんだ」

はたと気づいてしまった。どこにも手が届かない真空の暗闇へ突き落とされたようで、所在無く浮く。呆然と涙が流れた。その真空は印象深く、しばらく私の夢や描く絵のモチーフになっていた。


その次の記憶は大学生の頃。先日のnoteにも書いたとおり、私は大学受験の志望理由書の指導スタッフをしながら、自分自身にやりたいことはないのだろうかと自問していた。人の夢の計画書の添削ばかり。それは楽しくやりがいはあったけれど私自身の「志望理由書」を書いたことはなかった。

その後、会社に入って「やりたいことが見つかったら辞めよう」と言いながらも、会社の仕事が心の中心を占め、ずっと見つからなかった。

その後、パートナーが会社を辞めるのに乗じて会社を辞め、彼女の夢に便乗し、一緒に仕事をするようになった。別に悪いことではない。会社のビジョンに自分を重ねる、パートナーの夢に乗っかる。それは多くの人がやっていることだし、そのこと自体はむしろとても素敵なことだ。

他の選択肢を選んでもいいのになおそれを選ぶという意思があれば、素敵だけれど、自分にはそれしかないのだと思い込み、半強制的にそこに体を投入するというのであれば、考え直した方が良い。私は常に後者の人間だった。


それから10年以上たった私は、数週間前に書いた上記のnoteでこう結論付けていた。

応援も立派な「やりたいこと」ではないかと思う。


嘘だった。ここ数日、私はまた飽きもせずに自分の「やりたいこと」を考えた結果として、やっぱりそれは嘘だった。他人の応援は私の「やりたいこと」ではなく、その代替物だったらしい。

他人の世話にかまけている時間、自分のことは必ずお留守になる。自分のやりたいことを意識しないように、やりださないように、仕組まれている。他人を全力で応援しているかぎり、私は自分を全力で応援することはない。


応援という名のお節介

私の母はどうにも大変なお節介焼きで、その癖は私にしっかり乗り移っていた。何かと人の世話をしてしまう、それが自分が一番やりたいことであると勘違いが進んでしまう、薄気味悪い癖なのだった。

現在の母はたくさんの趣味、活躍や交流の場を持っており本当によかったと思う。ただ、当時は間違いなく子育てを生きがいにし、私の夏休みの作品を作り、研究テーマを勝手に決めていた。これでは、子どもの仕事を奪ってしまうし、母自身の本当にやりたいことから目を背け続けてしまう。

私が他人の応援を生きがいにしてしまったらきっとそれと同じことになる。きっと応援に夢中になって、それはそれで楽しいから充実してしまう。

そして、そんな私は手が空いて一息ついた夜に、思うだろう。
「わたしの本当にやりたいことって何だろう」
死ぬまでその問いを繰り返すだろう。

何処かの誰かが、私にやりたいことをやらせないようにしているとしか思えない。


パートナーは私のお節介をもう必要としていない、いや最初から必要としていなかった

いやいや、あなた、ひかりのいしむろで天然石アクセサリーを作って売っているじゃないか、それはやりたいことじゃなかったの。と思ってくださる方が、ありがたいことにたくさんいるだろう。いつも本当にありがとうございます。

これは意を決して言ってしまえば、これも私の、パートナーの応援、ないしはお節介だった。私は彼女と生活と仕事を共にしており、習性として、彼女の役に立とう、よく思われようと彼女を基準に行動してしまう。

以前の心理カウンセリングオフィス経営だって、元を正せばそうだった。彼女がやると言ったから、私も一緒にやっていた。もちろんその時は真剣に、「自分ごと」として「当事者意識」を持ってやっていたけれど、彼女が始めなかったら私も始めなかったし、彼女が抜けてから一人で経営を頑張ったものの、あれはもう、最後の悪あがき、意地でしかなかったと思う。

ひかりのいしむろで扱っている「石」が私の大事なアイテムだということは変わりないし、材料の「麻」も好き。流れで、私が元から好きだったもので制作が始まったのでラッキーだなと思った。が、やはり、彼女が制作をしなければ私は自分で制作しようとは思わない。

彼女は、もともと社会適応が難しく健康状態もずっと悪く、いわば「療法」の一つとしてこの夏にハンドメイドを始めた。その結果はめざましく、2ヶ月ほどで心が徐々に癒されて、自然志向へ傾いた。「材料を変え、糸は天然繊維(麻)にしよう」最初の方向転換がここだった。

さらに彼女は、ある書籍を読み、飛躍的に心が回復し、そのまま健康を飛び越えて、むしろ現代社会の闇を切り裂くほどの健康体となった。もはや、積極的に制作という名の療法をする必要がなくなってしまった。

一人の健康の回復。奇跡のようなことが本当に起こった。

その結果... 彼女は今まで苦手だったはずの料理にはまっており、スーパーで一人で野菜を買ってきている。

私のお節介はどう見ても必要なくなっていた。いや、最初から必要とはしていなかっただろう。とてもうれしいけれど、お節介な私にとっては少し物足りなく感じることだったらしい。(そう感じなくなりたいのですが)

同時に、ドンドン制作するぞ!というモードではなくなった。なので「ハンドメイドを生業にするぞ!」というよりもサブ的な活動として気ままに続けていこうと思います。

応援してくださっている皆さん、いつもありがとうございます。突然のご連絡となり申し訳ありません。詳しくは、またひかむろ日誌の方で書こうと思っているので、よろしくお願いします。


「クリエイターの応援」のかたち

それから、「クリエイターの応援をしたい」と言い、マンツーマンあるいは数名の方にお話を聞く機会があった。その結論としては、私は個人を直接応援しにでしゃばるようなことはやめようと思う。

少なくとも、私がその他のことの「片手間で」やっていると言えるようになるまでは、個人コンサルの真似事なんかは始めないようにしよう。私が自分への応援を投げ出さないためにそうしようと思っている。

うすうす勘づくこととして、人は伸びる時は勝手に伸びる。気づく時は勝手に気づく。癒される時は勝手に癒される。他者が介在してもしなくても。逆に、他者が介在してもよくならない時はよくならない。

本当は、全てはタイミング次第であって、コンサルってその本人が乗っている波にお邪魔して一緒に乗っているような行為なのではないだろうか。本当は本人の力なのに、そのサービスのおかげと勘違いさせてしまうようなこともあるのではないだろうか。

それでも寄り添ってもらえたら心強いし、楽しいし、モチベーションも保てるし、いいこともたくさんある。だからそういうサービスを否定するつもりはないけれど、そこで大金をとることもないのではないか。カウンセリングオフィスを2年ほど運営していた身としては自己批判になるけれど、そう思う。


やっぱり、私はやりたいことがよくわからない


幸い、私が確かにやりたい、頼まれなくてもワクワクしてやることで、クリエイターにもお節介以上の価値を持つ活動は残っていた。

それはこの夏に開催したnoterイベント(noハン会/非公式)だった。あれは私がやってみたくて(みんなで)やったのだし、みんなの「楽しい」「嬉しい」があふれていて、本当にやってよかったよねと思っている。

これって実は、本質的にクリエイターへの応援担っているのでは...とも思っている。

(先日書いた通り、もすこししたら、第二回のお知らせします)


でも、ほかには?


誰にも頼まれずともやりたいと思うことは?


会社を辞めたときに思っていた理想の状態はこれだった。

(1)会社員ではない生活をしたい
(2)自分の感じたことを表現する文章をずっと書いていたい
(3)気の合う人たちとちょうどいい感じに交流していたい

そんなわけで貯金の限りは収入のないブロガー(&イベントたまにやる)を続けていたけれど、私は文章を仕事にすることは諦めた。いわゆる望まれる文章を書くことは不可能だと思ったし、私が好き勝手に書く文章はお金になるほどに読まれるとは思えなかったから。

実はこの(2)と(3)はnoteの中で叶ってしまう。ふと飛び込んだnoteで、いつの間にか私の理想の生活は始まっていて、noteには本当に感謝してもしきれないけれど、今はなんとも中途半端なことになってしまっているように感じる。


ここでやっぱりお金というか「やりたいこと」の話に戻る。

ガチでやりたいことだったらお金でもなんでも後から付いてくると思う。でも、途中で諦めてしまうほど中途半端にやっていたいことだったら、お金mも熱意も何も付いてこないと思う。

......だから、結論、やっぱり私はやりたいことがわからない。

気づくと、真空の真ん中に浮かんでいた。


そのサイクルに終止符が打たれるのはまだもう少し先のようだけど、ひとまずは今の気持ちを記しておきます。




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