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好きなファッションの進化系!異性装+和装の架け橋に 蛍都智彰 #interview

2022年秋、渋谷区立松濤美術館で開催された「装いの力―異性装の日本史」でも多くの展示があったように、異性装には長い歴史があります。生まれ持った性とは異なる性での装いを一人ひとりが時に悩み禁じられながらも工夫し楽しみ、文化として醸成されてきました。

今回は、令和時代を生きる青髪異性装者、蛍都智彰(けいとともあき)さんにお話をお伺いしてきました。ボタンダウンシャツと袴パンツにハンチング、ゆったりとしたシースルーの羽織を合わせたユニークな出立ち。(取材が8月だったため夏仕様です)幼少期からの女性的なファッションへの抵抗や周りの人からの評価もヒントに、和装などを取り入れ自分の好きな装いを進化させていったと言います。

優しいトーンで真面目なお話もユーモアたっぷりにお話いただきました。ぜひお楽しみにください。(聞き手:あゆみむ)

カフェでご飯とスイーツをいただきながら

青髪+羽織で映像制作しています

仕事は大学卒業からずっと映像制作です。女性もののスーツが嫌で就活できなくなって頓挫し結局フリーランスになりまして、業務委託の形で「面白いやつ歓迎」の社風の制作会社で働いています。

働き始めは黒髪で僕の好きなシャツ・パンツ・ベストのスタイルだったんですが、ある日を境にもっとどうでも良くなったんです。「髪を青くしたい!」って急に思い立ったんですが、その美容院はまずはブリーチだけで金髪になってしまったんですよね。

青髪より金髪の方が目立つので、出社時内心ドキドキで「金髪にしちゃいましたやばいです〜!」って上司に言ったら、上司に「お前、何そんくらいの金髪でびびってんの?もっとやったら?(笑)」と言われまして(笑)

あ、大丈夫だって思ったんですよね。その後無事に青髪になり、流れで洋服+羽織のスタイルになっていきました。やっぱり体型カバーのメリットもあるし、羽織は場合に合わせて脱げばいいだけですし。

大学時代に「智くんはもう"男"、"女"、"とも"だから」と周りに言ってもらっていましたが、会社でも同様です。人と違うことで偏見を持たれることもなくありがたい職場ですよ、本当に。就職活動までが不自由でしたが、おかげさまで何不自由なくやらせてもらっています。

しいて言えば「レディースが着れない人」です

僕はレディースの服が着れません。同じ白いワイシャツでもボタンの掛け方が女ものだったらだめです。

大学の卒論テーマが「異性装とは何か」だったこともあり、ちょっと難しい話で恐縮なんですが、自分は1人の人には四つの性別があると解釈しています。心、身体、好きになる性別、見た目はどう思われたいか、の四つです。僕自身、前者三つは残念ながら女性に属しているようです。変えられるものなら変えたい気持ちもゼロではないけれど「絶対に変えたい!」という人よりは遥かに低い。

いわゆるトランスジェンダー(性同一性障害)の中にトランスヴェスタイト(体の性ではなく心の性に合わせた服装をしてはじめて安心を得る人)という分類がありますが、そこまで深刻ではない意識です。

親がせっかくくれた体だし、そういう運命の元に生まれてきたと思えば別に構わない、と思えるようになりました。好きになる人の性別は基本は男性ですが以前女性に心が動いたこともあり、その幅は面白かったですね。見た目はできれば男として見られたいです。

レディース服を着れなくなった理由

子どもの頃、祖母から「女性らしさ」を教え込まれていました。結婚式の新婦さんのお世話係の仕事をしていて、常に姿勢を正しておかないと、女の子は綺麗にならないと、って。それがなかなか受け入れられませんでしたね。

あと、僕に「かわいい」という親や大人全員に「は!?」って思ってました。物心ついてすぐ、4歳、5歳、いやもっと前かもしれない。当時から自分の容姿が可愛いと思ったことは一度もありませんでした。

「かわいいとか言わないでくれ」と言い返すこともできませんでしたね。当時は「なんとなくやだな…」くらいにしか感じられていなかった気がします。嫌だけどこの場を乗り切るには可愛いって言われておくしかない、みたいな。でも多分、本当は強烈に嫌だったんですよね。

弟が自閉症のため、弟が駄々をこねたり言ってみれば嫌な子ども役をやってくれるので(仕方がないこととして)、僕がいい子ども役を演じ続けなければこの家はバランスが取れないんじゃないかと思っていました。自閉症の子がいることに対して親の周りの目は冷ややかで、親は何も悪くないのに…。子どもなりに家庭のバランスを取ろうとして、中学くらいまではほぼイエスマンとして生きていたんですよね。

親がレディースの服を買ってくるのがなかなか受け入れられなくて(親が悪いわけではないので)「嫌だ」とはねのけられず結構悩みましたね。「別に女の子っぽくしたいわけじゃないんですけど?」とモヤモヤが溜まっていきました。

「お前それでもかわいいと思ってんの?」

今でも忘れません。高校一年のころ、がんばってレディースのかわいい服を着て初めてメイクして美容院でヘアセットまでしてもらって、めっちゃかわいくしたつもりで当時付き合っていた彼氏とのデートに挑んだ日がありました。

彼は、開口一番「お前それでもかわいいと思ってんの?」って言ったんですよ。

意を決して女子に振り切ったのに、その美容師さんもしっかりかわいくしてくれたのに….!「これなら!誰かが作ってくれた"かわいい"でなんとかいけるに違いない!」と思っていたのに。本当、こいつ○ねばいいと思いましたね。(苦笑)

もう、その後の高校生活中ずっと引きずりました。親が言ってた「かわいい」は全部嘘だったんだ、と不信に変わった瞬間でもあり「もう二度と女の子っぽい格好なんてするか」と思った始まりです。

親の言う「かわいい」と彼氏の言う「かわいい」は違うのだと今はわかりますが、当時は分からなかったこともあり悲劇だったなと振り返ると思います。


「いいね!その服!」

高知県から上京して大学に通い出し、ようやく親の手を離れて自分で服を選ぶようになりました。とりあえず僕の好きだと思う服を選んだら、メンズシャツとパンツにベストにメガネ、という具合になりまして。

「地元にこんなタイプはいなかったし、こんなやばい格好で大丈夫だろうか…?」と思いつつ映像制作団体の懇親会に参加したら、4年の先輩が「いいね!その服!」って言ってくれたんですよ!しかも割とイケメンでコーデにこだわってるタイプの人が!(笑)「まじか!自分の好きな服選んでいいんだ!」と初めて思えて、感動しました。今でも本当に感謝しています。

その頃はジェンダー(性別/性的役割)的には自分が何者かよくわからず、はっきりしていませんでしたね。メンズ服コーナーに「弟のです」という体で偽って入ってみたり(笑)レディースでもレディースっぽくない服を選んでみたり。

1年の秋、コスプレイヤーさんを撮影する機会があり、大学二年生にして男装喫茶の店長をやっている方に出会いました。当時、男装喫茶ブームの立役者的な存在だった方です。"男装という界隈"を知り僕も男装喫茶のグループに入って、そこから僕の肩書きは「男装家」になりました。

ただ、せっかく入ったのに僕の所属グループでは一度も開催されずにはや7年、実はいまだにキャストで入れていない状態です。(苦笑)

自分のスタイルの確立

Twitterの「ブス自撮りbot」というアカウントに許可もなく入れられたことがあったんです。今だったら訴えればいいと思うんですが、当時大学2、3年でそんな手立ても知らず。僕は当時ファッション系の男装で、メイクはろくにしていませんでした。「てめえにブスと言われる筋合いはない!」と思いながらも、まぁ、なんとなくわからなくもなかった。(笑)何か変えないといけないんですね、世間から見れば、と。自分の好きな格好をしているのに「これではいけないんだ」と思い知らされ、メイクをするようになりました。

元々はメイクも女子のかわいくなる手段のイメージでしたが「ただ綺麗にしているだけ」で性別関係ない行為だと認識し始め、当時"ジェンダーレス男子"なる人々が出てきて拍車がかかりましたね。自分の好きな格好で、かつ他人が見ても良いと思える、世界観が完成されているものなら誰も何も言わないのだと学んでいきました。

って、いい方向にまとめてやりましたけど、ブス認定されるって最悪ですよね!?(苦笑)まあ、ともかく人は経験から学んでいくものなのです。


"男装"への違和感

そこから"男装"に違和感が出てきました。キリッとした眉でお客様に楽しんでいただく執事系とかやんちゃ系。メイク、ファッション、仕草も完璧にして"男装"の完成度を競い合う男装界隈の様子を見て「違うな」と思ったんです。自分はあんな風に美しくはなれない気がするし。良いと思わせたらなんでも勝ちでいいはず。"男装"にこだわらなくなったんですよね。

ちなみに、男装家の人って男装していない時は普通に女子になる人もいると知ってさらに「自分は違うんだな」と思いましたね。その結果、僕はただのシャツパンツベストお兄さんの人になったわけです。(笑)

浴衣と羽織との出会い 

大学2年の夏、盆踊りの実行委員になりました。その年のテーマは「浴衣のあの子も踊る夏」。浴衣人口を増やすためまずは自分たちが着なければならなくなり、盆踊りの2週間前から毎日校内にいる人に「浴衣で踊りますよ!」「浴衣着てこいよ!」「僕らも着てるから君らも着るんだぞ、わかった!?」と、担当教授とともに学校中にビラ配って徘徊してました。(笑)

女性の浴衣は嫌だったのでYoutubeで頑張ってメンズの浴衣の着方を勉強しました。最初、通学時は恥ずかしくて大学構内のトイレで着替えていたんですけど、途中からもう面倒で家から着て行ってました。大学まで徒歩5分だったのでもういいか、って。(笑)結果的に毎年夏は浴衣キャラになったわけです。浴衣は周りの評判が良かったんですよね。これだ!と思いました。

洋服だと男装やらあれこれスタイルがありますが和装ならその枠の外に出るし、しかも羽織で体型も隠せて文句言われないことにも気づいたんですよね。羽織とかスカーフとか色々足して自分のスタイルも進化していきました。

盆踊りに外部から来てもらっていた舞踊の大先生のおばあちゃまに「あなたの着てるそれ素敵ね!」って褒めてもらったこともありました。メンズ風だったり季節外れのものを着ていたのに、そんな伝統的な舞踊を教えているような人に言ってもらえて「いいんだ!」と思えたんですよね。

「ジェンダーレス着物」の衝撃

レディース服を着れない僕なので、着物(浴衣)も当然男物を着ていたのですが… 今年参加したこちらのイベントで視野が一気に広がりました。

ジェンダーレス着物、と言う観点から「男性でも女性の着物を着こなしファッションの幅を広げよう」的なイベントです。体が女性でも参加できたのでがっつり学ばせてもらいました。

男性ながらかっこよく女着物を着こなす史さん(ゲスト講師)や皆さんの様子を見て女着物まで着こなしていい!と視野が広がった結果、洋服はレディースを着れないのに、和装なら女性ものもいける!というすごい転換点になったんですよね。主催のキャンディさん史さんに感謝です。

「異性装和会」で異性装から和装の架け橋になりたい

異性装(男装)から和装に興味を持っても「どうせ男物、女物の2種類しかないんでしょ、自分には無理」と、断念してしまうのは残念です。せっかく日本の文化なのにもったいないです。

和装の人たちは着崩したり和洋折衷にしたり普段着にしたり和装の壁を解体しようとされていますが、異性装界隈では和装がそんな自由なことになっているとは意外と知られていないと思うんですよね。
異性装(男装)から「和装もいいな」と思う人が増えて異性装と和装が繋がったらいいなと思い、異性装和会という活動をしています。

羽織屋etowaさんのスタイリングページに掲載されているコーデフォト

今は仕事で圧迫されてますが、もっと自分の経験を生かした情報発信もしたいですね。例えば、女性と男性では骨格が違うのでかっこよく着るためのコツはあります。腰の位置が上になってしまう改善方法など、異性装×和装については僕から発信できることも色々ありそうです。

ゆくゆくはコンカフェもやりたいです。7年ずっと男装喫茶にキャスト参加できてないこともあって、とてもやりたい。(笑)男装から和装へ突入した方、したい方と一緒にできたらとても嬉しいですね。ジェンダーレス着物という大きな窓から、女装から和装に突入した方もご一緒できても楽しいかもしれません。

先日、居酒屋の若いにいちゃんに「今日も和装素敵ですね!智さんみたいに僕も着れたらいいなーって思うんですけど、僕は多分似合わないと思うんですよ」なんて言われたんですよ。「お兄さん、和装は日本の文化なんだから、挑戦せずに諦めるのはもったいないよ!」って一言言っておきました。(笑)

着てみれば絶対似合います。大丈夫ですよ!

photo 長谷川栄介#自由装HAORI プロジェクトモデル撮影より

蛍都さん、ありがとうございました!!

今後、徐々に異性装和会の活動もしていきたいと考えていらっしゃるとか。異性装や和装に興味のある方は、ぜひ蛍都さんのSNSをチェックしてみてくださいね。

蛍都智影さんTwitter
蛍都智影さんInstagram

異性装和会の活動、私も楽しみにしています!!

この記事を書いた人:あゆみむ

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