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noter年齢のギャップ萌え

noterの年齢がTwitter上で(そしてnoterと会った時も)話題になっていたのちょっと書いてみよう。年齢ってマジでどうでもいいと思いつつも、なんとなく気になっちゃう二文字だったりする。

どう話題になっていたかというと、noterが書かれたnote(あるいはTwitter含む場合も)のイメージより実際は上だった、下だった的な話だったと思う。私も、あるある。え、この人こんな年だったのか!って思ったこと。

その瞬間を一言でいうと、ギャップ萌え。(萌えという言葉にキモさを感じる場合はギャップキュンに変換してほしい)


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この人こんな若かったんだ!と思う時。まあ、まずnoteでここまでがっつり書く時点で、発信力・構成力・文章力・論理力などなどが一般よりも高いから、だから錯覚してしまうんですよね。ひらたく言うと精神年齢が高い。

この年齢にしては老成しているな、と思う。老成って良い意味でですよ。(調べたら「経験・年功を積んで達する円熟。」って意味らしい。)


その逆。思ったよりも上だった!って時。これは感受性あふれてるぜ!その年齢にしては!って時によく起こるように思う。純朴さ、感じやすさ、そういったものは若さと結びつけられることは多い。精神年齢が低い、というとネガティブなイメージも含むから控えたいけれど....大人が子どもよりも優れている、とは思えない。子どものときはわかったことがだんだん分からなくなってしまうことはきっと多い。

大人になっても感受性を感受性を守れている人なのだと思う。本人からしてみれば、守れているというか持て余しているだけと表現されるかもしれない。でも持ってるものは持ってるわけなので、財産だと思う。


上記、どちらの印象も兼ね備えていると感じることも多いですよね。なかなかに含蓄が深いなあ、しかし感受性もキレキレである....っていう印象。

一人の人に若さと老成は共存できるんだなあ。まあ当たり前か、若いとか年取ってるとかじゃなくて、その人はその人なりの構成をしているわけで。


年齢なんて。

時間は誰にでも平等だなんていう言葉は信じられない。科学的に証明できるとも正直思えない。みんなそれぞれの時間をそれぞれの場所で、心と体と頭と使いながら過ごしてきた。小腸が体の中をぐるぐるになって詰め込まれているように、複雑な道のりを辿ってきた人が、他の同年齢の人と比べられて、あなたって年の割には... なんていう話がはたして成り立つだろうか。

一般的と言われている人生を歩んでいない人が、一般的な年の取り方、行動、ものの感じ方を、するだろうか。

そう思うと、年齢も捨てたものでもない。
ひとつの切り口として面白い。


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昨日、あるnoterさんとお会いした。会うのは2回目。年齢の話になって年齢当てクイズ(というほどのことでもない)をした時に私が思っていたことは...

そのつやつやの肌と文章の深さ、どこに落とし所を持ってくるべきか。

実年齢よりも高い年齢を言われると女性は傷つくことが多いらしい。が、書くという行為からは実は上だと思われることは悪くないこともあるんじゃないか。だって人間容姿が全てなわけはない。

私は普段女性とそういう話題になったら実際に感じるよりもサバを読んだ年齢を言うけれど、今回それはやらなかった。

その結果、私は見事に外したわけですが...

でも、そう言われてみればそうかもしれない。という妙な感じで、また一つ一人のnoterさんの魅力が増えた感じ。これが年齢ギャップ萌え(キュン)か。


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noterさんに実際に会うと印象が変わってしまうような気がしていたけど。ちょっと情報、その魅力が増えてさらにその人を知れるのは、やっぱり面白い。

8/25にみなさんとお会いするのが楽しみだね。

って。昨日もそうだし、先日会場の下見に言った時も、年齢の話でも盛り上がりつつ、楽しみだねって話してました。


年齢については書ききれないけれど。
ひとつ言えるのは、同年代のくくりで集まって話すよりも年齢関係なく感性で集まった人と話すほうが共感しあえて(できない部分も違いを知っていくことができて)とても楽しいってこと!

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