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それでも、社会に生きている

自己紹介

去年の春に起業して、1年後には廃業して、フリーランスを始めたばかり。口座残高はマイナスだけど、今がいちばん幸せかもしれません。同性パートナーと猫2匹と暮らす、30代女性。

 4月ということで、そんな私が思う「社会人」について、書いてみたいと思います。

 私も、人並みにあります。リクルートスーツで就職活動したこと、転職活動したこと。インターン、アルバイト、派遣社員もやりました。あ、起業したから会社役員からの代表取締役も一応....。そんなこんなで、社会人経験もう10年以上、あるのか。(自分で驚く)

 でも、2週間ほど前のこと。やっと私はホントに「社会人」になれたんじゃないかって思った出来事があったんです。「会社人」じゃなくてね。


ずっと「会社人」だった

 会社員だった20代の私の脳内では「社会人」って、ほとんど「会社人」。よく言えば「ちゃんとしてる。経験積んでる。社会に役立っててすごい」悪くいえば「スーツ肩凝る。長時間労働すぎる。このまま死ぬまで会社にいくのは嫌だ」大変疲れはするものの、若いうちは無理もきくし、楽しいこともあったし、会社で働くことしか社会で暮らしていく方法を知らなかったので、何度か転職等しながらも「会社人」やってました。

 ある年の暮れ、彼女(同性パートナー)とほぼ同時に会社を辞めました。これで「会社人」人生は終わりだって息巻きながら。通勤電車とも組織ともおさらばして、好きなことをやってやるんだ!って。

自力だけでは、うまくいかない

 しばらく個人営業した後、彼女と一緒に会社を立ち上げ、うまくいったり、いかなかったり。結局廃業に追い込まれました。私のお金は全部会社につぎこんでいたし、ずっと働き頭だった彼女が体調を崩してしまっていたし、お客さんは元従業員にほとんど流れていました。

 それでもまだ、私はなんとかなると思っていて。「会社はなくなったけど、これから小さいチームでまた新しいこと始めます!」って目標を立てて、クラウドファンディングをやるなどしました。(オールイン型で、未達成のままお金をいただいて生活費にあてました)しかし、請求は止まらず、そんな付け焼き刃ではどうにもならない瞬間がきてしまいました。

 結局、会社の中で働いていても、外で会社を自分で作っても、同じことが起こっていました。私の中身がもっともっと変わらないといかんということが分かってきました。

無条件に、人に助けてもらってもいい

 私は、ずっとずっと、逃げていました。

「人に助けてもらうこと」から逃げ続けていました。もちろん、人と協力しあって仕事をしたり、人に委託して仕事をやってもらったりはたくさんしてきています。でも、それは私が相手に貢献する(あるいは支払う)前提のお話です。何かと引き換えじゃなく、ただ純粋に、相手に何も提供せずに、無条件に「人に助けてもらう」ということは、私には恐怖でした。私にとっては、助けられる=無力な役立たずを意味していました。無力な自分を直視することは私にとって耐え難いことでした。

 会社に属してもいない、パートナーも活動不可、貯金もない、私にあるのは幸いにしてこの健康な体だけ。自己啓発本を読んだり、自分の内面を振り返るうちに、「今、私はどうしようもなく困っているんだ。誰かの手を借りないとどうしようもない状況にあるんだ」ということにやっと直面することができました。初めて、私は本当の意味で、自分個人として他人に助けを求めよう、求めるしかないんだと思えました。

一人じゃなかった

 妹に、いろいろと取り繕わず、思い切って全部うちあけて相談しました。

 「一人じゃないよ」ってよく耳にする言葉だけど、私はこの時まで意味が分かっていませんでした。自分が人に助けられるなんてことはあってはならない。なぜかそう信じている私と他者との関係はたぶんとても希薄になりがちだったと思います。

 そんな私ですが、「とにかくどうしようもないから助けてほしい」と言ってみたら、妹は助けてくれました。彼女ができうる全てのことで助けてくれました。私から彼女に何もあげなくても、なんの貢献をしなくても、無条件に私を助けてくれました。彼女も余裕がある状態ではないのに。今の私は、ただ受け取ることしかできない。ギブアンドテイクをさせてもらえない。こんな体験ははじめてのことでした。

 私は一人じゃなかったんだと、初めて思えました。今まで元お客さんや読者のみなさんからいただいた支援も、そこで初めてしっかり正面から受け取ることができたように思いました。そう、もはや会社ではない、単なる個人の私という人間を、応援してくれる人がいる。たぶん、以前からそうだったんです。私が受け取らなかっただけで、たくさんの人たちが私という個人を助けようと、好意を向けてくれていた(いる)んだと思います。

 今まで、受け取らなかった分だけ、私は勝手に孤独になっていたんだと思います。会社をやっている時でも、いくらでも助けを求めたほうがいいタイミングがあったし、もっと(仮に無償でも)助けてくれる人もたくさんいたはずだし、そこまで苦しむ必要はなかったのだと今では思えます。

やっと社会人になれたかもしれない

 今の私は「会社人」ではないけど、やっと本当の意味で「社会人」になれた気がします。社会の中で、私という一個人が、実態をもって他の人とつながりを持ちながら、存在している実感が出てきました。

 そんなわけで、まだまだ社会人1年目。今も、うっかり、自分の力だけで踏ん張りそうになります。でも、それではうまくいかないし、自分の力だけでがんばる人ばっかりだったら、人と手を取り合えない。私は、一人の人間として、人とつながりながら生きていく練習をこれからしていきたいと思っています。

 ちなみに、これを書いている今も、「自分は出来てますからほっといてもらって大丈夫です感」を出しちゃってるんじゃないかとすごく不安だったりします。私、一人じゃ大丈夫じゃないです。まだまだ、ぜんぜん、みんなに助けてもらいたいです。(お金もまだマイナスだし仕事も勢いに任せてフライング出発状態です!)そして、助けを求めている人を助けられる人になりたいです。

それでも、社会に生きている

 私は、会社員(会社人)が会社のメンバーなら、社会人は地上のメンバー全員のことだと思うのです。稼いでいる人や、表立って社会に貢献している人だけではなくて。赤ちゃんから学生からニートから病人からビジネスマンからフリーランスからお年寄りまで、本当は全員社会人。生まれた時から死ぬまで社会人。

 社会って本当は、きちんとしないと入れないようなものじゃなくて、一人一人のつながりでできた、セーフティーネットのことを呼ぶのだと私は思います。全員その中に入っているとしても、人とのつながりを奪われた、あるいは絶ってしまう、あるいは実感できない人は、社会の中にいるようでいないことになってしまいます。この立場の違い、認識の違いで、どんどん孤独に追い込まれて人生を終わらせるようなことも日々起きていることを思うと、心が痛みます。

 誰でも社会とつながっています。今誰にも気づかれていなかったとしても、人に手を伸ばしたらつながります。声をかけたら振り向きます。笑いかけたら笑ってくれます。もし万が一そうならなかったら、その人がまだ自分が「社会人」の認識が不足しているだけなので気にしなくていいです。誰かが振り向くまで、別の人に声をかければ大丈夫。

 もしどうしようもないと思ったら、私に声をかけてください。私は現状手持ちのお金もないし、ひよっこすぎるフリーランスですが「社会人」です。もし直接あなたを助けられなくても、相談にのったり、だれかに紹介したりして、社会へつながっていきます。私たちは、どんなに孤独を感じても、それでも社会に生きています。


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ps① 先日参加した、牧村朝子さん主催のクノイチ・クィア・クリエイターズの次回の「ククク交流会(4/20)」のお題「 #社会人ってなんなん 」で書きました。前回の交流会に参加しましたが、時代の最先端で相当楽しかったです!https://note.mu/qno1

ps②  noteは妹の助言で始めてみました。元はてなブログ村住民です。noteのみなさん、よろしくお願いします!


ps③もう1つ #社会人1年目の私へ に投稿しました。新卒1年目の私のある日の一コマ。もしあの時オフィスに戻らなかったらどうなっていたんだろう。よかったら、こちらのお話も覗いてもらえたら嬉しいです。


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