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私の病気のような活力のようなもの

不和が怖い。どうしても怖い。相手に怒ってほしくない。機嫌を直してくれるためだったらなんでもする。私、不和の世界では生きていけないから。

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彼女と私の「仲良しワールド」

先日パートナーとの会話で、こんなことがあった。私たちの運営している天然石作品ショップの、ある商品掲載について話していた時のこと。

私「ちょっとだけ(石の)効能を書いちゃってるんだけどね」

パ「え、効能?書いていいよ。っていうかむしろ書いてほしいよ?」

私「あれ?効能はあえて書かないんじゃなかったっけ?効能売りじゃなくてデザイン(見た目)で見て欲しいっていう狙いが...」

パ「え、そんなこと私言ったっけ?」

私「言った。言ってたよ。だから石の効能については書かないようにしようって私思ってたんだよ。」

パ「いや、私、石の効能について書かないのは反対。あやしいとか思われても全然いい。」

私「え、反対!? 今反対って言った!? 反対?それはやばいよ、アゲインストじゃん!今。」

ここで彼女はツボってしまって止まらなくなった。私も面白くなってつられてだいぶ笑った。「また言ってる〜」「また言ってしまった」という笑い。私の行動パターンについて理解が深いから、笑ってもらえていたりもするけど。自分がだいぶ奇妙なことは自覚している。


そもそもなぜ彼女が「効能は書かない」と言った(と思い込んだ)から書かないのか。私はまだ出していない「石のお守りセット(ミネラルガーディアンズ)」があるのだけど、これはまさに石の効能が売りの一つになる。だったら書いてもいいじゃないか、効能。私の意見はどこにいった?

それから、なぜそんな思い込みが発生したのか。それは、私が彼女の仕草、口調、気分、などから「あ、ちょっと嫌そうだな」ということまで勝手に読み取る癖があるからだ。

彼女が商品ページを執筆した際に効能を書かなかった本当の理由は、「単純に書くのが大変だったから」ということだった。

私は相手の表情、気持ちを読み取ろうとして間違っていることもよくある。それでも読み取ろうとし続ける。言葉、口調、目線、声の調子、表情、体の動き、足音、ため息、ものの扱い方、椅子の引き方、ドアの締め方、ぜんぶ見ている。身体中のアンテナを常に稼働させている。目の前の相手にむけて。だって、不和が怖いから。

自分がどう思われているか知りたい。疎まれていないか。嫌がられていないか。この人は私にもっとどうしてほしいって思っているんだろう。

ほとんどの場合、何も思われていないのにね。

もし、何か言われようものなら、すぐに従う。すぐにご飯を用意するし、すぐにパソコンをしまうし、すぐに窓も閉める。自分が何かに没頭してしまって、それができなかった時は落ち込む。昨日は我を忘れてパソコンに向かっていて夕飯が遅くなってしまって、彼女の体調に響いてしまって、しばらく自己嫌悪に陥った。

そもそも陥る必要のない自己嫌悪だ。わかっている。

今日を反省して翌日直せばいいだけ。私は別にそこまで罪を犯していない。

こんな奴隷のような人間と一緒にいてくれる彼女には感謝しかない。誰だって、本人の意思で、ご飯を用意して欲しいし仕事を終了して欲しいし窓を締めて欲しいだろう。奴隷根性はやさしさではない。


「嫌なときは、ちゃんと嫌って言ってね」

と何度言われただろう。人間関係において、当たり前のお願い。大人だったら嫌な時は嫌だって自分で分かって、言ってほしい。

私が嫌なのに嫌だと言えなかったことで発生した喧嘩は数知れない。そのたびに、また私は自分のこの性質で彼女を傷つけてしまったと反省する。

どうして私は嫌だと言えないのか。
私に、自分の意思はないのか。



その問いに正確な回答はない。

もちろん私にだって自分の意思がある。つよい気持ちがある。しかし相手の反対を察知した時、その意見をいとも簡単にひっくり返すことがある。

私の中の一人は、基本的に「仲良しワールド(と私が思える安定的な状態)」でしか生きられないから。仲良しじゃなくなると自分をかんたんに投げ捨てる。自分がない人。すごく危険だし嫌な人間だ。なぜって、その後のことがぜんぶ、相手のせいになるから。

あなたがこう言ったから。

そんなの、理由にはならないのに。


1年間だけ経営していた、と言葉にするのもおそろしい、私はこんな脆弱な意思で会社経営をしていた。その会社は様々な要因で続けられなくなったが、根本原因の1つとして、私のこの性質は非常に大きい。


ママにニコニコしていてほしい

私の中にはそのためだけに生きているといっても過言ではない人がいる。

精神構造の大きな部分は、3歳くらいまでで決まってしまうらしい。もちろん、その後に学んで修正していくこともできるけど、まさに三つ子の魂百までということだ。

私の母は、私を産む前、産んだあと、大変なことがいくつもあった。さぞや辛かったことだろうと思う。おそらく、私は生まれた時から、あるいは生まれる前からそれを察知していた。そして、ニコニコしてほしい。と思った。全身のアンテナは母にむけるようになった。

...のだろうと、今までいろんなカウンセリングを受けた結果、そうとしか思えない。

機能不全家族についてのカウンセリングを提供している場所で最初に聞かれたこと。

「お母さんのことを、どう思いますか」

私はこう答えた。

「かわいそうだって思います」


そんなことをずっと思い続けて、かわいそうなのは私の方だった。

母は、子育てって大変だけどいいものよ。と私の小さい頃の写真を見ながら、言っていた。母は母で、自身の人生を立派に生き抜いている。ママはもう自分の力でニコニコできる。私がいなくても、もう大丈夫。


私はもうだいぶ自分の内面については客観的に見れている方だと思う。
なるべく目の前の人の機嫌を取らずにありたい。自分の意思をつよく持ちたい。好きなものを好きと言い、嫌な時は嫌だと言いたいし、なるべくそうしている。

それでも、三つ子の魂は百まで続くことも本当だと思う。


人との関係。楽しいけど、とても怖いけど

人間関係で踏み込めなくて逃げたことは数え切れない。ここ数年は人間関係を大きく広げずに生きてきた。

それが、ここしばらくで、noteやTwitterで多くの人とつながりができてきた。それも、閲覧するための自由気ままなフォローではない。言葉をかわす関係という意味でのフォロー。

当然、人と話すことも増えている。正直、とても楽しい。

昨日、少し踏み込んだDMを数名の方に送って、結果的に好意的なお返事をいただけた。今朝、そのお返事を見てほっとした私の中にまた、仲良しワールドの幻想を見てしまう。というのは、もし相手に嫌がられていてブロックでもされたらと思うと.... 仲良しワールドの崩壊にいたたまれない。

私は私。あなたはあなた。不和だって起こるよ。人間だもん。そしたら初めて腹を割って話せる機会じゃん。不和を恐れていたら何も始まらないよ。

そんな当たり前の大人なコミュニケーションができるようになりたいな。そう思っているけど、できないこともある。一生そうなのかもしれない。アダルトチルドレンという言葉があるけれど、本当に大人と子どもが入り混じっている。

私の中で、幻の仲良しワールドに住んでいる子。
私の病気であって、活力でもある。




*ひかむろのヒトコマ*
ロゴをリニューアルしました。
古代の不思議な文字で「ひかり」をデザイン。


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