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【ミヤコドリ】空飛ぶニンジンを見た

 先日、鳥好きの彼に連れられて、新年初の鳥見に行ってきた。
 正月で鈍った体に、久々のフィールドはなかなか応えるものがあった。買いたてのダウンジャケット(ユニクロのウルトラライトダウン。新春セールで定価より2000円安く買った)でも、1時間も外にいると底冷えしてくる。寒さの大半は足先からやってくる。靴下が短すぎたのだ。失敗だ。久々の自然を舐めていた。朝一番の海岸は人気が無く、冷たい風がよく通る。空は晴れてこそいるが、絶対に太陽から降り注ぐ熱よりも地面から出ていく熱の方が多い気がした。

 カイロを握りながら、借り物のスコープを覗く。映るのは、せわしなく砂浜をつつくミヤコドリ。白と黒のボディに鮮やかなオレンジの嘴が目立つ。その嘴はまるでニンジンだ。彼らは砂の中に生息する貝が好物のようで、砂浜に必死にニンジンを突き立てていた。

セグロカモメとミヤコドリ


ミヤコドリ
は、体長45㎝ほどのチドリ目ミヤコドリ科の鳥である。
学名はHaematopus ostralegus

 シギチドリの仲間だが、シギ科でもチドリ科でもなく独立した科に分類されている。
 ミヤコドリ科の姉妹群としては、トキハシゲリ科がある。(この科は1科1種でトキハシゲリのみで形成されている。トキのような嘴のシギ。中国で見られるらしい。)また、セイタカシギ科とも近縁らしい。

 ミヤコドリは、越冬のため日本に飛来する旅鳥だ。しかし二枚貝を主食とするため、日本では限られた場所にしかやって来ないという。確実に見られるのは、東京湾と伊勢湾のみ。二枚貝がありそうな干潟は全国各地にあるのに、不思議である。しかも200羽弱しか日本に飛来しないという。
 ちなみにアイルランドの国鳥になっているが、ヨーロッパの個体群と東アジアの個体群は分断されているらしい。


 そんな希少なミヤコドリだが、その和名は、奈良時代から存在する。今から1300年くらい前。気が遠くなるほど遠い過去である。万葉集には、次のような歌がある。

船競う堀江の河の水際に
        来ゐつつ鳴くは都鳥かも (万葉集 大伴家持)

大橋弘一『鳥の名前』東京書籍, P103

 しかし残念なことに、当時の「都鳥」は、人参嘴のミヤコドリではなく、ユリカモメを指していた可能性が高いという。

さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

『伊勢物語』 九段東下り

 上の引用は、平安時代の歌物語『伊勢物語』の有名な一節である。ここでは、体が白くて嘴と足が赤い、魚を食べる鳥が都鳥とされている。確かにこれはミヤコドリではなく、ユリカモメである。

 それにしても都鳥とは、大層な名前である。今までに、いったいどれだけの人が都鳥という名を背負った鳥の姿を見て、思いを馳せたのだろう。思いを馳せる都を持たない私ですら、その名前の醸し出す古風で高尚な雰囲気に魅了されたというのに。

 ミヤコドリは、北方で繁殖すると考えられている。そこは、彼らにとっての都である。彼らはそこで何を見て、何を聞いているのだろう。やっぱりこことは違うのだろうか。教えてくれたらいいのに。そんなことを思いながら私は、春になって彼らが都へ帰り、生まれた子供達に日本の土産話をしている妄想をする。



【参考文献】
・大橋弘一『鳥の名前』東京書籍, 2003. 10. 4


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