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チェック柄の服が怖かった

2023年の初秋ごろから、Bで始まる英国ブランドの店舗に足を運んでいる。
チェック柄とトレンチコートがブランドのアイコンだが、私が自分からそれらのアイテムに手を伸ばすことはない。

先月、そこで春服を試着した。
初来店時から対応してもらっているスタッフに、膝丈のチェック柄スカートを勧められた。
途端に私の身体はこわばり、スムーズな受け応えができなくなった。
緊張の解けない声で、高校がブレザーとリボンだけ指定で、白シャツとチェックのスカートが自由に選べる制服だったこと、そのため私の中にチェックのスカート=女子高生のイメージが強固である旨を伝えた。
スタッフはその自由度の高さにリアクションをしただけで、視線で私に試着を促し続けた。
私は半ば怯えながら、20数年の積み重ねを見せてやりますよなどと虚勢を張って、フィッティングルームに向かった。

30万円近いそのスカートは流石のパターンと仕立てで、鏡の中の私に女子高生時代の影は微塵も無く、ただ歳相応に「大人可愛い」姿がそこにあった。
スタッフは私に、いかにも「モード」なシルエットのオーバーサイズアウターを羽織らせ、スカートと同柄の新作バッグを持たせ、あれよあれよとランウェイ風ルックを仕立てた。
これがなかなかどうして様になっていた。
スタッフも満足げに私の「着こなしっぷり」を褒めてくれた。

帰路、地下鉄の駅で電車を待ちながら、ちゃんと大人っぽくなっていたこと、高校卒業からの20数年が無為な月日ではなかったことを思い、私は少し泣いた。

数日掛けて、思い出した、と言うべきか、気づいたことがある。
私は、チェック柄の服を着るのが怖かった。

私の親(特に母親)には過干渉の傾向があって、私に「こうあってほしい」「こうなってほしい」という期待や理想を強く持ち、かつ、それを行動で示していた。
服装もその一つだった。

中高生時代、チェック柄の服ばかり着ていた。
前述の高校を選んだのも、任意のチェック柄スカートが穿けることが決め手の一つだった。

私が育った土地は、しまむらすら無い「田舎」だった。
中高生が気軽に服を買いに行けるような「街中」は存在しない。

小学生時代の私は歳上の従姉のお下がりを着ていたのだが、私が中学生、従姉が高校生になるタイミングで、彼女はいわゆる「ギャル」になり、両親が私に「ふさわしい」と考える服が回ってこなくなった。

両親は私を連れて隣町の衣料品店に行き、私に服を買い与えてくれるようになった。
買う服も私に選ばせてくれたが、店の選択や、購入を許される服は、必然的に親の好みや私への理想の範囲内に限定される。

親の好みはアメカジ、アイビールック、トラッドスタイル。
母が好ましく思い、私に買い与えてくれていたファッション誌は『mc Sister』。
私に求められたのは「グッドガール系」の服装、それに象徴される属性としての「素直で従順な優等生のしきこちゃん」だった。

親が好む系統に合致し、私の顔立ちにも似合うチェック柄のアイテムは、必然的に増えていった。
私自身もチェック柄を好きだと思っていたし、自分に似合っていると思っていた。
今振り返っても、その感覚は偽りではなかったと思う。
実際、歳相応でもあった。

とはいえ、程度というものはある。
私が東京の大学に合格し、上京するにあたり、母が2着のワンピースを買ってくれたのだが、なんと2着ともチェック柄だった。
雰囲気こそ違えど、なぜわざわざ服を2着買って、2着ともチェック柄なのか。
当時の私がチェック柄を好んでいたというのもあろうが、思い返してもそのとき主体となって服を選んでいたのは母の方で、なんとなく象徴的に、上京させても私の手綱を放すまいとする執念じみたものを感じる。

東京で暮らすようになり、一気に着るものの選択肢が増えた。
ハイブランド店にこそ近寄ることはなかったが、池袋〜新宿〜渋谷エリアが行動範囲となり、多様なジャンルと手頃な価格帯の「若者向けファッション」に触れることになった。
代官山に行きつけのセレクトショップもできた。

自分はレースや薔薇柄などのロマンティックでデコラティブな要素がある服が好きだと気づいたり、自分の体型はボディラインやデコルテがしっかり出る「ギャル服」を着ることで迫力が出、強く、かつ素敵に見えることに気づいたりした。
数多のトライアンドエラーを繰り返しつつ、現在に繋がる「服の着方」を、この頃に確立した。

ファッションの選択肢が多い環境での「自分の好み」が明確化するにつれ、チェック柄の衣服を着た自分への違和感が強くなっていった。
幼く見えるのだ。
チェック柄の衣服を着る回数は減り、私はそれらを徐々に手放していった。

現在、クローゼットに約60着の服があるが、チェック柄のものは1着もない。小物もだ。
数年前、あまりの可愛さに、逡巡の末購入した夏用のバイアスチェックのワンピースがあったが、結局着ることは少なく、処分した。

そのようにして、私は心の中で「着ないものカード」に「チェック柄」と書き、カードを伏せて目に入らないようにして、忘却の彼方に追いやった。
自分の中で、チェック柄の服に「地元の田舎」「母親の過干渉」「自分の幼さ」が関連づいたまま蓋をしてしまったことで、却って無意識下でそれらが強固に結びついてしまったのだろう。

試着を勧められたとき、私の身体を強張らせたのは、「チェック柄の服なんか着たら、あのクソ田舎と親の庇護下に連れ戻されてしまう」という恐怖心だった。

しかし、伏せていたカードを第三者の手でめくられ、数年ぶりにチェック柄の服(しかも学生時代にふざけて女子高生コスプレをしたとき以来の膝丈スカート!)を実際に着たことで、そんなことは無い、と文字通り「肌身で」理解した。
代わりに、こう言ってもらえた気持ちになった。

  • お洋服は攻撃してきません

  • うちのブランドならちゃんと大人っぽくなります

  • うちのブランドなら「トラッドでありつつモード」もできます

  • 貴女はちゃんとここにいます

  • お似合いです

  • 素敵です

  • 大丈夫です

自分の中の暗黒地帯、自ら意識から追いやってしまったが故に得体の知れなくなった恐怖が一つ減り、「着られるもの」が一つ増えた。

考えてみれば、本気でチェック柄が駄目な人間は、そもそもこのブランドのストアに近寄らないはずなのだ。
それでも足を運んでいたのは、既に大丈夫だったからなのだろうし、克服したい/させてほしい、という意志があったからだろう。

ファッションが人生の課題やコンプレックスの原因になることもあるが、それらを解決し、昇華するのもまた、ファッションの力なのだ。

この一連の事柄を私の口から聞いたそのスタッフは、またカードをめくるお手伝いをしますよ、と笑った。

※私が上京した後、地元にはしまむらとユニクロとサイゼリヤができました。文明開化です!!
※地元のことは普通に好きだし、両親との仲も別に険悪とかではないです。ただ、もう定住して暮らしたくはない!!!

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