見出し画像

フォスは健気で可哀そうな子? ~『宝石の国』99話まで無料閲覧可能~

 兎にも角にもまずはこれ。

 『宝石の国』100話到達、おめでとうございます! 市川春子先生、この道のりを描き上げて我々に読ませてくださて、ありがとうございます!!


前置き

 というわけで、フリゲブログを名乗った2か月目にして恐縮ですが、今回はフリーゲームとは何一つ関係のない漫画について語らせて頂きます。
 好きは止められねぇ!

 まず私の基本スペックから。こういうのは自分の所属宗派を名乗るところから始めろってどっかで聞いた。
 通読は2回、どちらもweb版でのみ読了。

 そして本記事は、読み終わってから色々考えて、ついでにTwitterで色んな方の感想なども拝見して、じゃあ私はどう感じたのかなというのを再編する回です。


 要は、感想文だ!
 当たり前ですが、私の見方が正しいとかこの話はこういうのを書きたかったに違いないとか、そういうしゃらくせえことを言うつもりはないのでご安心くださいませね。
 ただ、断定口調はお許しください! 単純に語尾へ「~と思う」をつけ続けると、読みづらいのでございます。ご容赦!


※以下、九十九話までのネタバレを含みます※




フォスは何もしなくたってよかった

「たしかにあの子は 特別になるのが 夢だった でしょうけど」

九十六話のユークレース

 ここを見た時にウッ、ウワーーーー!となったのでまずはここから語ります。

 『宝石の国』を初めて読んだ時、やっぱり私はおそらく色んな方が感じたように、主人公であるフォスに視点を当てて読んでたんですよ。

 やることなすことうまくいかないなあ。
 フォスはこんなにがんばってるのになあ。
 どうにか報われてくれないもんかなあ。
 どんどんみんないなくなってしまうなあ。
 つらいなあ。

 でもこれはあくまでフォス視点の見方で。


 二回目読んだらやっぱり見え方が変わるんですよね。

 よくよく考えなくてもフォスってだいぶトラブルメーカーだな?
 もしかしてフォスは何もしない方がいいんじゃないのかな?

 そして読み返せばみんなそうなんです。
 誰も、フォスに何かしろなんて言っていない。
 勝手にフォスが何かしたいと言い出しているだけ。


 これをね……。
 これを言ってしまうのがすごくためらわれるんですけどね……。
 実際、今までのフォスに起きたトラブルってフォスの軽挙妄動がきっかけであることが大半なんですよね……。

 確かに月人と出会ってからは、エンマの思惑を感じはしましたが。かといってエンマが金剛に会いに行けと責め立てたわけでもなく、むしろ企画立案はやっぱりフォスであって、アクセルを踏んだのはフォスだと感じてるんですよね。
 まあ、孤独の二百年だけ寄り分けて特に保護するとかいう、間接的に追い詰める行為はしていましたが……。


 そして、問題はフォスも内心自分は何もしない方がよいと気づいていそうなところです。

「僕の考えは 何もかも 間違えだ」

第四十二話
フォス

 ここまでわかっていて、それでも動き続けるフォスは、見ようによっては空回りし続けても前を向く健気な子でしょう。そして見ようによっては失敗とわかっていてやり続けるはた迷惑なトラブルメーカーでしょう。
 片や一生懸命な優しい子、片や無能な働きアリ。
 これをどちらの解釈が正しいとも言わずにそのまま流していく描写力はすごいなあと改めてしみじみします。深みがある。延々と読み返したくなる。

 ただこの作品とても優しいのは、誰もフォスを責めないところ。
 さらにまた、責められない方がつらいという優しさが重ねられるところ。
 けれどもどうしようもないのが、責めないのは期待していないからだとも意地悪く捉えることだってできるところ。


 結局フォスって欲張りなんですよね。
 好きな人の役に立ちたいというのは愛だけれど、それだけが全てではないからどんどん道のりが歪んでいってしまっている。がんばる方向間違えてる。それに気づいてるっぽいけど直せない。難しい。


 みんながフォスに優しかったし、フォスに無関心でした。
 ただのクラスメイト、くらいの距離感だったように思います。
 でも逆に言えばそれは、何もできなくたってそこにいることを許容されていたということです。
 あの場所で、フォスはありのままで良かったし、受け入れられていたはずだと思うんです。ちやほやするといった形ではなくて、ただ、傍にいるだけでよいという形で。

 なんなら、ダイヤもカンゴームもずっと助言してくれていました。地に足をつけなくては。周りに目を向けて、今近くにいる誰かと交流を深めなければ。
 もっと言えば、フォスは序盤でシンシャとの約束を果たそうと動いていましたが、その目的意識も時折散漫になっていました。何ならむしろ仕事を見つけられていないのはフォスのほうなんですよね。できることから、できていない。そんな感じ。

 
 結局、フォスは何もしない方が良かった。
 かといって、何もしないままでもいられなかった。
 フォスの欲はそれじゃ満たされなかった。
 

 改めて、ユークレースのセリフに話を戻します。

「たしかにあの子は 特別になるのが 夢だった でしょうけど」

九十六話のユークレース

 なんでこのセリフがこんなに刺さったのか、初めはわからなかったんです。でも、こうやって書き出していて感じました。特別になるのがフォスの夢だったわけじゃないと、読者だけが気づいていて、作中のみんなは気づいていなかったこと。フォスすらも気づけていなかったこと。これが、きっと、刺さった理由なんでしょう。

 フォスの、みんなの役に立ちたいという表面上の願いすら、誰にも届いていなかったんですね。

 でも、当たり前なんです。
 だって、第三者から見たらきっとフォスのやってることって言動不一致なんです。理解されるわけが、ないんです。
 それがひどく納得できてしまうし、苦しいし、むなしい。


あの子はだれ?

 だれだろう かわいいね ではなくて。

 ぶっちゃけ初読の時、宝石たちが誰が誰かわかってないことがあったんですよ。月に行く段になって、「えっこの子いつ登場してたっけ」ってなったりね。一気読みしてもこれなんだから、連載を追いかけてた方はなおさらなのではないかなあと思います。
 もちろん、キャラ重視の方は覚えてるんだろうし、個人差はあるはずですが。

 で、この感覚は他の宝石たちからフォスに向けての感情とちょっと近いところがあるのかなあとも考えたんですよね。
 「えーまたフォスが?」
 「前もなんかやってたよね」
 「もう覚えてないけどね」
 「ふーん」
 終わり。みたいな。この会話自体は妄想ですが。

 何が言いたいかって、無関心ってそんなに悪いことなのかな?ってところです。……自己正当化しているようで落ち着かなくもありますが。

 フォスが主人公だからフォスのがんばりにばかり目が行ってしまうけれど、別にフォス以外の子達が特別ドライだったり、宝石が薄情だったりするんじゃなくて、人間(読者)もこのくらいじゃない?と思っています。


 やっぱり漫画としてはね、こう、よくある展開として、やっぱり主人公がわかりやすく苦難を乗り越えて仲間と和解して頑張りが報われてみたいな、オタクは思ってしまうんだけどね。
 この作品はすごく客観的なところがあって、その作品構造としての客観が、そのまま宝石ってドライなんだっていう形で転写されてしまっている意見もあるんじゃないかなとは思いますね。
 その客観はやっぱりキャラへ愛着があればあるほどつらいんですけどね。客観って距離を突き放すことなので。でもそこが本作の味であり好きであり苦しみであり素敵さでもありますね。うぅ~!!!!


有為転変を丁寧に予告してくれていた作品

「生き物は こんな 速さで 変わって いくんですね
 怖いな…………」
「おまえもだよ」
「それは……
 そうです……
 そうですね……」

第二十話
金剛とフォス

 こんな初期からここを示されていたことに震えました。読み返して。
 何度も何度も、作品全体を通して、似たことを読者に向けて予告してくれていたんだよなあと思います。こちらがその予告を感じ取れていなかっただけで。


 何なら、1話からこれですもんね。
 博物誌のバインダーに向けて語りかけるフォス。

「仕方ないなあ 僕の味方は
 おまえだけだよ」

第一話
フォス

 そしてそれすらもたまたま。
 身を挺してフォスを庇ってくれるようなものは、いないんです。ずっと。
 そしてそれは理由やきっかけはあれど、誰かが悪いのではなく、フォスが悪いのですらなく、ただ、妥当な流れだったのだと思っています。


結局?

 読み終わって特に気になっていたフォス周りに対する感情をまとめた、かったんですが、なんかまとまりきらなかった気もします。
 とりあえず、ずっと言いたいことが一貫している作品なのだなと再認識できた気がします。これだけでも、満足です。

 1個人の感想文にお付き合いいただき、ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?